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妄想屋さん のコメント

「平成」という時代は、
ライガーと共に始まり、
ライガーと共に終わる。

まさにこれこそ、
「ひとつの時代が終わった」

でもやっぱり、
引退は寂しい・・・
No.2
53ヶ月前
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プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長 小佐野景浩 の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは 獣神サンダー・ライガーと山田恵一 です。 <1記事から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!> プロレス者の青春「竹内宏介とザ・マニアックス」 ケンドー・カシンの数奇で偏屈なマスクマン人生 日本のプロレスを変えた「浅井嘉浩」という男 革命戦士・長州力、笑顔でリングを降りる―― 追悼・青木篤志さん 望月成晃×小佐野景浩〜空手家がプロレスラーになるまで〜 三銃士、四天王、UWF、邪道…平成のプロレスを変えた5つの勝負 ジャイアント馬場没20年追善興行と飯塚高史引退試合 北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾 柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」 多発するプロレスラーのケガを考える 愛すべき元横綱・輪島が戦った全日本プロレスの2年間 全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話 プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さん あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩 最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん 中邑真輔、棚橋弘至、柴田勝頼……新・闘魂三銃士 最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司 縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生 WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ 「情」で生きる佐々木健介の激烈人生!   プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩 大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE   暴走親方、諏・訪・魔!! 嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!! 冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った… 完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田 超獣ブルーザー・ブロディ 【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生 “四天王プロレス”の光と影――三沢光晴 癌に勝った絶対王者・小橋建太 “プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか? 呪われたIWGPが最高権威になるまで 悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生  燃える男、アニマル浜口――!! “天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合 全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準 馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレス ジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち  我らが英雄ザ・ファンクスの凄み!  猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代 レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち! 「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラス プロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス 『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った! 80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!! “リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰 昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!! 史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー 輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!! 全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信 鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム” 高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで 「プロレス取材の難しさ」 一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!! オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿 ―― 獣神サンダー・ライガーが2020年1月5日に引退します。小佐野さんが初めてライガーと会ったときのことをおぼえてますか? 小佐野  マスコミの中ではかなり早いほうだと思うよ。ライガーが山田恵一として新日本に入門したのが83年6月下旬から7月上旬にかけてなんだけど。山田はその年の春に高校を卒業してメキシコに渡って、現地でタイガーマスクvsフィッシュマンの試合があった日に山本小鉄さんに会って新日本道場に入ることを許された。私が山田恵一と初めて会ったのはその年の8月だから。  ―― 入門して1ヵ月も経ってない時期なんですね。 小佐野  日にちも覚えてますよ。