• このエントリーをはてなブックマークに追加

Tony Montanaさん のコメント

レスナーのドタキャンは新日本側の問題でお金を安く交渉したり、払えなかったりで契約違反したからでしょ。
(dropkickのサイモンインタビューより)
それなのに「プロレスの神様がいるんだったら一度でいいから助けてください」っていうのは、
あまりにもムシが良すぎる話。w
No.3
44ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長 小佐野景浩 の「プロレス歴史発見」――。今回のテーマは 「IWGP世界ヘビー級王座」新設 です! <1記事から購入できる連載記事! クリックすると試し読みできます!> 武藤敬司と秋山準、Wタイトル奪取&入団の衝撃 秋山準の“三冠外し”マイクとは何か 杉浦貴……いいときも、悪いときも、ノアで戦い続けた男 G1、チャンカン、N-1……秋の3大リーグ戦・総括 追悼ロード・ウォリアーズ SWSは企業プロレスだったのか 『ゴング』と東スポの元記者が語るプロレスマスコミ黄金時代/小佐野景浩☓寿浦恵一 名子役から名優へ…中嶋勝彦 デビュー戦から見た木村花というプロレスラー 小川良成…孤独と苦難から生まれた「孤高のテクニシャン」 新型コロナ禍の中のプロレス W-1活動休止、NOAH新体制、全日本はWWEと接近? 追悼“喧嘩日本一”ケンドー・ナガサキ 【14000字対談】小橋建太☓小佐野景浩「あの頃の全日本プロレスを語ろう」 新生NOAHは何が変わったのか? 獣神サンダー・ライガーと山田恵一 プロレス者の青春「竹内宏介とザ・マニアックス」 ケンドー・カシンの数奇で偏屈なマスクマン人生 日本のプロレスを変えた「浅井嘉浩」という男 革命戦士・長州力、笑顔でリングを降りる―― 追悼・青木篤志さん 望月成晃×小佐野景浩〜空手家がプロレスラーになるまで〜 三銃士、四天王、UWF、邪道…平成のプロレスを変えた5つの勝負 ジャイアント馬場没20年追善興行と飯塚高史引退試合 北尾はなぜ大成しなかったのか■柴田惣一☓小佐野景浩 マスコミ大御所第2弾 柴田惣一☓小佐野景浩 プロレスマスコミ大御所対談「スクープ合戦はガチンコの闘いだった」 多発するプロレスラーのケガを考える 愛すべき元横綱・輪島が戦った全日本プロレスの2年間 全日本プロレスの「うっかり八兵衛」が明かす全日本秘話 プロレスラーが憧れたプロレスラー、マサ斎藤さん あの日の全日本プロレス、SWSを語ろう■北原光騎×小佐野景浩 最後まで全日本プロレスを愛した馬場元子さん 中邑真輔、棚橋弘至、柴田勝頼……新・闘魂三銃士 最後のムーンサルトプレス……天才・武藤敬司 縁の下の力持ち!! 坂口征二の荒鷲人生 WARからイッテンヨンへ! ライオン・ハート時代のクリス・ジェリコ 「情」で生きる佐々木健介の激烈人生!   プロレスラーで初めて大臣になった男、馳浩 大森隆男のワイルドな全日本プロレスLOVE   暴走親方、諏・訪・魔!! 嗚呼、阿修羅・原……修羅ごときそのレスラー人生!! 冬木弘道は「俺はやっぱり死ぬんだな」とニヤリと笑った… 完全無欠のプロレスラー!! ジャンボ鶴田 超獣ブルーザー・ブロディ 【涙のカリスマ】大仁田厚の邪道プロレス人生 “四天王プロレス”の光と影――三沢光晴 癌に勝った絶対王者・小橋建太 “プロレス巨大組織”NWAとは何だったのか? 呪われたIWGPが最高権威になるまで 悲運の闘将ラッシャー木村、耐えぬき続けた人生  燃える男、アニマル浜口――!! “天龍番”が感傷に浸れなかった天龍源一郎引退試合 全日本プロレスを二度は裏切れない……」秋山準 馬場死去、三沢離脱……その後の全日本プロレス ジョー樋口、和田京平…全日本プロレスを支えたレフェリーたち  我らが英雄ザ・ファンクスの凄み!  猪木を超えられなかった藤波辰爾――プロレス職人と野心の時代 レスラーの野心が謎を生み出す……SWSに狂わされた男たち! 「俺のほうがUWFより強い!」 誇り高き仮面貴族ミル・マスカラス プロレス史上最も過酷な闘い! G1クライマックス 『週刊ゴング』の創刊と休刊まで……闘いのゴングはこうして鳴った! 80年代タイガー、90年代ライガー! ジュニアヘビー級の歴史!! “リングの現実”に殉じたNOAHの栄枯必衰 昭和のプロレスを支えた影の実力者! さらば永源遥――!! 史上最も愛されたヒール! 黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー 輪島、北尾、曙……プロレスラーになった横綱たち!! 全日本プロレスのすべてを知る男、渕正信 鈴木みのるを変えた“全日本プロレスイズム” 高山善廣が「帝王」と呼ばれるまで 「プロレス取材の難しさ」 一寸先はハプニング人生! アントニオ猪木!! オシャレでスマートな昭和の頑固親父! グレート小鹿 ―― 小佐野さん、今回はIWGPヘビー&IWGPインターコンチネンタル王座が統一されて「IWGP世界ヘビー級王座」が新設されたことについて聞かせてください。