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再掲「No.9-不滅の旋律-」加藤和樹くん2015/10/20@赤坂アクトシアター
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再掲「No.9-不滅の旋律-」加藤和樹くん2015/10/20@赤坂アクトシアター

2016-10-30 02:07

    2015/11/03

    4:02 am

    • 4:02 amの画像
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    稲垣吾郎・加藤和樹くんの「No.9-不滅の旋律-」を観た、傑作だ。
    だから語りたくなって感想は長い。

    すべてがきちんとできていて、ただただ面白い。
    主人公のベートーベンが傑作だ。天才ってこうなんだろう、っていう人物がよく出ている。
    周りの人は迷惑するし、振り回さるし、手に負えないんだろうなと思う。
    そういう人物を観ていて浮かんでくる感情は、
    いいよ、天才は思った通りに創ればいいんだ、どういう生き方でもいい、だった。
    ベートーベンが出てきた時代背景も市民革命に乗り遅れたオーストリアという国の立ち位置も
    そこここに表れてきて、ベートーベンの作曲のモチ―フと彼がよって立つ社会基盤が分かる。

    時代は1789年に始まったフランス革命が周辺各国に影響し、
    結果的にはその反動のナポレオンも、そのナポレオンの失脚もとても丁寧にトレースされている。
    印刷技術の発達や、王侯貴族社会に対しブルジョワジーが新しい産業を起こしていく様も密かに描かれている。
    それらの社会的な出来事の連鎖が天才作曲家にもひたひたと押し寄せていて、
    社会の変動がこんなにも天才の表現に影響を与えるんだ、と納得する。

    市民の側に身を置く彼が、愛する人が自分ではなく貴族を選んだことからか、
    権力の象徴として描かれる警官の横暴からか、
    王侯貴族社会に反発し、時代は市民の側に向かって動くことを確信し音楽を作る、
    彼の歴史判断と自身の身を置く立場への信念も描いてあり、
    当然の帰結だけど、改めて天才であってもその表現と社会の変動には密接な関係があることが分かる。

    こんな傑作が日本から生まれたことが素晴らしい。
    題材はヨーロッパで発達したクラシック音楽、
    人物は天才ベートーベン、
    主題の音楽は交響曲第9番「歓喜の歌」、
    時代背景はフランス革命後の激動のヨーロッパ、
    これらの与件を、脚本家も演出家も美術プランも照明も衣装も演奏家も俳優たちも
    どの一つをとっても、テーマと人物像とストーリーを、
    それぞれの仕事ごとにきちんと舞台上に再現することに収斂して作られていて、何も瑕疵がない。
    題材と登場人物とストーリーの素晴らしさがあり、
    このまま、世界に出ていけるだろうと思う。
    ウィーンでこの公演が成立したら何が何でも観に行きたい。
    世界に幅広く通用した日本発のストレートプレイって今まではなかったと思う。
    この作品がそこを突破してくれると思う。

    でも僕が思うのはこういう舞台は企画した人をまずは称えたい。
    作る人が最良の仕事をしたのはよく分かる、でも誰かがベートーベンで舞台作ろう、
    「第9」を結末にしよう、時代背景を作曲のモチーフにしよう、
    って言い出した人がいたはずで、素晴らしい。
    その言い出した人を受けて、上演台本の視点でベートーベンと彼が生きた時代を描き、
    舞台表現としても細心の注意で作り上げたチームの勝利だろう。

    この舞台、日本が生み出した演劇で僕が見た中では、
    井上ひさしさんの「闇の花」をはじめとする演劇群、
    つかこうへいさんの「飛龍伝」シリーズ、
    自由劇場の「上海バンスキング」に並ぶ、傑作の一つだ。
    この作品もこれまでの傑作と並び、時代が移ると何かしら現在の社会を映し出していると言われるだろう。

    全体の評価には影響しないレベルの僕の好き嫌いで言うと一つだけある。
    最後のベートーベンが狂気から醒め、
    かわいがっていた甥が既に大人の男になっていたという現実を認識し、
    そこから終幕へ向かい自らの人生を反省し、
    物の分かった人間として死んでゆくだろう結末は、やや無理があったと思う。
    舞台の作りとしてはハッピーエンドにしたかったんだろうし、
    そう言う作り方もあるだろうとは思う。
    でもそうではない結末も観たかった。
    ベートーベンは反省もせず、周囲の人間の苦労や悩みボヤキなど無視したまま、
    天才はだれにも理解されないまま、ただただ表現に向かってのみ生きるんだ、
    と孤高の姿勢のまま死んでいく、そして音楽が残る、
    という方がこの舞台には似合ったように思えてならない。
    それはエピローグに向かうほんの短い時間で、
    それまでの舞台の時間のほとんどを使って鳴り響かせた天才の傍若無人を
    甥の成長による叔父離れというあまり現実的でない方法で気を付かせる、
    っていうストーリーの流れが、
    この舞台の時間の使い方として急いでまとめに入った感が出てしまい、
    やや画竜点睛を欠く感があった。
    そのまま狂気を発散しながら死んでゆくことで、
    ベートーベンの人生は全うできただろうし、
    舞台も完成形に近かったと思うのだけど…、でも今のままでも十分です。

    稲垣吾郎くんと、加藤和樹くんの共演というのもぼくの中ではありえないことが起きた、という出来事だ。
    二人の初舞台が「聖闘士星矢」と「テニスの王子様」ともに僕のプロデュース作品、
    ともに「週刊少年ジャンプ」の人気漫画でアニメ化された、という共通項がある。
    稲垣吾郎くんのフェニックス一輝、必死に頑張って一輝の男らしさ出してた健気な真面目さ、
    加藤和樹くんの跡部景吾、上から目線の極め付きクールキャラ、
    どちらもかっこいい。
    たぶん二人は、それぞれの相手の初舞台作品にそんな共通項があったなんて知らないだろうし、
    意識してはいなかったと思うけど、それはそれでいいんだ。
    僕が一人で喜んでいれば世の中は平和だ。

    楽屋に和樹を訪ね、今までにはあまり無かったおろおろ芝居が似合ったねと声をかけ励ました。
    自分の中には無いだろう狂ったような重い主役、あの熱演の集中力を切らしてはいけないと思い
    マチソワ間の面会は求めてはいけない思い
    吾郎くんの楽屋は訪ねなかった。

    和樹とは一緒に観劇した富田麻帆さんと一緒にパチリ、お茶目版もあり。


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