2016/02/13
11:27 pm
「回転する夜」赤澤燈・味方良介くん出演を観た。
面白かった。脚本が完成されていた。
とても真正面から演劇してた。
この種のストレートプレイはこの俳優たちの舞台としてはあまり多くはないだろうと思う。
しかもテーマが重い。
引きこもり、
被害者意識満載の主人公、
兄弟の性格の違いからくると僻みと嫉妬、
密かにあこがれていた家庭教師の女性が兄と出来ている、
仕事もせずにただベッドに倒れこんでいる毎日、
友達はいるが皆元気でそれなりの自分を見つけている、
こんな状況に置かれたら誰だって引きこもり性格歪んでくる。
そんな舞台まともな演出で見せられたら居たたまれなくなり観ていられなくなる。
そこをこの舞台では見事に解決して一級の娯楽の演劇に仕立てていた。
同じ場面を何度も繰り返し見せていきながら、
同じ登場人物に同じ場面の中で会話させながら、
少しづつ時間をずらし交わされる会話も言葉を変化させ、
登場人物の性格を少しづつ明らかにしていく。
そのうち人格の振れ幅が大きくなっていき、
人間関係がはっきりしてきて物語のテーマがやがて浮かび上がり、解決する。
その時間の中で主人公と周囲の人々は成長する。
或は、生きていく場所が変わっていく。
「ウォーリーを探せ」みたいな物語の見せ方は演劇では定着している手法の一つだろうが、
脚本はその手法を見ごとに使いこなし、主人公の心が開かれていく様を見せている。
観客が同じような場面が出てくるたび何が違っているのだろうという、
間違い探しのような気分にさせられて舞台の人間関係に集中する効果を生み出している。
脚本家の才能が素晴らしい。
物語の骨格がきちんとできている。
人物像が陰影ついて描かれている、
観せ方にも脚本の上で工夫がなされていて物語に引き込まれる。セリフも切れ味鋭い。
でも全体としてはよくできた演出なのに少し残念な所があった。
こういう舞台の経験が少ないのかもしれない。
俳優の声が観客席にクリアに届かないのだ。
僕の座席は中通路の2列舞台より、ほぼ中央だ。
そこで舞台の上の役者のセリフが僕には聞き取れない。
僕の耳が悪いのかもと思い、
幕が下りた直後に僕の2列前に座っていた演出家の青井陽治さんに聞いたら
青井さんも同じくかなり聞きとれないセリフがあった、という。
なんでだろうと考えた、
仮説で検証不能だけどセットの作り方に問題があるのではないかと思った。
大きな一軒家と思しき家に、青年の部屋のセットが舞台いっぱいに作られていて、
その部屋の奥には海を臨める空間が開けているという作りだ。
部屋に外に開いた窓があり
そこから舞台の奥の海に向かってセリフを吐く場面が何度か出てくるが、ほぼ聞き取れない。
そうだろうと思う、窓以外は部屋と外界を区別する家の壁があり、
声は小さな窓から家の外に向かって出ていくので、声は奥の布製?のホリゾントに吸収され
しかも返って来る声は家の壁に塞がれて客席には届かない。
家の外だけでなく、部屋の中もリアルに日常性のままに再現している。
柱も部屋を仕切る壁もドアもあるし、
ベッドとか大きなソファと机・いすと普通に若者の部屋にある家具調度品をこまごまと置いてある。
たぶんそのためだと思うが、声がいたるところで反射し
客席に届くまでにずれが生じ残響となってセリフをつぶし合い聞き取りにくくしている。
物語の大筋は理解できるのだけど、
聞き取れるセリフの中にいくつもしゃれたはっとするいいセリフがあった。
だからもったいない、聞き取れなかったセリフも聞きたかった。
役者のスキルの問題ではないと思う。皆さん滑舌も一通りの技術は持っている人たちだ。
小さな劇場では肉声で通用するがこのサイズの劇場では肉声で通すには、