飯伏幸太がそのIWGP世界ヘビー級の初代王者として認定され、IWGPインターコンチネンタル王座は封印されたことにファンからは賛否の声が挙がっています。 小佐野  飯伏幸太がベルトを2つ持った時点で「今後どうやって防衛していくのか」という話は出てくるよね。別々に防衛戦をやっていく手もあるだろうけど、飯伏に挑戦できるなら皆IWGPヘビーのベルトが欲しい。 そうするとインターコンチのほうはどうなるの? というモヤモヤがある中で、飯伏が「ベルトを統一したい」と言い出したのは自然の流れなのかなと。  ―― 全日本プロレスのようにインター、UN、PWFを「三冠王者」としてまとめちゃったケースもあるじゃないですか。あの三冠統一はどういう経緯だったんですか? 小佐野  あの三冠統一は確たる理由はなかったんですよ。  ―― えっ、なかったんですか!? 小佐野  統一されたのは89年でしょ。 その前年から統一に向けての試合はたびたび行なわれていて。鶴田さんがインター、 天龍(源一郎)さんがUN、 スタン・ハンセンがPWFのベルトをそれぞれ持っていたんだけど、「3人のチャンピオンの中で誰が一番強いのか?」という流れから始まって、天龍さんがハンセンから PWFを奪って2冠に。そして鶴田さんに勝ってインター王者になった(ブルーザー・)ブロディと天龍さんが三冠統一戦をやったんだけど決着がつかない。最終的にブロディを破ってインター王者に返り咲いたジャンボ(鶴田)が天龍さんからUN&PWFの2冠を奪ったハンセンに勝って三冠統一したんだけど。当初はマスコミも「三冠統一王者」という認識ではなかった。それぞれ「インターは何度目の防衛、UNは何度目の防衛……」という公式記録がついていて。  ―― ということは、当初は「初代・三冠統一王者」ではなかったんですね。 小佐野  そう。ジャンボの初防衛戦のときも「三冠統一王者」という扱いではなかった。そのあと天龍さんがジャンボに勝って三冠王者になるんだけど、 そこから初代がジャンボで、2代目が天龍さん……ということになり、三冠王者として防衛戦がカウントされていった。 ―― それは全日本プロレスが公式に三冠王者として認めたんですか? 小佐野   そこは覚えてないんだけど……バラバラに防衛するんではなく、統一していくんだという流れになったね。 ―― そこはなんとなく……って感じだったんですね。 小佐野  世界タッグ王座のベルトはインターナショナル・タッグとPWF世界タッグを統一したものなんだけど、このときはちゃんとした発表があったんです。NWAとPWFの了解を得て「両団体が認可する世界タッグ王座にします」と。三冠のほうは謎なんだよね。3本のベルトでそれぞれタイトルマッチをやったほうが興行的にはいいでしょ? たとえば、ひとつのシリーズの中で大阪でPWF、福岡でUN、東京でインターの防衛戦ができる。それなのになぜ三冠を統一したのかは、すごく不思議なんですよね。 ―― 現場の小佐野さんでさえ謎だったと。それぞれのベルトの権威が失われつつあったりしたんですか? 小佐野  それはなかったかな。 そもそもベルトよりも選手の価値のほうが高かったから。鶴龍にハンセン、ブロディ。 彼らがチャンピオンでいるわけだからベルトに寄りかからないで試合ができたわけだよね。 ベルトの格でいえばインター、UN、PWFの順だったかな。 インターは伝統のあるベルトだし、 UNはアメリカから持ち込まれたもので。 PWFはお手盛りなんだけど、力道山家から譲られたベルトで初代がジャイアント馬場。  ―― しかし、三冠統一に馬場さんはどういう思惑があったんですかね。 この続きと、アポロ菅原最終回、宮田和幸、橋本宗洋批判、佐伯繁、AKIRA…などの3月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める 「12万字・記事20本の詰め合わせセット」 はコチラ https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2009452 この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事100円から購入できます!  
Dropkick
プロレス格闘技マガジン『Dropkick』公式チャンネルです。【更新コンテンツ】スペシャルインタビュー/斎藤文彦INTERVIEWS/小佐野景浩の「プロレス歴史発見」/プロレス点と線/OMASUKI FIGHT/アカツキの『味のプロレス出張版』/大沢ケンジ/二階堂綾乃/オレンジ色の手帳/中井祐樹日記/ジャン斉藤……のコラムなど。週一の音声配信もやってます!