月並みさん のコメント
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落葉を、踏んで歩く。 紅葉した楓や、ダケカンバの葉が、地に重なっている。 九十九(つくも)の、重い体重がかかるたびに、そこから落葉の匂いがより濃くなってゆくようであった。 枯れ葉の匂いではない。 落葉ではあるが、枯れて枝から離れたものではない。色こそ緑ではないが、充分に湿り気を含んだ、みずみずしい葉の匂いである。 枝と葉の間に、コルク質が生じて、葉が枝から落ちただけのことだ。ただ、その香りが、六月、七月の青葉の匂いではないというだけのことだ。 灯りは消している。 森に入って、すぐ、用意していたハンドライトを点燈したのだが、 「消そう、九十九くん」 吐月(とげつ)がそう言ったのだ。 「月明りがある」 満月でこそないが、それに近い月だ。 「灯りを手にしていると、その灯りが照らすものだけを見てしまうからね。かえって、ものが見えなくなるものだ」 吐月の言葉には、説得力があった。 それは、自身が、こういった文明の利器を使わず、山中に起伏(おきふし)していたからわかることなのだろう。 「はい」 うなずいて、九十九は灯りを消した。 それが、しばらく前のことだ。 消した直後は、一瞬、周囲が真っ暗になったように思えたが、すぐに眼が慣れた。 もともと、月明りで夜の道を歩く分には問題はない。あたりの情景が、それなりに見えるからだ。 江戸の頃、人は、満月の晩は提灯無しで歩いたのだ。 ただ、森の中は、頭上に被さった葉の繁る梢によって月明りが隠され、足元がかなり見えにくくなる。しかし、今、落葉樹の森は、葉の半分近くが散って、ほどよく月の光が注いでくるのである。 確かに、吐月の言う通りであった。 ライトを消したおかげで、森から届いてくる情報量が、はっきり増えたのがわかった。 暗く、青い、深海の底を歩くような気がした。 森に、包まれたようだ。 充分に歩くことができる。 必要になったら、ライトは点ければよい。 こちらがライトを点けていないことにより、むこうからはこちらが見えなくなる。 ライトを点けていると、久鬼(くき)と出会った時、最初に向こうに気づかれてしまう。 気づいた時、久鬼はどう反応するのか。 久鬼が、見つけた途端に自分たちを襲ってくるのではないかと思う半面、いや、もしかしたら、久鬼が、ここにいるのが友人である自分――九十九三蔵(さんぞう)であると気づいてくれるのではないかという淡い期待もあった。 しかし、あの、獣となった久鬼が、自分に気づいてくれるであろうか。 その不安がある。 考えてみれば、自分は無謀なことをしているのではないか。 久鬼玄造(げんぞう)の言う通り、牧場のあの場所で待っていた方がよかったかもしれない。 仮に、久鬼と出会えたとして、いったい、自分はどうすればよいのか。 何か、することがあるであろうか。 なにも思いつかなかった。 吐月はどうなのか。 吐月は、あの久鬼と、これから出会うかもしれないことについて、どう考えているのであろうか。 九十九の心を、覗いたように、 「九十九くん」 吐月が声をかけてきた。 「きみと初めて会った時にも言ったことだが、わたしは、若い頃、仏陀に――つまり、覚者になろうとしていたのだよ……」 低い声だった。 「本気でなろうと思っていた。いや、なれると思っていた。ゴータマ・シッダールタが、過去においてそうなったのなら、自分もまた必ずなれるのだと……」 九十九に、というよりは、吐月は自分に言い聞かせているようであった。 「そして、チベットへ渡り、あの陳岳陵(ちんがくりょう)とカルサナク寺で出会い、その地下で、『外法曼陀羅図』を見たのだ……」 歩きながら、吐月は、微かに笑みを浮かべたようであった。 その笑みの気配があった。 優しい、哀しみに満ちた笑み―― 「若かったのだなあ……」 吐月はつぶやいた。 「若い頃は、何でもできると思ってしまう。仏陀にでさえなれるのだと思ってしまう。若さとは、そういうものだ……」 昔の自分をなつかしむような響きがあった。
初出 「一冊の本 2013年8月号」朝日新聞出版発行
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