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90年代のプロ格者であれば、初期FMWを支えたキックボクサー上田勝次のことは当然ご存知だろう。40代とは思えない分厚い身体、容赦のない蹴り、人生のすべてを悟ったかのような目つき。「上田勉」としてキックボクシングデビューした彼は、沢村忠が活躍したキックブームの最中、24歳のときに早すぎる引退。再び表舞台に姿を現わしたのは、FMWのリング。43歳のときだった。18年の空白のあいだ、上田はいったい何をしていたのか。キャバレーやノミ屋の取り立て、ヤクザとの大立ち回り、そしてケンカ相手の命を絶った右ヒジ……過激すぎる上田勝治の人生を1万字のインタビューで振り返る……(この記事は2016年に掲載されたものです)


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・【負けたら即引退試合SPの舞台裏】中村祥之「新日本プロレスに橋本真也の味方はいなかったんです」





――今日は上田さん行きつけのスナックで取材をさせていだきます。まだ上田さんはいらしてないですが……。

お店のママ 上田さんはカッコイイ人なのよ〜。こないだもね、お店に危ない人が来たの。そうしたら上田さん、「ここはおまえらの来るような店じゃねえ!!」って追い払ってくれて。

――カッコイイですね!

【上田勝次登場!】

――上田さん、今日はよろしくお願いします!

上田 ママのことも載せてやってよ。

――はい。たったいま上田さんの武勇伝を聞かせていただきました。

上田 あー、昔の話よ。

ママ いつものことよ(笑)。

――いつもなんですか(笑)。上田さんは現在70歳ですが、3・14大仁田厚興行でリングに上がりますね。

上田 家にね、サンドバックを吊るしてあるんですよ。そのサンドバックを蹴ったり、ウエイトをやったりね。いまでも毎日トレーニングは欠かしてないよ。試合が近づいたらもっと身体は絞るしね。

――とても70歳には見えない身体です(笑)。上田さんはもともとボクシング志望だったんですよね。

上田 そう、ボクシング。故郷の長崎から名古屋に出てきてね、働きながらボクシングをやったんですよ。でも、働き先の人間とうまくいかなくてね、19歳のときに東京に出てきて、中村橋のボクシングジムに通って。そのときは牛乳屋の配達をしながらボクシングをやってね。

――でも、ボクサーにはならなかったんですよね。

上田 ボクシングはね、試験(プロテスト)があってね、相手を倒したんだけど、ダメだったんですよ。そのときね、ひとりだけデカイ奴がいたんですよ。190センチ。そいつと当たったんですよ、自分。試験は基礎どおりにきちんとワンツーでやらなきゃいけないんだけど、中に入ってフックばっかやって。それで相手を倒したんだけども、テクニックが見られないということで不合格になっちゃってね。

――つまり暴れ過ぎちゃったわけですね(笑)。

上田 それで「ボクシングはもういいや!」って。それから後楽園のね、ボディビルセンターに行くようになったんですよ。21歳の頃ね。三島由紀夫とかも来てた。

――ボクシングはやめても身体は鍛えていたんですね。

上田 うん。で、アントニオ猪木が豊登と一緒にやってた東京プロレスに面接に行ったんですよ。新聞で新人レスラー募集してたから。

――プロレスは好きだったんですか?

上田 好きだったですね。子供の頃、テレビで力道山を見てたしね。渋谷のリキ・スポーツパレスにも見に行ってましたから。(グレート)小鹿さんや大熊(元司)もいたね。

――東京プロレスの面接で猪木さんに会ったんですか?

上田 会った。新宿のね、汚いビルに事務所でね。そこに行ったら猪木さんがソバを食べてましたよ。豊登はなんかイライラして部屋の中を歩きまわってね。「あとで連絡する」って言われたんだけど、そのまま東京プロレスは倒産しちゃったね。

――もしかしたら東京プロレスに入ってたかもしれないんですね。

上田 うーん、自分の身体が小さいから「ダメかな」って思ってたんだけど。それにあのとき自分はプロレスをボクシングみたいなもんだと思ってたから。

――ボクシングと同じく競技だと。

上田 そうそう。だから身体が小さくても強かったらいいんじゃないかって考えてたんだけどね。

――上田さん、強かったんですか?(笑)。

上田 強かった。

――腕に自信があったんですねぇ。

上田 それから東長崎のね、駅前に神社があって、そこに剛柔流という空手を習いに行ったんです。

――上田さん、やりたがりますね(笑)。

上田 その頃に「タイボクシングが空手が負ける」というニュースがテレビでやってたんですよ。そんときはね、キックボクシングなんかなかったから「そんなに強いのかな」って興味があって。ちょっと経ったらね、沢村忠とか出てきて「これは面白そうだな」って。それで野口ジムがある護国寺までバイクで行きましたよ。そうしたらね、いきなり沢村とスパーやることになって。

――いきなりですか?