美術セットを作るときにどこに声を反響させるか考えてセットを作らなければならない。
物語はセリフで客席に伝えるという単純なことが改めて重要だと思った。
赤澤・味方・西島顕人くんに
この日のアフタートークにゲスト出演の伊勢大貴・章平くんで飲みに出かけた。
味方くん、仲の良い友達の空気出ていた。
自衛隊から帰ってきた後も成長の跡が何気に出ていてこういうナチュラル芝居、
身についていること伺わせてくれた。そういう演技派俳優と僕の引き出しにしまっておこう。
伊勢くんにはダメ出し、いくら芝居に共感したからと言って、
アフタートークで同じゲストの章平くんの時間を奪いすぎてはいけないって駄目だししたら、
章平くん賛成って声上げたのでそっちも他人がしゃべりすぎたら割って入らなければとダメ出し。
でも飲み屋でも伊勢くん、北海道の根室近く、野付崎近辺の故郷の学校での経験と
舞台の家庭教師の女性の境遇があまりに実感できて、と何度も語っていた。
彼女の、もぐりこまなければ生きていけないでしょ、ってセリフに反応していた。
もしかすると彼の高校生時代、都会からの転校生が初恋の相手だったのかもしれない。
章平くん、東京育ちはこういうの無いですよね、つい聞いちゃいます、と話に割って入りにくかったと愚痴った。
赤澤くん、とてもよかった。
自閉症気味の青年が何に不安を覚えているか、
その不安を突き止め自覚し消化し解放される、
友人、兄、あこがれていた家庭教師の女性に気づかされていく過程を
客席に居ながら一緒にトレースできる、
場面ごとに主人公のココロがはっきり浮き上がってくる様が良く伝わった。
この舞台は主人公の心理を観客が共有する、
それも謎解きのような見せ方なので、客席も舞台に集中する。
主人公の心理、行動の一挙手一投足に及ぶまで客席からの目線は赤澤くんに集中するはずだ。
その圧力を一身に受けながら、自閉症から解放される過程を毎度演ずるのはとても大変だったろうと思う。
飲み屋の席に着いた時には疲れていた。
ビールを口にした瞬間から放心したような表情になった。
飲んでその集中力をいったん解放し、ゼロになりたいのだろう。
でもまた明日、舞台に上がるまでには再び集中力を目覚めさせる、この繰り返しはきついだろう。
舞台は毎回違うという事の意味を始めて理解したと言っていた。
ストレートプレイ、舞台では目の前に居る人間との会話で物語は展開する。
決められたセリフでも伝え方しゃべり方、
体の動かし方でその都度、気持ちの持ちようが違ってくる、
立ち位置まで異なってくる。
気持ちが違ってくるからセリフも動きも違う事になる。
こんな舞台初めてです、胃が痛くなるんですと言っていた。
そう言い乍らビールグラス空にし、少し落ち着きを取り戻してようやく顔に表情が戻った。
今日は兄に抑え込まれ殴られたときに燈くん兄さん蹴飛ばしていたけど、
前回観た時には蹴っていなかったよね、あれってどっちがどうなのって、
2回観た章平くんに聞かれ、え、蹴ってないよと燈くん、それ聞いて驚いた。
僕も蹴ってたよと言ったら、本人不思議な顔で、
全然蹴るなんて意識していない、と言う、集中力とはこういうもの。
でも全編を通して主人公の気持ちとてもよく伝わったよ、
最後部屋から出ていくときに涙浮かんだ、
と褒めたらうれしそうな顔をしてくれた。可愛い、と言ってはいけない、とても凄い。
遠距離通勤の西島くんが早々と退出した後、
前もって言っていた終電までをとっくに通り過ぎたので、
会計して帰ろうと言って僕が立ち上がったら、
ごちそうさまでした、と言いながら4人揃ってまだ飲むという、
いい芝居の後は語り合いたいんだろうな、いいですね、このエネルギー。