みどりさん のコメント
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一章 獣王の贄(にえ)
1
菊地良二は、月を見あげていた。
天にかかる歪(いび)つな月だ。
その月の横を、銀色に光る雲が動いている。
ずんぐりした、岩のような男だ。
十七歳――身長は中学生なみなのに、顔つきは、大人のように見えてしまう。
顔の肌が、岩か、蜜柑(みかん)の皮のようにざらついている。
眼が細かった。
蜜柑の皮に、ナイフで裂け目を入れたような眼であった。
唇が薄く、前歯が何本か折れている。
爬虫類のような顔をしていた。
どうかすると、蜥蜴(トカゲ)の一種に、このような顔つきをしたものがいるかもしれない。蜥蜴の嗤うところを見たかったら、この菊地の嗤(わら)った顔を見ればいい――そういう顔であった。
その菊地が、天を見あげているのである。
仙丈岳の頂(いただき)が、遠くに見えている。
その手前が、夜の森であった。
森の樹の多くは、ダケカンバか白樺である。
それらの葉が紅葉している。
風の中に、湿った、秋を迎えたそれらの葉の匂いが溶けている。まだ枯れる前の、どちらかというならみずみずしささえ感じられる、まだ、湿り気を含んだ葉の匂い。もちろん、新緑の頃の、あの青葉の匂いでこそないが、まだ生命(いのち)の呼吸の感じられる匂いであった。
森の手前に、牧場の草原のスロープが広がっている。
森に囲まれた牧場であった。
その草原の中ほどに一本の白樺の樹が生えている。
大きな樹だ。
牧場を造る時、その白樺だけ、切らずに残したのであろう。
その白樺に、一頭の牛がつながれている。
ホルスタイン――乳牛である。
そこから五〇メートルほど離れたところに大きな岩が地面から突き出ていた。ユンボなどの重機を使っても、そう簡単には動かせそうにないほど、巨大な岩だ。これも、牧場を造る時に、どかさずに残したものであろう。それほど大きな岩であった。
その岩から、少し離れたところに、岩に隠れるようにして、一台のジムニーが停まっている。
岩陰に隠れているのが、川島武士と沢口だ。
川島は、三三口径の狩猟用のライフルをそこで構えている。川島の横で、同様に岩陰に身を潜め、麻酔銃を構えているのが、沢口だ。
ジムニーの助手席で、麻酔銃を持っているのが、楠本喜一である。
その光景も、菊地のいる場所から見えている。
菊地の横にいるのが、九十九三蔵、久鬼玄造(げんぞう)、谷津島長安(やつしま ちょうあん)、吐月(とげつ)、そして、宇名月典善(うなづき てんぜん)である。
風がある。
月の横の、雲の動きが速い。
森の上の、樹々の梢が騒いでいるのが見える。葉と葉、梢と梢が風で触れ合う音が、潮騒のように、菊地のいる場所まで届いてくる。
その時、天を見あげていた菊地の眼に、見えてきたものがあったのだ。
菊地は、最初、それが鳥かと思った。
しかし、鳥にしては妙だった。
見た時、大きさを比べるものが近くにないので、鳥かと思ってしまったのだ。
しかし、鳥にしては、巨大すぎるのではないか。
それに、鳥に、あれほどの数の翼があるだろうか。鳥であるなら、翼は二枚――ふたつのはずだ。
それが、一枚、二枚、三枚、四枚、五枚――
五枚?
それもおかしい。
翼は一対だから、二の倍数、偶数でなければならないはずだ。
それが、五枚というのは――
いや、五枚も、偶数も何も、そもそも二枚以上翼があることがおかしいのに、それが、偶数かどうかなんて、どちらでもいいじゃないか。いや、五枚じゃないぞ。六枚、七枚ある。
大きさも不ぞろいだが、確かに七枚――いや六枚か、それとも八枚?
見ているうちに、翼の数が変化してきているのだろうか。
しかし、見えている翼のうち、何枚かは、羽ばたいているように見えるが、何枚かは動いていない。それも、空気をつかんで滑空(かっくう)しているのではない。ただ意味なく動いているだけの翼もあるようであった。
いや、それは、翼ではない。
腕か。
腕のようなもの。
脚のようなもの。
いや、あれは首か!?
そこまで考えるのに、たくさんの時間がかかったわけではない。
ほんのわずかの時間、二秒か三秒の間くらいに、このくらいのことを一度に考えたのだ。
皆、あの変なものに気づいていないのか。
みんな、あれが、空からでなく地上をやってくるものだと思い込んでいるのか。
森の方ばかりを見ている。
教えてやらなければいけない。
今、上に、おかしなものが、もしかしたらあいつが来ているかもしれないということを――
そう思った時――
その影が、月と重なった。
そして――
それが、真下に向かって落ちてきたのだ。
その時、菊地は、ようやくそれを声に出そうとした。
が、声に出す前に、
「来た」
そう言った者がいた。
九十九三蔵だった。
初出 「一冊の本 2013年6月号」朝日新聞出版発行
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恥ずかしくなんないのかな?周りに指摘する人いないのかな?裸の王様かな?
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