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ストライクフォース20年の歴史は、1月12日のオクラホマシティ大会開催を告げる2012年12月20日付けのプレスリリースの中の「これがShowtimeがお送りするストライクフォース最後の大会になります」という1行で終焉することとなった。
1986年頃、まだ大学卒業したばかりだったスコット・コーカーは、ISKAブランドのキックボクシング大会のプロモーションを行ない、試合映像をスポーツ専門チャンネルESPNに販売するという事業を始めた。やがてK-1のラスベガス大会もプロモートするようになり、ついには1992年に自らのキックボクシングのプロモーション、ストライクフォースをカリフォルニア州サンホセで旗揚げする。90年代半ばまでには、ストライクフォースは5,000人規模の会場をほぼ満員になるようになった。その頃の観客動員を支えたのは、サンホセでローカルスターになっていたカン・リーの存在であった。
1972年にベトナムのサイゴンで生まれたリーは、ベトナム戦争サイゴン陥落の3日前に、母親とともにヘリコプターでサイゴンを脱出、サンホセにたどり着いた。中国武術の散打、散手、武術太極拳の世界チャンピオンであったリーをローカルスターに仕立て上げようと、コーカーはリーに、経験の浅いキックボクサーとの試合やスペシャルルールでの試合を組み続け、リーも華やかな回し蹴りや突きでKOの山を築いた。
MMAのパイオニアの1人、フランク・シャムロックは1997年にサンホセに移り住んできた。引っ越しの理由はもっぱら恋人と暮らすためであった。その頃のシャムロックは初代UFCミドル級チャンピオンに君臨していたが、当時はUFCの暗黒時代で、テレビやPPVから閉め出されていた状態で、UFCはいつ倒産してもおかしくない状態だった。そこでシャムロックは、自らのMMAプロモーション立ち上げを画策して、投資家を探していた。一方のコーカーはESPNとの契約が切れ、新しいビジネスパートナーを求めていた。そこで彼らは共同で、カリフォルニア州でのMMA解禁をもとめるロビー活動を行い、MMAが解禁されると、州内で初のMMA大会をストライクフォースとして開催する運びとなった。2006年3月10日、会場はHPパビリオン、目玉はメインイベントの「フランク・シャムロック vs. シーザー・グレイシー」、ならびにカン・リーのMMAデビュー戦であった。
ネット上の前評判は芳しいものではなかった。いくら「シャムロック vs. グレイシー」をうたってみても、それは本物のシャムロックでも本物のグレイシーでもなかった。寝技の経験のないリーには、MMAで多くを期待できないという声がもっぱらだった。しかし、シャムロックがローカルメディアをきめ細かく回ってグレイシーとの因縁を煽り続けた結果、前売り券が急伸。ふたを開けてみれば観客動員18,265人、有料観客数17,465人といずれも北米新記録を樹立、5,000人以上が入場できずに家に帰るしかない過熱人気となった。シャムロック以外はローカル選手ばかり、宣伝活動も地元限定でしか行っていないこの大会での観客動員は、MMA他団体にとってもプロレス団体にとっても、衝撃の事件であった。最高の盛り上がりの中、メインイベントでは、セコンドでシーザー・グレイシーの教え子のディアス兄弟、ジェイク・シールズ、ギルバート・メレンデスらが見つめる中、シャムロックが当時40歳のグレイシーを21秒で秒殺してみせた。この大会の有料観客数は現在でもアメリカでのレコードである。
成功の理由はマッチメーキングの妙にあった。地元の英雄がよそ者を迎え撃つ、という構図を徹底して作り出したのだ。この大会ではシャムロック、リーのほか、ベイエリア出身のネート・ディアズ、メレンデス、元プロレスラーのダニエル・ピューダー、胸毛男ブライアン・エバソール、マッチョマン・マイク・カイルら地元選手が外敵相手に次々に勝利を収めた。唯一敗戦した地元選手はジョシュ・トムソンで、その対戦相手はシカゴから来た永久電池男、クレイ・グイダであった。
同年12月には、ストライクフォースで初の女子戦が行われた。ここでも、サンホセ出身のベビーフェイス、エレーナ・マックスウエルが、お尋ね者の悪党ジナ・カラーノを迎え撃つというのが最初の構図であった。激闘を制したカラーノが、その後サイボーグ戦まで続くブームを作り上げていくことになる。
ストライクフォース崩壊のきっかけは2つある。1つは、地上波CBSが中継した2010年4月17日のナッシュビル大会である。対戦カードは「ダン・ヘンダーソン vs. ジェイク・シールズ」「ゲガール・ムサシ vs. キング・モー」「ギルバート・メレンデス vs. 青木真也」であった。
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コメント
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K-1の旗揚げって93年ですよね。ラスベガス大会ってもっと後だと思います。あと、ヒョードル獲得~M-1との合同興行も寿命を縮めたバクチの一つかと。