元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩が90年代のプロレス界を回顧する「プロレス歴史発見」。第3回は「その後の全日本プロレスvsSWS」「新日・全日の企業防衛」「SWSの派閥争いが生んだ北尾光司の八百長発言」……イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」の出張版つきでお届けします!


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■元『週刊ゴング』編集長・小佐野景浩
「ジャイアント馬場vs天龍源一郎」とは何だったのか

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4コマ漫画の続きは本編で読めます……


――小佐野さん! 天龍さんと全日本プロレスは当初は“円満退団”ということでしたが、そのムードが変わっていったのはSWSによる“選手引き抜き”でした。小佐野さんは前回のインタビューで、天龍さんが全日本プロレスの選手引き抜きを画策していたわけではなかったとおっしゃってましたね。

小佐野 天龍さんが声をかけたのは、全日本で付き人だった折原(昌夫)だけかな。あとはいないですね。

――天龍同盟の冬木(弘道)さんや川田(利明)さんにも? 

小佐野 かけてない。三沢(光晴)と飲みに行ったとき酔っ払って「全日本でいくらもらってるんだ?ウチに来るか?」なんて冗談を飛ばして、あとで「あの話は酔ってからなしね」と電話したそうですけどね(笑)。天龍さんからすると、新しく団体を立ち上げたところでうまくいくはわからない。他人の人生にはさわれないから、声をかけなかったということですよね。

――あの当時の新団体旗揚げはかなりのチャレンジですよね。

小佐野 馬場・猪木がプロレス界を支配していた時代ですよ。前田日明のUWFが奇跡的に成功してたくらいで。だって普通に考えたら川田や冬木に話をして、天龍同盟としてSWSに行ったほうがよかったんだから。そのほうがかっこよく出られたわけだし。

――そんな天龍さんからすると、あとから全日本の選手が続々とSWSに来たことに驚いたんじゃないですか。

小佐野 自分の知らないあいだに選手がたくさんやってきたわけだからね。おそらくね、北原(光駒)や冬木さんは天龍さんには「SWSに行きたい」とは言ったと思うよ。北原はカルガリーの海外修行から帰ってきたばっかりで、本当は天龍同盟に入りたかったんですよ。だからSWSにいつ行こうか悩んでいたんですよね。そんなときに全日本は全選手に新しい契約を提示したんですよ。契約金つきで2年間拘束。

――それはSWS来襲を受けて選手を契約で固めようと?

小佐野 そう。その契約書にサインをしてしまったら2年間はやめることはできない。そこで北原は「サインはできません」と拒否したんです。

――逆に決断を促してしまったんですねぇ。SWSの年俸はそれくらい魅力的だったんですか?

小佐野 それ以前に北原は全日本では外様でしたから。谷津(嘉章)さんを慕ってジャパンプロレスに入ったけど、ジャパンがダメになって首を切られそうになったときに天龍さんや阿修羅(原)の付き人として拾ってもらったようなもんだから。

――冬木さんも外様ですね。

小佐野 国際プロレスだからね。普通の会社にも派閥があるじゃないですか。派閥の長が失脚したら「自分も左遷されるかもしれない」と考えちゃいますよね。そうなると、大将の天龍さんがいなくなってしまったいま、彼らは「このまま全日本にいても……」という気持ちは出てきますよね。あのとき全日本の合宿所から飛び出した北原や、折原を取材したんですけど。菊地毅が「なんで出て行くんだ!?金に困ってるだったら俺が貸してやるから!」って泣きながら止めたらしいですね……

――同じく外様の谷津さんは当初は残留気配でしたが……

小佐野 谷津さんはスティーブ・ウイリアムスのバックドロップでケガをしてその治療費の問題がきっかけだったんじゃないかなあ……。その頃、ボクは夏休みを取ってハワイに行ってたんで詳しくはわからないんですよね(笑)。

――ハハハハハハ! 休暇にハワイは馬場イズムですね(笑)。

小佐野 日本に帰ってきたら「谷津がやめたからコンタクトを取ってくれ」と言われたんですけど、当時は携帯もないじゃないですか。捕まえるのが大変だったんですよ。

――のちにSWSの現場責任者になるカブキさんのことも天龍さんは誘ってないんですか?

小佐野 天龍さん全日本最後の試合となったジャンボに負けた夜、天龍さんとカブキさんは一緒に飲みに行ってるんです。そこで全日本を辞めることを伝えたんですけど。カブキさんは「俺も連れて行ってくれ」と言ってるんですよ。

――カブキさんも全日本の居心地はよくなかったみたいですね。

小佐野 カブキさんは馬場さんやジャンボとそりが合わなかったから「源ちゃんがいないんだったら全日本にいても仕方ない」と思ったんでしょうね。でも、天龍さんからすれば「高千穂さんには家族がいるから……」と。

――どうなるかわからない新天地には誘えなかった、と。

小佐野 それにそのときは天龍さんは全日本はやめるけども、メガネスーパーと完全に話がついたわけじゃないから。まだなんともいえない状況だったんですね。で、カブキさんはSWSに行きたい選手が全員出て行ったあと最後にやめた。

――カブキさんが最後まで残っていたのはどういう理由なんでしょうか?

