kindyさん のコメント
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80年代からコラムやインタビューなどを通して、アメリカのプロレスの風景を伝えてきてくれたフミ・サイトーことコラムニスト 斎藤文彦 氏の連載「斎藤文彦INTERVIEWS」 。マット界が誇るスーパースターや名勝負、事件の背景を探ることで、プロレスの見方を深めていきます! 今回のテーマは 日本の女子プロレス史・前編 です!
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―― ブシロード傘下となったスターダムが女性ファン獲得に強い意欲を見せていますが、女子プロレスといえば10代の女性ファンが中心だった時代もありましたね。
フミ とくにクラッシュ・ギャルズ全盛時代はそうでしたね。後楽園ホールの超満員のお客さんは女の子ばかりで、まるで飛行機のジェットエンジンのような歓声。おそろいのハッピを着込んだ応援団。選手によって決められた色の紙テープを投げるタイミングも決まっていた。まるで宝塚歌劇団の世界でした。ですけど、その多くはプロレスファンじゃなかったんです。クラッシュ・ギャルズのファン。プロレスのことがあまりよくわかってなくて、アキレス腱固めに対して「落とせ!」コールの大合唱を送っていたんです。
―― アキレス腱固めは相手を落とす技ではないですね(笑)。
フミ クラッシュ・ギャルズ以前の女子プロレスの世界は男性ファンが中心だったんですが、もともと女子プロレスはどちらかといえば大衆芸能に近いジャンルで、スポーツとして認められていなかったんです。その始まりは1954年(昭和29年)、力道山・木村政彦vsシャープ兄弟という日本プロレスの夜明けの年と同じなんですね。
―― 歴史自体は日本の男子プロレスと変わりないんですね。
フミ そのルーツも民俗学的な議論の対象になったりはしているんです。プロレスそのものはアメリカからやってきたものですけど、日本の女子プロレスの場合は女相撲の流れを汲んでいるという学説もあって。女相撲にルーツを求めると17世紀まで遡ることになるんですが、女相撲は1930年代あたりまでは現存していたらしいんです。つまり日本が第2次世界大戦に突き進んでいった時代あたりまで。ただ、女相撲はスポーツとしては報道されてこなかったために記録や文献が少ない。現在の女性の自立、女性の活躍の歴史を探るために、女相撲を調べている方もいらっしゃるんですが、いかんせん資料自体があまり見当たらないんです。スポーツとして報道されたりしていれば、新聞の記事に試合結果が残っていたりしますよね。「◯月◯日にどこで試合があった」と。でも、大衆芸能寄りにカテゴライズされるものなので、競技としての記録は残ってなかったんですね。
―― あくまでも芸能として捉えられていたんですね。
フミ 女相撲の文献は、その末裔の方の親戚の家の押し入れの中に、写真や会場で配ったと思われるチラシが発見されたりする程度でした。 どうしてその女相撲が女子プロレスに結びつくかといえば、日本の女子プロレスは男子のプロレスの一部門から始まってはいないからなのです。
―― 女相撲といった大衆芸能の流れから生まれたものであるということですね。
フミ 言葉は悪いですが、どちらもドサ回り、つまり巡業公演をするものですからね。アメリカの女子プロレスのルーツをいえば、コーラ・リビングストーン、ミルドレッド・バークという人たちがいたり、みんなも知ってるファビラス・ムーラがいます。彼女たちが稽古をつけてデビューさせた女子プロレスラーも多かったんですが、あくまで男子の興行の中に女子の試合が1試合だけレイアウトされていただけ。あれだけ広大なアメリカという国でも、1940~50年代には女子レスラーの数は100名にも満たなかった。女子プロレスラーのなり手が少ないというよりはディスプレイされる場所がなかったということなのかもしれません。
―― 女子プロレス団体があればまた違ったんでしょうね。
フミ ミルドレッド・バークが1930年代から1940年代にかけてスーパースターになったのは、アメリカは第2次世界大戦でヨーロッパに百万人単位の兵隊を送っていたために男性の人口が減ってしまったというひとつの要因があった。プロレスも然りで選手が手薄になったところにミルドレッド・バークが全米でメインイベントを張っていたからなんです。日本で初めて力道山を主役としたプロレスが行なわれた1954年(昭和29年)11月に、そのミルドレッド・バークの一座が単独で来日して興行を行なっているんですね。 場所はGHQが接収したメモリアルホール(旧・両国国技館)。そこで3日連続1万人興行をやっているんです。来日したのはミルドレッド・バークを含めた6選手。そこに加わったのは、日本人初の女子レスラーと言われる猪狩貞子、法城寺宏衣らなんです。
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