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どうなるメイウェザーvs天心!? エキシビジョンか否かでも話題沸騰の大晦日RIZIN。こうやって世界を驚かせる仕掛けと言えば、モハメド・アリを招聘し、「アントニオ猪木vsアフリカの人喰い大統領」「空手家vs虎」をマッチメイクした「世紀の呼び屋」「虚業家」こと康芳夫!! ということで以前掲載した怪しげなインタビューをあらためてご紹介します!


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――康さんがこれまで手がけられた仕事はワクワクするものが多いですね。

 あの時代はダイナミックな波があったというか、いまみたいに平凡な時代ではなかったから。いろんなことがやりすかったですよね。いまは世の中が安定しちゃってるから、何かやろうとしてもなかなか乗ってこないというかね。

――途方もない夢の話に振り向いてくれない。

 いまは広告代理店なんかが動いてやるでしょ。だからキミが「◯◯を呼びたい」と思って代理店を通せばなんだって実現しますよ。そういう時代になっちゃった。

――たしかにそこにロマンはないですよね。

 ボクのときは自前だから。すべてのリスクを冒してやるわけですよ。お金を集めるにしろね。銀行は貸してくれませんよ。担保とかないわけですからね。

――康さんがプロデューサーを務めた“ネッシー探検隊”にしても、銀行はお金は貸さないですよね(笑)。

 あのときは「ネッシーを捕まえてエリザベス女王陛下に献上する」ということでね。元・東京都知事の石原慎太郎とネス湖のネッシーを探しにいったんですよ。彼がまだ34、35歳。芥川賞を取ったあとで参議院議員のとき。話を持って行ったら「俺が総隊長をやる」と。本当はSF作家の小松左京さんが隊長を引き受けていたんですよ。でも、石原慎太郎が「俺にやらせろ」と(笑)。

――石原慎太郎が小松左京から横取りする世界(笑)。

 小松さん、亡くなりましたけど、残念がってましたよ。「ネス湖に行きたかったなあ」って(苦笑)。それでボクがプロデューサー、慎太郎が総隊長でネス湖に乗り込んだんだけど、国際的に批判されてね。ネッシーって向こうでは神聖な生き物なんですよ。それを日本人がお金にかこつけて捕らえるなんてとんでもない、と。要は当時の日本人って、金で物を言わせるいまの中国人みたいなもんでね。しかも総隊長が国会議員だから(笑)。

――反感も買いますね。資金はどうやって集めたんですか?

 お金はね、当時の自民党幹事長・福田赳夫先生、のちの元総理大臣が紹介してくれたんですよ。マスコミから批判されたんで「名前を出さないでくれ」って表には出なかったんだけど。福田先生には、ある人を介して相談に行ったわけ。そのときは福田先生の相談役として川内康範もいたね。

――『月光仮面』の原作者であり、『おふくろさん』の作詞家、そして政界にも影響力を持っていた! 登場人物が全員凄いですね(笑)。

 あの人も政界の顔役を自称していたけどね。それで福田先生からスポンサーを紹介してもらったんだけど、マスコミに異様な書き方をされちゃったんで、どのスポンサーも「名前を出さないでくれ」となってしまってね。あのときは世界中から取材に来たから。ニューヨークタイムスから何から。それまでネッシーを徹底的に調査した機会もなかったからね。

――まだネッシーが神秘的な存在だったんですね。

 イギリスの軍事産業が開発した小型潜水艦を借りてネス湖を潜ろうとしたら政府から止められたんですよ。ボクはネッシーは存在すると思ってました。ネス湖は北海と繋がっているからトドが潜り込んでいたのかもしれないけど(笑)。実際にネッシーは見つからなかったけど、事実かどうかはそれほど重要ではなくてね。退屈をどう紛らわせるかだから。

――“究極の暇つぶし”なんですね。康さんは全盛期のモハメド・アリを日本に初めて呼んで世界タイトルマッチ(マック・フォスター戦)を実現させたわけですが、そのとき康さんは20代だったんですよね。

 そう。アリを呼ぶべく動いたのがボクが20代のときで、実際にアリが試合をしたのが30代のときだけどね。

――当時のボクシング世界チャンピオンを日本に呼ぼうとする発想が凄いですよね。

 そんな計画を考えるだけでキチガイと言われたけどね(笑)。まともに相手されなかったよ。

――アリ側と交渉することも厳しいですよね。

 大変ですよ。彼はモスリムに傾倒していたでしょ。ボクもモスリムの“にわか信者”になって近づいてね(笑)。

――そこまでしたんですね(笑)。

 あと大変だったのは、当時のボクシングはマフィアが興行権を握っていて、彼らの中で興行の順番が決まってるんですよ。そこはお金だけの問題じゃなくて信用も関わってくる。ボクがアリを呼ぼうとしていた頃はFBIがマフィアに強い態度に出ていたみたいで。

――そこに東洋の島国の人間が割って入ったんですねぇ。

 でも、ボクはマフィアが怖いと思ったことはないから。そこは神経がおかしかったのかもしれないけど(笑)。

――日本のボクシング界から反発はあったんですよね?

 そう。ボクがアリ招聘をニューヨークで発表したら、日本のボクシング界から「絶対にやらせない」と言ってきたの。なんでかっていうと、表向きに理由があってボクはプロモーターライセンスを持っていない。そこでいまの協栄ジムの金平(桂一郎)くんのお父さん(金村正紀)と組んでやることにしたんですよ。それよりもお金の調達とか、向こうのマフィアとの交渉のほうがよっぽど大変で。マスコミは「日本では興行はできない」とか騒ぐけど、まあ気にしていなかった。

――興行というのは何かしら妨害が起きるわけですね。

 ボクがボリショイサーカスを日本で初めて呼んだときも、既成のサーカスと反社会的勢力が妨害してくるんですよ。そこで考えたのは、その土地で興行をやるときにその土地の新聞社を主催者として立てるわけ。そうするとヤクザも裏からお金を回すだけで静かになりましたね。

――興行には反社会的勢力がついて回るんですね。

 それは芸能界、歌謡界なんかもそうですよね。たとえば美空ひばりを山口組が押さえていたのは有名な話ですよね。プロレスも場所によってはそういう付き合いはあったし。

――アリを呼んだ経緯もあって、康さんはその後に行われた猪木vsアリ戦のアドバイサーを務めたんですね。

 ボクのやり方に猪木くんが刺激を受けたのか、参考にしてね。ボクがアリを呼んだときとアリの弁護士やマネージャーは同じですから。だからボクがいろいろとアドバイスをしたというか、助けてあげて。それがきっかけになって、アフリカのウガンダ大統領アミンと猪木くんの試合を組もうとしたんですよ。

――
“人喰い大統領”と言われて映画化もされたアミンですね(笑)。

 レフェリーはアリですよ。ちゃんと契約書も交わしてね。ところがね、ウガンダに内戦が起きちゃってアミンがサウジアラビアに亡命しちゃったんですよ。それで自然消滅しちゃったんだけど。

――猪木さんはアミン戦に乗り気だったんですよね?

 もちろん。話題性が強いから猪木くんも大歓迎ですよ。

――さすが猪木さんですね(笑)。

 猪木くんの右腕だった新間(寿)くんと一緒に京王プラザで記者会見をやってね。ウガンダの大きな競技場でやるはずだったんですよ。アミンはその昔ボクシングで東アフリカヘビー級のチャンピオンになったこともあって、モスリムでもあったから、アリのことを非常に尊敬していた。そんなアリがアミンを仲介していたから話が非常に早かった。


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