小佐野 カブキさんは日本プロレス末期、団体をやめようとした選手がボコボコに制裁されたところを見てるから。SWSに移る選手が何事もないのを見届けたかったんでしょう。

――当時の団体移籍は修羅場だったんですねぇ……

小佐野 みんながやめてから、カブキさんは全日本で1シリーズだけこなしたんです。そこでジャンボと世界タッグのタイトルを獲ったけど、シリーズが終わったらベルトを返上して離脱。

――カブキさんはおかしな離脱だと思ったんですよね。世界タッグのタイトルを獲ってるのに。

小佐野 シリーズ最終戦の翌日、全日本事務所でギャラの支払いがあったんですけど。カブキさんはその場で「辞めます」と伝えたんですよね。

――カブキさんは契約を結び直してなかったんですかね?

小佐野 うーん、そこらへんはわからない。その頃ね、全日本からSWSに行く選手の情報はボクのところには入ってこなかった。『週プロ』には入ってた。なぜなら馬場さんが当時『週プロ』の編集長だったターザン山本氏に「アイツはやめる」「コイツもやめる」って情報を流していたから。

――当時の馬場さんと『ゴング』の関係はよろしくなかったんですか?

小佐野 仲が悪かったわけではないですけどね。ただ、ボクは全日本担当で天龍さんと仲が良かったから「小佐野は知ってるだろ」と思い込んでたんでしょうけど。でも、ボクは全然知らなかった。

――そのすれ違いは面白いですね。

小佐野 まさか選手本人に「やめるの?」と聞くわけにはいかないでしょ。ただ、天龍さんがやめた翌日、川田には電話したんですよ。「どうするの?」って。でも、SWSはだんだんデリケートな問題になってきたから。

――へんに嗅ぎまわってると思われるのはマズイですよねぇ。

小佐野 だから三沢が教えてくれた。三沢は全日本に残ることは決めてたけど、天龍さんとも仲は良かったし、ボクのことを天龍さんのスパイだとは思ってなかったから。あの頃はまだタイガーマスクだったから「タイガー」って呼んでたのかな。「タイガー、どうなってるの?」って聞いたら「●●は行くと思うよ」「川田は行かないと思うよ」と。

――あそこで残留を決意した川田さんにはどんな考えがあったんですか?

小佐野 川田は天龍さんがやめた翌日、全日本事務所に招集されてるんですよね。たぶん馬場さんから「おまえはこれからの全日本に必要だ」と頼まれて腹をくくったんでしょうね。あと天龍さんのあとについていっても、ずっと天龍さんの下じゃない。

――全日本に残れば、天龍さんが抜けた行けますよね

小佐野 SWSのプレ旗揚げ戦が福井であったのは929日なんですよ。同じ日に全日本プロレスジャイアントシリーズ開幕戦が後楽園ホールであったんですけど。川田はそこで始めて天龍カラーの黒と黄色のコスチュームで登場してるんですよね。

――ドラマを演出しますねぇ(笑)。

小佐野 川田の中で思うところがあったんでしょうね。本人は「自分の好きな色だから」と言い張るけども。

――小佐野さんは選手層が薄くなった全日本はどうなると思いましたか?

小佐野 潰れるとは思わなかったけど……三沢が武道館大会でジャンボに勝ったあと、後楽園ホールでワンナイトスペシャルという日本人だけの興行があって。セミで川田vs小橋のシングルマッチを20分近くやって、メインで三沢&田上&菊地vsジャンボ&渕&カブキの試合が30分近い激闘をやった。その試合にファンが熱狂してる姿を見て「これはいけるんじゃないかな」と思えたんです。

――新しい全日本プロレスのかたちが見えたんですね。

小佐野 やっぱり武道館のジャンボvs三沢のシングルマッチが大きいですよね。

――ファンを大熱狂させたうえで三沢さんが鶴田さんに勝つという番狂わせ。

小佐野 結局ジャンボvs天龍を超えるものを作るしかなかったんだけど。正直、ボクの目から見て「三沢はまだ厳しいんじゃないかな……」と。まだジャンボとは釣り合い取れなかったし、ジャンボがまともに相手にするかどうかわからないじゃない。

――会社の浮沈が関わる試合だとわかっていても「格下に相手に……」という意識は拭えないもんですか。

小佐野 と思っても仕方のないくらい三沢と格は違いましたよね。馬場さんはそこでジャンボのプライドを凄く考えたと思う。とくに三沢はジャンボの付き人だったわけだから。たとえば天龍革命のときだって、天龍さんからすれば「ジャンボが振り向いてくれたから成立した」わけですよね。長州力の噛ませ犬発言だって、振り向いてくれた藤波さんに長州さんが感謝してるわけだから。

――それくらいジャンボ鶴田の存在は大きかったわけですね。そうやって盛り上がっていったわけですから、全日本担当だった小佐野さんとしても新生・全日本は取材しがいがあったんじゃないですか。

小佐野 ……それがSWSの騒動の中で、ボクは全日本の事務所に行けなくなってしまってね……。

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