• このエントリーをはてなブックマークに追加

volkさん のコメント

昔、レッドブル軍団の新日本参戦と前後して、週間ファイトがジェフ・ブラトニックのプロ転向・新日本参戦を報じて「えーーー!!!!」っと声を出して驚いたのを覚えています。
飛ばし記事かとも思ったのですが、その後「アメリカではプロレスもアマレスも混同されて、『おまえはラスリン(プロレスとアマレスの総称)なのか?ラスラーなのか?』と言われるのが屈辱」「日本のプロレスはアメリカのプロレスと違ってシリアスなものだと聞いている」みたいな見開きのインタビューが乗っていて、ホントに来るんだ!と期待値が上がりまくっていました。もともと総合みたいなものに興味があったんでしょうね。

…レッドブル軍団が参戦してプロレスに馴染んでしまった頃、別記事の中で「ジェフ・ブラトニック(プロ転向宣言撤回)」と書いてあって凹みましたw
No.3
55ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
暴力的で野蛮であるとして、多くの州で禁止され、会場は借りられず、テレビ放送からは閉め出されていた創世記の UFC 。その逆風の中でときに矢面に立ち、ときに舞台裏で、 MMA を支えてきた中心人物のひとりがジェフ・ブラトニックであった。 ブラトニックは高校生の頃からグレコローマンレスリングの選手として頭角を現し、 1980 年のモスクワ五輪に出場が決まっていたが、アメリカが参加をボイコットしたため出場できなかった。 1982 年に悪性腫瘍の一種であるホジキンリンパ腫を患い、放射線治療を受け、脾臓(ひぞう)を摘出。しかし半年後にはトレーニングに戻り、 1984 年のロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得した。この大復活劇で、ブラトニックは一躍、国民的英雄となり、オリンピック閉会式では国旗の旗手に選ばれた。 1994 年、第 4 回の UFC 大会にテレビ解説者として招かれたブラトニックは、ホイス・グレイシーがダン・スバー
Dropkick
プロレス格闘技マガジン『Dropkick』公式チャンネルです。【更新コンテンツ】スペシャルインタビュー/斎藤文彦INTERVIEWS/小佐野景浩の「プロレス歴史発見」/プロレス点と線/OMASUKI FIGHT/アカツキの『味のプロレス出張版』/大沢ケンジ/二階堂綾乃/オレンジ色の手帳/中井祐樹日記/ジャン斉藤……のコラムなど。週一の音声配信もやってます!