gomasioさん のコメント
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9 そいつは、見たことのある顔をしていた。 森の中から、ふたりで、ずっとおれに話しかけてきた、あの声を発していたやつらのかたわれだ。 説教師(マニパ)ツオギェル―― そう名のっていたっけ。 そいつが、話しかけてくるのである。 もう、やめろ――と。 もう、いいではないかと。 なんだか、うるさい。 なんだか、わずらわしい。 大きなお世話ではないか。 こんなに、自分は今、満ち足りていて、しかも気持ちがいいのに。 どうして、これをやめねばならないのか。 そうだ。 こんなに、幸せなのに…… だが、妙に不安になる。 おまえは、どうして、そんな哀しそうな顔をするのだ。 さっきの、二本足の大きな漢(おとこ)も、そうだ。 哀しそうな顔で、おれを見ていた。 そんな眼で、見られたくない。 そんなに哀しい眼で、おれを見るんじゃない。 哀れに思われたり、可哀そうに思われたりするなら、怖がられた方が、まだマシではないか。 恐れられた方がいい。 独りでもいい。 独りというのは、もともと、よく研がれた薄い刃物の上に、素足で立つようなものだ。 いつ、バランスが崩れて、自分の足を傷つけてしまうかわからない。 それでもいいのだ。 哀れな人間でいるより、怖れられる獣でいることの方が、おれはいいのだ。 あんまり、そこをうるさく言われると、 ほら―― また、背骨が曲がる。 ぎしっ、 みしっ、 そういう音が、耳に響く。 自分の骨が、曲がる音だ。 変形(へんぎよう)してゆく音だ。 ふふん、 あんまり、うるさいことを言うのなら、もう一度、また、あの獣になって、おまえらみんな、喰ってやろうか。 その時、もうひとりのやつが出てきて、服を脱ぎはじめたのだ。 何だろう。 何をする気だろう。 額から、二本の角まで伸ばしている。 ふわっ、 と、そいつが、月の光の中に浮きあがった。 「麗……」 と、そいつの声が聴こえた。 麗? 何のことだ。 人の名前か。 その麗というのは、このおれの名か。 宙に浮いたそいつは、ゆっくりと、おれの眼の前に舞いおりてきた。 半分、獣の顔をしている。 しかし、なんとも痛ましい眼で、おれを見るのだ、そいつは。 気にいらない。 さざ波のように、怒りが広がりかけたが、それがおさまったのは、そいつの顔が妙になつかしかったからだ。 こんな面をしているのに、どこか、遠い昔、自分はこの顔の人間を知っていたのではなかったか。 そのことを考えると、じんわりとした温かみが、身体の中に満ちてくるようだった。 「息子よ……」 と、そいつは言った。 息子!? 何だ、息子というのは。 おれが、おまえの子供だというのか。 その時、ふいに、おれの身体は、そいつに抱きつかれていた。 きえええ…… ぎいいい…… おれの身体から生えているものたちが反応し、そいつに噛みついた。 肉を噛みちぎり、啖(くら)う。 「かまわん、麗……」 と、そいつは言った。 「息子よ、おれを啖え」 と。 初出 「一冊の本 2013年10月号」朝日新聞出版発行
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