暴力的で野蛮であるとして、多くの州で禁止され、会場は借りられず、テレビ放送からは閉め出されていた創世記のUFC。その逆風の中でときに矢面に立ち、ときに舞台裏で、MMAを支えてきた中心人物のひとりがジェフ・ブラトニックであった。

ブラトニックは高校生の頃からグレコローマンレスリングの選手として頭角を現し、1980年のモスクワ五輪に出場が決まっていたが、アメリカが参加をボイコットしたため出場できなかった。1982年に悪性腫瘍の一種であるホジキンリンパ腫を患い、放射線治療を受け、脾臓(ひぞう)を摘出。しかし半年後にはトレーニングに戻り、1984年のロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得した。この大復活劇で、ブラトニックは一躍、国民的英雄となり、オリンピック閉会式では国旗の旗手に選ばれた。

1994年、第4回のUFC大会にテレビ解説者として招かれたブラトニックは、ホイス・グレイシーがダン・スバー