名前:舟山康江(ふなやま・やすえ)
政党:民主党
選挙区:山形選挙区
生年月日:1966年5月26日
血液型:AB型
趣味:合気道(2段)、山登り
好きな食べ物:ご飯と(自家製の味噌を使った)味噌汁
ホームページ:http://www.y-funayama.jp/
─国会議員と政務官で生活に変化がありましたか?
地元に帰る時間は制限されるかなと思います。でも2007年の参院選以降は与野党逆転で国会はずっと緊迫した状態で、通年国会状態でした。それまでは通常国会が終わる6月半ばからは夏休み、11月ぐらいまで臨時国会、12月から1月は地元活動、1月半ばから再び通常国会というようなスケジュールになります。しかし私が当選してからはほとんどそうではありません。越年、通年国会でした。しかも通常国会は延長、延長でほとんど休みなしでしたね。そして選挙モードが始まってバタバタとしている間に結局選挙は一年ぐらい延びましたので、そういった意味ではさほど変わらないですね。
─もともと一番重視していたのは農業政策だったのですか?
選挙の時は農業と子育てでした。農業には産業政策としての農業と地域政策としての農業の両側面があります。産業政策と地域政策はわけるべきという議論もありますが、私はきわめて一体的と思います。例えば沖縄ではさとうきびや芋など収益があがるものではなく砂糖なんかは外国との競争にさらされて色んな経営対策していますが、もうからないものはやらなくていいじゃんといってしまったら本当に地域がなくなっちゃうのです。それに代わる何かがあるかというとそれもありません。
農業には、作物を作ることによって高齢者が元気に過ごし、医療費もかからないという側面もあるんです。長野県は医療費が一番安いと言われていますが、農作業をしたり、山登りをしたり、孫の面倒を見たり、高齢者に役割があると生き甲斐を持ち元気でいます。医療費は少なくて済むと思います。農林水産業は大きな可能性を秘めてます。
─長野1区の篠原孝衆院議員も農業と医療費の関係に注目していました
実は私が政界に入るきっかけは篠原孝(しのはら・たかし)さんです。
─政治家になるきっかけを詳しく教えてもらえますか?
私は2000年3月に10年勤めた農水省を辞め、田舎に行きました。嫁ぎ先は設備関係の商売をやっていたのでそこで事務を手伝い、子どもに恵まれ、平穏無事な生活をしていたところ、2004年3月下旬に突然篠原さんから連絡がありました。最初は雑談していたのですが「ところで、参議院選挙に出てみないか?」という突然の話があり、まさに青天の霹靂でした。それが直接のきっかけです。私は別に政治家になろうとも思っていなかったですし、選挙を通じて政治参加はしていましたがそれ以上の関心もなく過ごしていました。
それがきっかけで実は候補者が決まらなくて、現予算委員長の鹿野道彦(かの・みちひこ)さんと篠原さんは農政関係で親しい関係にあって、「昔の部下が山形に嫁に行った」という話から電話が来て、子どももいるし仕事もあるので国政に出られる環境ではなかったのですが、話をしている中で、色々な出会いがありました。
東京でとある女性議員と会い、「私も子どもがいるけれどもいい社会を次の世代に残していく義務を負っている。そういう意味でも子どものためにも自分の出来ることをやっていく必要があると思っている」と言われ、断るつもりだったのに一度考え直しました。そして帰り道に山形で尊敬する農家の方に会い、「それはやってみたほうがいい。負けても勝ってもどんな結果になっても人の輪は広がるし、きっとあなたのためになる」と言われて単純な私と夫は「それじゃあ...まあいっか」という単純なきっかけでした。高い志を持って政治家になられた方には申し訳ない感じもしますが。
子どもは小さかったですし子どもと離れるのは良くないんじゃないかという思いはあったのですが、もっと長い目で見たらどうかなと思いました。当時イラク派兵の問題や小泉構造改革、三位一体改革で地方が切り捨てられ、あんなに住みやすい平和な農村が疲弊の一途をたどっているという状況に対して、おかしいですよねとしか言えませんでした。このままの方向で行ったら次の世代に残すべきふるさとがなくなっちゃうんじゃないか、そのためには自分ができることをきちんと言って、何かを変える仕事を一緒にするというのもあるのかなという気持ちもありました。
─当時と今で地元の変化はありましたか?
ありました!5年前に出馬したときは、特に山形は保守的で男性社会でした。なかなか女性管理職も少なかったですし、地域の活動では女性が前に出ることは少なかったです。地域の懇談会に行っても裏方でお茶やつまみを準備するのが仕事というような感じでした。立候補表明するときに「何が不満でわざわざ女性が国政に出るの?」「子どもはどうするの?」というどちらかというと批判的な目が多かったと思います。2ヶ月半の選挙活動の中でそういった声が消えていった感じでした。おそらく女性が表に出るというと、女性解放運動や婦人団体の活動をしているような人が机を叩き、女性の地位向上を叫ぶような傾向があった中で、有権者は私を「なんだ、普通の人じゃん」という感覚で見ていたように思います。
5年前の選挙では聞こえてきた「女性候補」に対する批判は2年前の参院選ではほとんど聞こえませんでした。そして山形県でその大きな変化があったなと思うのは、今年の1月の知事選で女性知事が誕生したことです。何かが変わるときには一気に変わるというよりも、ちょっと風穴を開け、違和感が感じられなくなってくることの積み重ねを経て変化するんだと思います。私も地元の県連活動や講演など人と交わることを通じて、女性が表舞台に立つことに対する抵抗感が薄れて行くことを感じましたし、その中で女性知事が生まれる基盤ができてきたかなと思います。
─民主党だからやりやすかったと感じたことはありますか?
