「24時間前までに連絡をもらえれば、空港にすっ飛んでいって、さっき知らされたばかりの街に行き、さっき知らされたばかりの相手と、ファイトマネーも聞かずに戦ったものさ」
(文/高橋テツヤ Omasuki Fight 絵/ジャン斉藤)
ダン・スバーン(当時36歳)のUFCデビューは1994年12月16日、オクラホマ州タルサで行なわれたUFC4のワンナイトトーナメントだった。黒のトランクスと黒のブーツというプロレスラーらしいコスチュームで出場したスバーンは、1回戦でアンソニー・マシアスをベリー・トゥ・ベリー・スープレックス3連発からのチョークで105秒殺、2回戦ではカンフーマスターと謳われたマーカス・ボセットを52秒で締め落とすと、決勝戦でホイス・グレイシーと対戦した。スバーンはじつに60パウンドという体格差を活かしてホイスをいきなりテイクダウンすると、そこから15分間にわたって塩漬けにした(当時はラウンド制ではなく、試合は時間無制限だった)。ところがその塩漬けの最中に、PPVの放送時間が3時間に達してしまい、放送が終了してしまう。そして、PPVを購入していた12万件の視聴者にとっては意外なことに、試合の決着は放送終了後の15分49秒、ホイスが下からの三角で逆転勝ちしたのであった。
「あるマーシャルアーツの雑誌に、UFCが全面広告を出していて、NHBファイターを募集していた。そこで自分も申込書を書いて送ったんだ。ちょうどロサンゼルスでプロレスの仕事があって、ホーク・ウォリアーと戦ったときに、当時のUFCマッチメーカーだったアート・デイビーが試合を見に来てくれて、そのあと面接をしてくれたんだ。あのときのアートは開口一番、『うちはリアルファイトだと言うことはわかっているかね』と言っていたよ」
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