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i08002さん のコメント

プロレス者として、プロレスマスコミ関係者に憧れていたことを思い出された記事でした。
No.2
62ヶ月前
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プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長 小佐野景浩 の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマはWWEのコーチに就任した プロレス者の青春「竹内宏介とザ・マニアックス」 です。 <1記事から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!> ケンドー・カシンの数奇で偏屈なマスクマン人生 日本のプロレスを変えた「浅井嘉浩」という男 革命戦士・長州力、笑顔でリングを降りる―― 追悼・青木篤志さん 望月成晃×小佐野景浩〜空手家がプロレスラーになるまで〜 三銃士、四天王、UWF、邪道…平成のプロレスを変えた5つの勝負 ジャイアント馬場没20年追善興行と飯塚高史引退試合 北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾 柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」 多発するプロレスラーのケガを考える 愛すべき元横綱・輪島が戦った全日本プロレスの2年間 全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話 プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さん あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩 最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん 中邑真輔、棚橋弘至、柴田勝頼……新・闘魂三銃士 最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司 縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生 WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ 「情」で生きる佐々木健介の激烈人生!   プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩 大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE   暴走親方、諏・訪・魔!! 嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!! 冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った… 完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田 超獣ブルーザー・ブロディ 【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生 “四天王プロレス”の光と影――三沢光晴 癌に勝った絶対王者・小橋建太 “プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか? 呪われたIWGPが最高権威になるまで 悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生  燃える男、アニマル浜口――!! “天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合 全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準 馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレス ジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち  我らが英雄ザ・ファンクスの凄み!  猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代 レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち! 「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラス プロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス 『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った! 80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!! “リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰 昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!! 史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー 輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!! 全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信 鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム” 高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで 「プロレス取材の難しさ」 一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!! オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿 ―― ジミー鈴木さんの興行で、先日お亡くなりになったウォーリー山口さんの息子さんがプロレスデビューされたとか……。 【プロレスなんでも屋】ウォーリー山口「ジャイアント馬場と竹内宏介、ふたつのG魂」 小佐野  そうなんですよ。ウォーリーさんには子供が4人います。1人は先妻との子供で、再婚した奥さんとのあいだに3人の子供がいて。兄の方は双子で、その2人もプロレスデビューしてるんです。何年か前の興行で兄弟対決して、しかもレフェリーは親父(笑)。 ―― 凄い!(笑)。 小佐野  現場で試合を見たわけじゃないから内容はわからないけど 、15分の時間切れ引き分けだったら しい。どちらかはプロレスは好きじゃないけど親父のために……というわけで1試合だけやったらしいんだよね。で、今回デビューしたのは3人目の橋之介くん。タイガー戸口さんの指導を受けて、橋ノ介くんはこれからもプロレスをやっていきたいらしいですね。 ―― 小佐野さんは『ゴング』に入る前からウォーリーさんやジミーさんと面識があったんですよね。 小佐野  2人は私の先輩なんですけど、ウォーリーさんは英語が喋れるから「面白い奴だな」ってことでプロレス会場に出入りするようになって。あの当時は英語を喋れる人はほとんどいなかったから、外国人レスラーも面白がるわけですよ。ペラペラの英語だから。 ―― どうやって英語をおぼえたんですかね。 小佐野  ウォーリーさんは子供の頃からアメリカンスクールに通っていてハワイに留学もしていたのかな。小学生か中学生のときにロサンゼルスに遊びに行ったら星野勘太郎さんが遠征に来てて。 一緒にサーキットしたらしいですね。英語が喋れるから星野さんにとっては重宝するんですよ。 ―― そしてプロレスの仕事もするようになって。 小佐野  知り合ったのは私が新日本プロレスのファンクラブをやっていた高校生のときで。ウォーリーさんは上智大学の比較英文科の2年生か3年生。 ―― 上智大学って賢いんですね。 小佐野  ウォーリーさんはその頃から『ゴング』で取材をしていて、 東スポでは大リーグの記事も書いていた。 向こうの新聞を読めるから記事が書けるんですよ。ジミーさんは大学1年生から2年生でジャンボ鶴田・友の会をやっていた(笑)。 ―― ジャンボ鶴田・友の会(笑)。 小佐野  私が高校を卒業して『ゴング』でアルバイトをするちょっと前に、ウォーリーさんは上智大学を中退して『ゴング』の発行元である日本スポーツ出版に嘱託として入ってね。 ―― あら、上智を中退しちゃうんですか。 小佐野  私も中央大学を中退して『ゴング』編集部に入るんだけどね。私は中央大学の法学部法律科だったんですよ。 本来ならば弁護士になるつもりだったんです。 ―― うわっ、小佐野さん賢い!(笑)。 小佐野  プロレスは趣味にして将来は弁護士になろうかな……と思ってたんですけど。高校を卒業して大学に通うまでのあいだに『ゴング』のアルバイトの話が舞い込んできて、そのままプロレスの世界にハマっていき……。 ―― プロレスマスコミは魅力的な仕事に見えました? 小佐野  一番影響があったのは竹内宏介さん(『ゴング』初代編集長)の存在。あの頃の竹内さんは34~35歳なんですけど、竹内さんは自分を中心に地球は回ってるぐらいの自信満々で。 頭も冴えるし、おまけにリッチで最新の電化製品はことごとく揃えてる。新しいビデオデッキやステレオを持っていたりね。 ―― ライフスタイルからして憧れちゃうわけですね。 小佐野   竹内さんは中卒なんだけど、「世の中って学歴じゃないんだな」って思い知らされたわけですよ。学歴がなくて好きなことをやって自分の才能だけでこんな素晴らしい生活ができる。 あの頃の俺らは10代でしょ。30過ぎるとオッサンのイメージがあるんだけど、竹内さんは感性が若いんですよ。たとえば見る映画や聞いてる音楽が一緒だったり、こういう雑誌を作る人は若くなきゃダメなんだなって。それに当時は若い記者がいなかったから。みんな大卒で大人。当時の私は大学1年生だから最年少だったかな。 ―― 『ゴング』ってフレッシュなエネルギーに満ちあふれていたんですね。 小佐野  遊び心もあったしね。小さい会社だったけど、一番売れてるのは『ゴング』だから竹内さんが何をしようが誰も文句言われない。こっちはレールに乗っていた人間だったけど、好きなプロレスに携わりながら成り上がりるんだってことを竹内さんの生き方を見て感じてね。  ―― それでプロレスの世界に飛び込んじゃったんですね。 小佐野  不遜だった私は「レールに乗っかって弁護士になる人生よりも……」というか、まだ弁護士になれるかどうかはわからなかったんだけど(笑)、若気の至りで好きなことをやっていけたらカッコイイなと。2004年に日本スポーツをやめるときは43歳にしてプータローになっちゃったんだけどね(笑)。当時はそれくらい竹内さんはカッコよく見えたんですよ。 この続きと、冨宅飛駈、朝倉海、チャーリー柏木、スターダム買、WWEペイジなどの記事が550円(税込み)でまとめて読める「 13万字・記事23本の詰め合わせセット」 はコチラ  https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1828791 この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事85円から購入できます!  
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