そうですね。私は体制を変えなきゃと思ってたほうですし、農林水産省に勤めていた時も「今の農政はおかしいな、変えていかなきゃな」と思っていたので、そういう意味では改革を旗印に掲げていた民主党にうまくマッチしたのかなと思います。民主党じゃなきゃ出なかったと思います。
─「農水省を変えてやる」という気持ちは強いのですか?
農林水産業政策に関しては農業の重要性を訴えて守ろうとする立場と、国民の利益のためにとにかく安いものを消費者に提供しようと自由化を進め、コスト削減して輸入してもいいじゃないかという勢力があります。後者に対して、農業の持つ食料生産という役割、地域を守という役割、農村集落を作るという役割に注目し、農業をしっかりと守っていかないといけないだろうと思います。
ただしかし農業を守るという立場の中で、そうはいっても補助金の仕組みや事業のあり方、今回事業仕分けでは批判の矢面に立たされた部分もありましたが、本当にご指摘の通り古くさい体制はありました。補助金の上に補助金を重ねて複雑な制度になっていたり、重複事業が複数あったり、不必要な団体を経由して予算が流れていたり、そういった複雑になったものを一回リセットしてもっとスマートな形で作り直していく必要があるんだと思います。それは農業政策に限らず国の仕組みがすべてそうなっている気がします。事業仕分けをきっかけにしていろいろな事業を省庁横断的に見直す、それは政権交代の一番の意味だと思います。
─熱っぽい話し方は大学時代から変わらないのですか?
熱意がどこに向いていたかわかりませんが、役所時代から「あんたどうせやるなら一言二言口に出さずに黙ってやったらいいのよ」というのはよく言われていました。大学時代は体育会活動を頑張っていました。合気道部でしたが、なぜか本部の役員もやっていていろいろ面白いこともやってましたね。
─その頃から政治家気質があったのですね
本当に政治には関心なかったのですが、感じたことは口に出さずにいられないんです。だから「言わずにやれ!」って言われるのですがつい...
─趣味の山登りは今も続けていますか?
昔はよくやっていましたが最近はできてないんです。近くに山があるにもかかわらず子どもができてからは本格的な山は登ってないです。ただ、近所の山に詳しいおじさんに山菜採りに連れて行ってもらったり、キノコ採りに連れていってもらったりはします。でも登山と山菜採りは全然違いますね。目的も通る道も違いますね。本当にびっくりしたのは30代でまだ体力もあった時期に、6、70代のおばあちゃんと山には入ったら全然ついて行けなかったことです。すごいんです。崖っぷちでも足を滑らすことなく登り、山菜を見つける目の鋭さにも驚かされます。
生活の知恵を絶対絶やしちゃいけないなと思います。山形県外から来たから新鮮で、珍しくて、山菜もよく食べるし作り方も教えてもらいますけど、意外と地元育ちは山菜を食べなかったり作り方もわからないというんですよ。すごくもったいないですね。地場にある財産を活かす手だてはここで絶やしてしまったら次に伝わらないと思います。やはり伝えていくことはわれわれの大きな仕事です。そう思うと国政で働くより地元で働いた方がいいのかなとも思えますね。
─結婚して山形に定住するようになったとのことですが、移住にあたって抵抗はありませんでしたか?また、定住して苦労されたことがあれば教えてください(投稿者: hiraishi | 2009年12月 6日 21:11)
私はあまり抵抗はないのですが、やっぱり田舎は遊びに行くのと住むのとでは違うと思います。ただ私の母も父も実家が田舎なのでさほど抵抗はありませんでした。
田舎のウワサの広がり方の早さには驚かされますね。3人目を妊娠してまだ家族にも言っていない時、産婦人科で知り合いのおばさんに会って帰ったら、私が報告する前に何人か知っていたというのは田舎ならではのことですね。良くも悪くもウワサが広がるのは早いですね。
─農業や農村はマイナス面が取り上げられることが多いように感じます
いまは「点」の元気な動きを「面」につなげて初めて地域全体がよくなると思います。実際に元気な取り組みをしている地域は、絶対に女性が元気なんです。
直売所を作りましょう、特産物を作りましょうという話を出すときに、男性に「100万円でやってください」というと100万円じゃ何も出来ないと言います。女性に同じはなしをすると「100万円もくれるんですか。何でも出来ますよ」といって新しいレシピを開発したり小さな直売所を作ったりします。フットワークは軽いし、アイデアが豊富だし、既成概念にとらわれず果敢に挑戦する力は農家の男性より女性の方があると思います。女性の力はすごいです。
─今後の目標はありますか?
国会議員という立場は目立ちます。舟山さん頑張っているねと言われますが、実は違うんです。もっと頑張っている人はたくさんいるんです。私は頑張っている人たちを側面から支援したり、表に出す役割をしているだけのような気がします。昔から地域で地道に活躍している人はたくさんいますがこれまではあまり表に出てきませんでした。地域で活躍しているものを形にして、それを支援していけるような流れを作っていけたらなと思います。
また表に出るからといって偉いということはありませんが、私の活動が地域で活躍している方々の元気や勇気につながっていけばいいなと思っています。
「国産品を買うことです。ちょっと高くても買っていますよ」
こだわりは"国産品"でした。また議員宿舎には"国産"の自家製大豆味噌と梅干しが常備されているようです。お米や野菜も実家から送ってくるとのことで、東京にいても地元は忘れられない環境ですね。