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DJスタイルズさん のコメント

>>1
記事と関係の無いコメントはご自身のSNS等で発言したらどうですか。
No.2
66ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
作/二階堂綾乃 プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長 小佐野景浩 の「プロレス歴史発見」――。今回は、先日お亡くなりになった 青木篤志 さんを語ります。 <1記事から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!> 望月成晃×小佐野景浩〜空手家がプロレスラーになるまで〜 三銃士、四天王、UWF、邪道…平成のプロレスを変えた5つの勝負 ジャイアント馬場没20年追善興行と飯塚高史引退試合 北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾 柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」 多発するプロレスラーのケガを考える 愛すべき元横綱・輪島が戦った全日本プロレスの2年間 全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話 プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さん あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩 最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん 中邑真輔、棚橋弘至、柴田勝頼……新・闘魂三銃士 最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司 縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生 WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ 「情」で生きる佐々木健介の激烈人生!   プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩 大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE   暴走親方、諏・訪・魔!! 嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!! 冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った… 完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田 超獣ブルーザー・ブロディ 【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生 “四天王プロレス”の光と影――三沢光晴 癌に勝った絶対王者・小橋建太 “プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか? 呪われたIWGPが最高権威になるまで 悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生  燃える男、アニマル浜口――!! “天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合 全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準 馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレス ジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち  我らが英雄ザ・ファンクスの凄み!  猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代 レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち! 「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラス プロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス 『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った! 80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!! “リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰 昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!! 史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー 輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!! 全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信 鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム” 高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで 「プロレス取材の難しさ」 一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!! オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿 ―― 全日本プロレスの青木篤志選手がバイク運転中の事故でお亡くなりに……。 小佐野  信じられられないです……。亡くなる前日の6月2日に全日本プロレスの試合が神戸であって、私も解説の仕事で会場に行ってて。青木の試合の解説をしてるんですよ。彼は翌日の3日に東京に帰ってきて、夜にメディア出演の仕事に行くときに……こんなに突然、人っていなくなっちゃうんだって。彼はエネルギーの塊、生命力に溢れていた人だったから余計に。 ―― 病気で衰えながら亡くなったわけじゃないですもんねぇ。 小佐野  プロレスラーとしてもチャンピオンカーニバルでは五分の戦績を残して、ジュニアのベルトにも返り咲いて防衛戦も決まっている中で……本当に言葉も出ないですよ。身内だけでお葬式は執り行われたんですけど、私の場合は神戸で会ったっきりですから、実感がまるでないのでお悔やみの言葉もツイッターで書けてないんですよね。   ―― 小佐野さんは青木選手との付き合いは長いんですか? 小佐野   私は彼のデビュー戦のときから取材してるんですよ。2005年NOAHのクリスマスイブ興行。この日のNOAHは毎年趣向を凝らした企画でファン感謝デー的なノリなんだけど。試合の組み合わせはクジ引きで決めて、青木は同じデビュー戦になった太田一平と組んで、三沢光晴&田上明と戦ったんだよね。 ―― ビッグネームとのデビュー戦だったんですね。 小佐野  太田一平も山梨学院大学でレスリングをやっていたんだけど、青木もレスリング出身。これは本人から聞いた話なんだけど、中学の頃はサッカーをやっていたんだけど、鶴田vs超世代軍の試合を見てプロレスラーになりたいと思うようになって。それで高校からレスリングを始めたんですよ。 高校卒業後は自衛隊に入ってレスリングは続けていたけど、身体は小さいし、体重もないからプロレスラーは諦めて。レスリングは続けつつ、その頃は総合格闘技に興味を持ってたそうなんです。 ―― その頃は総合格闘技ブームでしたもんね。 小佐野  総合は階級別でしょ。99年のレスリング社会人オープンのフリー69キロ級で優勝してるから。体格的にプロレスは無理だけど、総合ならできるんじゃないかと。その自衛隊時代には、のちにNOAHで一緒になるマイバッハ谷口と1年間、同部屋だったりしたんですね。 ―― マイバッハ谷口選手とは同じ2005年にNOAHに入門してますよね? 小佐野  そうなんだけど、2人とも入り方は別々だった。 谷口のほうはアテネオリンピック出場がダメになったところでプロレス入りを杉浦(貴)に相談してね。 ―― 自衛隊のレスリング繋がりですね。 小佐野  谷口はひとりでテストを受けて合格した。青木の場合は、じつはレスリングを一度やめてるんだよね。青森駐屯地に転勤になって自衛隊の仕事だけは続けていて。その青森に赴任する前に杉浦から「ここまでレスリングを頑張ったな」ということで酒を飲みに連れて行ってもらったときに、青木が「じつは子供の頃からプロレスラーになりたかったんですよ」と口にしたら「じゃあNOAHのテストを受ければいい」と。でも、青木は踏ん切りがつかなくて青森駐屯地で1年を過ごして、また何かの機会のときに杉浦と飲んだら「おまえ、なんでテストを受けないんだ!?」と怒られて。 その店の外に出たら、たまたま丸藤がいて「試験を受けてみたらいいんじゃない?」と。それでようやく青木も「……じゃあ受けさせてください」と決意したんだって。 ―― いろんな人との出会いがプロレスラーの道を切り開いたんですねぇ。 この続きと、堀口恭司、武尊vs皇治の乱闘、追悼・青木篤志さん、天心vs亀田…などの記事がまとめて読める「12万字・記事22本の 詰め合わせセット 」はコチラ  https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1781291 この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!  1記事95円から購入できます!  
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