1983年8月28日、アントニオ猪木vsラッシャー木村があった田園コロシアム。クーデター騒ぎがあったことで猪木さんが「俺の首をかっ切ってみろ!」と叫んだ日です。その大会後にウォーリー山口さんとディック・マードックが新宿の炉端焼き屋で飲む約束をしてたんですけど、その場に私も誘われて。そこに高田延彦とパット・タナカも現れたんです。 ―― すごい顔合わせ!(笑)。 小佐野  パット・タナカはデューク・ケムオカさんの息子。当時新日本プロレスに留学していてね。 炉端焼き屋のあとにカラオケスナックに店を移して、マードックが日本語で「スキヤキ・ソング」を歌ったりして(笑)。 ―― 坂本九の「上を向いて歩こう」ですね(笑)。 小佐野  そのうち私とウォーリーさんと高田延彦の3人だけになったんですよ。そうしたら高田延彦が「賑やかしで人を呼びましょう」と道場に電話をして呼びつけたのが、当時新弟子だった山田恵一なんです。 ―― それが初対面だったんですか。 小佐野  さんざん高田にいじられてた。その頃の彼はジャガイモみたいな頭をしていたからウォーリーさんが「ジャガイモくん」と呼んでいてね。新日本の中ではみんなから「八兵衛」と呼ばれてたんですけど。飲んだあとにみんなで六本木を歩いていたら、肩がぶつかって「馬鹿野郎!」と怒鳴ってきた人がいたんですよ。高田延彦は酔っ払ってるから「ふざけんなテメエ!」と突っかかっていって。その連中はタクシーで逃げたんだけど、高田延彦も「追っかけるぞ!」とタクシーに乗り込んでね(笑)。 ―― 面倒くさいことになった!(笑)。 小佐野  新弟子で大人しかった山田はタクシーの窓を開けて逃げる相手に「高田先輩が止まれと言ってるんじゃ!」と怒鳴ってた。「山田くん、けっこう口が悪いね」「あ、ボク、広島出身なんです」なんてやり取りをして(笑)。タクシーの運転手がトラブルに発展するとマズイからわざと追いつかないようにして、2人はそのまま新日本の道場に帰ったんですよ。 ―― 当時ライガーの背丈で新日本プロレスに入門できるって異例ですよね。 小佐野  本人も入れると思ってないから、メキシコに渡ってEMLLのジムに通っていた。そこでグラン浜田さんと知り合って、小鉄さんを紹介されたことで無試験で新日本に入ることができたんだけどね。同期というか、何ヵ月か先に入ったのが佐野直喜(佐野巧真)や畑浩和だった。 ―― 小鉄さんって本人も背丈が大きくなかったからか、背が小さくてもガッツがある人が好きですよね。 小佐野  メキシコで初めて会ったときも見ず知らずの関係でしょ。「これでしばらくメシを食えるだろう」ってお小遣いをもらったうえに「日本に戻ったら道場を訪ねて来い」と。ライガーは絶対に入門できるわけないと思っていたから、新日本のテストを受けることすらなくメキシコに渡ったんだけどね。それは当時国際プロレスのマッハ隼人が独力でメキシコに渡ってプロレスラーになったことを知って自分もチャレンジしてみよう、と。 ―― 当時は団体に入らずプロレスラーになるなんて雲を掴むような話でしたもんね。 小佐野   ライガーはその走りですよね。そのあとにウルティモ・ドラゴンなんかも同じ道を辿って。  ―― 新弟子時代の山田恵一にはどんな印象があったんですか? 小佐野  初めて会った日は高田延彦が一緒で先輩の前ということもあって大人しかったんですよね。こっちが聞かれたことしか答えないしね。「こんなに大人しくて大丈夫かな」と思ってたんだけど、いざデビューしたらとにかくガッツがある。山田恵一時代の人気はすごかったから。言い方は悪いけど、そこまでかっこいい風貌ではないんだけど、「プロレスが好きだ!」という姿勢が伝わってくる。デビュー戦の佐野戦は、前田日明やラッシャー木村がUWFに失踪した翌日の後楽園ホールなんですよ。猪木さんから「オマエらどこでデビューしたい?」として聞かれて「後楽園ホールです」と答えたら本当に後楽園ホールでデビュー戦が組まれて。あとになってライガーいわく「猪木さんは新弟子の評判を聞いていたから面白がってくれたのかもしれない」と。山田は道場で「藤原喜明ぶっ殺してやる事件」という起こしてるんですよ(笑)。 ―― 事件名からして最高!(笑)。 小佐野  道場で藤原組長と山田がボクシンググローブをつけてスパーリングをしてたんですよ。山田は当然ボコボコにされたんだけど、最後に「ありがとうございました」と頭を下げて握手をしたら、組長がいたずらで山田が下げている頭を上からバコーンと殴った。その瞬間、山田がブチッと切れて「テメエぶっ殺してやる!!」と思わず口走ってしまってね(笑)。 ―― ハハハハハハハハ! 小佐野  そんな暴言を吐いたことで組長にボコボコにされて気がついたら道場のベッドに寝ていた。 ―― ライガーのキレたエピソードって多いですよね。青柳館長と異種格闘技戦をやった試合後、控え室の通路ですれ違った長州力にもキレてたり(笑)。たまにリングに現われる「鬼神ライガー」って山田恵一の怒りの部分をキャラクターというか。 小佐野  その事件から藤原組長は山田のことをかなりかわいがったみたいで。その話を猪木さんがどこからか聞きつけて「面白い若手がいる」っていうことで起用したのかもしれないと。山田がある意味ラッキーだったのはデビューしたあとに闘魂三銃士や船木誠勝、AKIRA(野上彰)なんかが入門してきて半年ぐらいで一番下じゃなくなって、ちゃんこ番とか雑用をやらなくて済んだこと。ジャパンプロレスの大量離脱が起きて中堅・若手もゴッソリいなくなったんですよ。  ―― 地方に自宅があるとはいえライガーがいまでも合宿所に住んでいるのは、地獄の経験をあまりしなかったからかも(笑)。 小佐野  そこから船木と一緒にイジメっ子になるわけでしょ。この2人が新弟子を相当やめさせたという話はよく聞くもんね。 ―― そのときのエピソードはコンプライアンスの問題でいまは表に出せなくなっちゃってますよね(笑)。 小佐野   ちょっと前まで本人たちが面白おかしく喋っていたんだけどね。極端な話、道場の近くにいる野良猫に餌をあげた……ということすら活字にするのはもう難しいんだって。周辺住民に迷惑をかける行為だから。 ―― な、なんて時代!!  小佐野  だから橋本真也の動物関連のエピソードは一切NGですよ(笑)。 ―― ハハハハハハハハ!  船木さんは当時を振り返って「新弟子がいっぱいるから上から辞めさせろ」という命令があったらしいですね。 小佐野  それはどこの団体でもあったことだよね。やめさせるためにキツイ練習をさせて、新弟子の口から「もうやめます」と言わせる。いまのプロレス団体の練習も厳しいけど、やめてもオッケーな新弟子の扱いは考えられないよ。 ―― 山田恵一は昭和のプロレス団体の生き証人かもしれないですね……。 この続きと、カイvsウルカ、ケニー入国妨害事件、「真剣勝負」発言、山田恵一などの11月更新記事が550円(税込み)でまとめて読める 「10万字・記事18本の詰め合わせセット」 はコチラ  https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1839204 この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック!1記事85円から購入できます!  
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