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作/二階堂綾乃

プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は、先日お亡くなりになった青木篤志さんを語ります。


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全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信

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「プロレス取材の難しさ」

一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!!

オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿




――全日本プロレスの青木篤志選手がバイク運転中の事故でお亡くなりに……。

小佐野 信じられられないです……。亡くなる前日の6月2日に全日本プロレスの試合が神戸であって、私も解説の仕事で会場に行ってて。青木の試合の解説をしてるんですよ。彼は翌日の3日に東京に帰ってきて、夜にメディア出演の仕事に行くときに……こんなに突然、人っていなくなっちゃうんだって。彼はエネルギーの塊、生命力に溢れていた人だったから余計に。

――
病気で衰えながら亡くなったわけじゃないですもんねぇ。

小佐野 プロレスラーとしてもチャンピオンカーニバルでは五分の戦績を残して、ジュニアのベルトにも返り咲いて防衛戦も決まっている中で……本当に言葉も出ないですよ。身内だけでお葬式は執り行われたんですけど、私の場合は神戸で会ったっきりですから、実感がまるでないのでお悔やみの言葉もツイッターで書けてないんですよね。  

――
小佐野さんは青木選手との付き合いは長いんですか?

小佐野
  私は彼のデビュー戦のときから取材してるんですよ。2005年NOAHのクリスマスイブ興行。この日のNOAHは毎年趣向を凝らした企画でファン感謝デー的なノリなんだけど。試合の組み合わせはクジ引きで決めて、青木は同じデビュー戦になった太田一平と組んで、三沢光晴&田上明と戦ったんだよね。

――
ビッグネームとのデビュー戦だったんですね。

小佐野
 太田一平も山梨学院大学でレスリングをやっていたんだけど、青木もレスリング出身。これは本人から聞いた話なんだけど、中学の頃はサッカーをやっていたんだけど、鶴田vs超世代軍の試合を見てプロレスラーになりたいと思うようになって。それで高校からレスリングを始めたんですよ。 高校卒業後は自衛隊に入ってレスリングは続けていたけど、身体は小さいし、体重もないからプロレスラーは諦めて。レスリングは続けつつ、その頃は総合格闘技に興味を持ってたそうなんです。

――
その頃は総合格闘技ブームでしたもんね。

小佐野
 総合は階級別でしょ。99年のレスリング社会人オープンのフリー69キロ級で優勝してるから。体格的にプロレスは無理だけど、総合ならできるんじゃないかと。その自衛隊時代には、のちにNOAHで一緒になるマイバッハ谷口と1年間、同部屋だったりしたんですね。

――
マイバッハ谷口選手とは同じ2005年にNOAHに入門してますよね?

小佐野
 そうなんだけど、2人とも入り方は別々だった。 谷口のほうはアテネオリンピック出場がダメになったところでプロレス入りを杉浦(貴)に相談してね。

――自衛隊のレスリング繋がりですね。

小佐野
 谷口はひとりでテストを受けて合格した。青木の場合は、じつはレスリングを一度やめてるんだよね。青森駐屯地に転勤になって自衛隊の仕事だけは続けていて。その青森に赴任する前に杉浦から「ここまでレスリングを頑張ったな」ということで酒を飲みに連れて行ってもらったときに、青木が「じつは子供の頃からプロレスラーになりたかったんですよ」と口にしたら「じゃあNOAHのテストを受ければいい」と。でも、青木は踏ん切りがつかなくて青森駐屯地で1年を過ごして、また何かの機会のときに杉浦と飲んだら「おまえ、なんでテストを受けないんだ!?」と怒られて。 その店の外に出たら、たまたま丸藤がいて「試験を受けてみたらいいんじゃない?」と。それでようやく青木も「……じゃあ受けさせてください」と決意したんだって。

――
いろんな人との出会いがプロレスラーの道を切り開いたんですねぇ。
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