作/二階堂綾乃
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――病気で衰えながら亡くなったわけじゃないですもんねぇ。
――小佐野さんは青木選手との付き合いは長いんですか?
小佐野 私は彼のデビュー戦のときから取材してるんですよ。2005年NOAHのクリスマスイブ興行。この日のNOAHは毎年趣向を凝らした企画でファン感謝デー的なノリなんだけど。試合の組み合わせはクジ引きで決めて、青木は同じデビュー戦になった太田一平と組んで、三沢光晴&田上明と戦ったんだよね。
――ビッグネームとのデビュー戦だったんですね。
小佐野 太田一平も山梨学院大学でレスリングをやっていたんだけど、青木もレスリング出身。これは本人から聞いた話なんだけど、中学の頃はサッカーをやっていたんだけど、鶴田vs超世代軍の試合を見てプロレスラーになりたいと思うようになって。それで高校からレスリングを始めたんですよ。 高校卒業後は自衛隊に入ってレスリングは続けていたけど、身体は小さいし、体重もないからプロレスラーは諦めて。レスリングは続けつつ、その頃は総合格闘技に興味を持ってたそうなんです。
――その頃は総合格闘技ブームでしたもんね。
小佐野 総合は階級別でしょ。99年のレスリング社会人オープンのフリー69キロ級で優勝してるから。体格的にプロレスは無理だけど、総合ならできるんじゃないかと。その自衛隊時代には、のちにNOAHで一緒になるマイバッハ谷口と1年間、同部屋だったりしたんですね。
――マイバッハ谷口選手とは同じ2005年にNOAHに入門してますよね?
小佐野 そうなんだけど、2人とも入り方は別々だった。 谷口のほうはアテネオリンピック出場がダメになったところでプロレス入りを杉浦(貴)に相談してね。
小佐野 谷口はひとりでテストを受けて合格した。青木の場合は、じつはレスリングを一度やめてるんだよね。青森駐屯地に転勤になって自衛隊の仕事だけは続けていて。その青森に赴任する前に杉浦から「ここまでレスリングを頑張ったな」ということで酒を飲みに連れて行ってもらったときに、青木が「じつは子供の頃からプロレスラーになりたかったんですよ」と口にしたら「じゃあNOAHのテストを受ければいい」と。でも、青木は踏ん切りがつかなくて青森駐屯地で1年を過ごして、また何かの機会のときに杉浦と飲んだら「おまえ、なんでテストを受けないんだ!?」と怒られて。 その店の外に出たら、たまたま丸藤がいて「試験を受けてみたらいいんじゃない?」と。それでようやく青木も「……じゃあ受けさせてください」と決意したんだって。
――いろんな人との出会いがプロレスラーの道を切り開いたんですねぇ。
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コメント
コメントを書くありがとうございます❗だけど、ヒデオ イタミにしろ、SANADA にしろ、新日本に上がっているけど、彼らWWE で成功できないから新日本に行っただけのこと。新日本は、海外成功できない人たちの溜まり場ですよ‼
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