プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマはWWEのコーチに就任したプロレス者の青春「竹内宏介とザ・マニアックス」です。
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――ジミー鈴木さんの興行で、先日お亡くなりになったウォーリー山口さんの息子さんがプロレスデビューされたとか……。
――凄い!(笑)。
小佐野 現場で試合を見たわけじゃないから内容はわからないけど 、15分の時間切れ引き分けだったら
しい。どちらかはプロレスは好きじゃないけど親父のために……というわけで1試合だけやったらしいんだよね。で、今回デビューしたのは3人目の橋之介くん。タイガー戸口さんの指導を受けて、橋ノ介くんはこれからもプロレスをやっていきたいらしいですね。
――小佐野さんは『ゴング』に入る前からウォーリーさんやジミーさんと面識があったんですよね。
小佐野 2人は私の先輩なんですけど、ウォーリーさんは英語が喋れるから「面白い奴だな」ってことでプロレス会場に出入りするようになって。あの当時は英語を喋れる人はほとんどいなかったから、外国人レスラーも面白がるわけですよ。ペラペラの英語だから。
小佐野 ウォーリーさんはその頃から『ゴング』で取材をしていて、 東スポでは大リーグの記事も書いていた。 向こうの新聞を読めるから記事が書けるんですよ。ジミーさんは大学1年生から2年生でジャンボ鶴田・友の会をやっていた(笑)。
――ジャンボ鶴田・友の会(笑)。
小佐野 私が高校を卒業して『ゴング』でアルバイトをするちょっと前に、ウォーリーさんは上智大学を中退して『ゴング』の発行元である日本スポーツ出版に嘱託として入ってね。
小佐野 私も中央大学を中退して『ゴング』編集部に入るんだけどね。私は中央大学の法学部法律科だったんですよ。 本来ならば弁護士になるつもりだったんです。
――うわっ、小佐野さん賢い!(笑)。
小佐野 プロレスは趣味にして将来は弁護士になろうかな……と思ってたんですけど。高校を卒業して大学に通うまでのあいだに『ゴング』のアルバイトの話が舞い込んできて、そのままプロレスの世界にハマっていき……。
――プロレスマスコミは魅力的な仕事に見えました?
小佐野 一番影響があったのは竹内宏介さん(『ゴング』初代編集長)の存在。あの頃の竹内さんは34~35歳なんですけど、竹内さんは自分を中心に地球は回ってるぐらいの自信満々で。 頭も冴えるし、おまけにリッチで最新の電化製品はことごとく揃えてる。新しいビデオデッキやステレオを持っていたりね。
小佐野 竹内さんは中卒なんだけど、「世の中って学歴じゃないんだな」って思い知らされたわけですよ。学歴がなくて好きなことをやって自分の才能だけでこんな素晴らしい生活ができる。 あの頃の俺らは10代でしょ。30過ぎるとオッサンのイメージがあるんだけど、竹内さんは感性が若いんですよ。たとえば見る映画や聞いてる音楽が一緒だったり、こういう雑誌を作る人は若くなきゃダメなんだなって。それに当時は若い記者がいなかったから。みんな大卒で大人。当時の私は大学1年生だから最年少だったかな。
――『ゴング』ってフレッシュなエネルギーに満ちあふれていたんですね。
小佐野 遊び心もあったしね。小さい会社だったけど、一番売れてるのは『ゴング』だから竹内さんが何をしようが誰も文句言われない。こっちはレールに乗っていた人間だったけど、好きなプロレスに携わりながら成り上がりるんだってことを竹内さんの生き方を見て感じてね。
――それでプロレスの世界に飛び込んじゃったんですね。
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