上田 こっちも道場破りにいったようなもんだからね。そういうことを昔はけっこうやってたんですよ。「あそこに強い奴がいるぞ」「じゃあ行くか!」って。

――カジュアルな道場破りというか(笑)。

上田 野口ジムに行ったときは自分はボクシングしか知らないから、ヒザ蹴りを食らって倒されたちゃってね。そのままジム入門したんですね。

――沢村忠の「真空・飛び膝蹴り」が上田さんの人生を変えた。劇的な展開ですねぇ。

上田 あの頃の野口ジムはボクシングとキックを両方やってたから。初めは「ボクシングをやれ」って言われたんだけど、ボクシングは前のことがあったからね、キックをやることにして。3ヵ月くらいしか練習していないのに「タイで試合をしてこい!」って。俺と沢村と品田って奴の3人でね。で、タイでデビュー戦ですよ。相手はランカーで。

――沢村忠との即スパーもそうですけど、ハードルが最初から高すぎですね。

上田 2試合やったんですよ。チェンマイで1試合、ラオスで1試合。どっちも判定で負けたけどね。もうちょっと日本で経験してから行きたかったよね。で、タイから帰ってきたらキックが大人気になっちゃって。あの頃はどのテレビ局もキックをやってたでしょ。

――空前のキックブームでしたね。
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若かりし頃のキックボクサー上田勉


上田 浅草公会堂で帰国第1戦をやったんですよ。そんときは4ラウンドKOで勝って、それから何戦かして日本タイトル、東洋のタイトルも獲ってね。ブームだったから試合数が多いんですよ。月に3〜4試合はザラでね、ケガしたまんま試合をしたりしてね。

――月に3〜4試合! 

上田 あるとき40℃の熱があったから「試合を休ませてくれ」って頼んだんですけど、マネージャーがダメだって。その2週間後にもタイトルマッチも予定されててね。

――どんな超過密スケジュールなんですか!(笑)。

上田 熱が出てるのに無理して試合をやったんだけど、やっぱり身体が動かないんだよね。そうしたらね、マネージャーが「情けない試合をするな!」って自分の頭を叩くんですよね。それで頭にきちゃってね。次のタイトルマッチを最後に辞める覚悟をしてね、引き分けで防衛したんだけど、控室でベルトを叩きつけてね、それで終わりですよ。

――キックボクシングに未練はなかったんですか?

上田 未練……あったけど、もう仕方ないから。それから川崎でキャバレーやノミ屋の取り立てとかをやるようになって。


・キック引退後の危険な生活
・知らない間に決まったFMWデビュー
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プロレス格闘技業界のあらゆる情報に精通する「週刊プロレス事情通Z」のコーナー。今回のテーマはGLEAT離脱/NOAH好調/古舘伊知郎、再び/プロレス界は終わるです!(聞き手/非常ベル野郎)





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Zさん、師走のプロレス界に非常ベルが鳴り響いています!  GLEAT所属選手のCIMA、愛鷹亮、そして田村潔司エグゼクティブディレクター、吉野正人コミッショナーが年内で契約満了。団体を離れることに……。

Z まず愛鷹選手に関しては俳優業も始めることで、今後はフリーとしてGLEATに出る。CIMА選手はケガの影響で参戦できなかった大会分に関しては、2026年に繰り越し参戦する。CIMA選手と吉野氏は歩調を合わせた感はある。

――元ドラゴンゲート繋がりですね。

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定期的に「バービッグ戦や北尾戦のときの高田延彦だったらヒクソンに勝てたんじゃないか?」と議論になるプロレス界隈。柔術ライターの橋本欽也
さんがヒクソンの恐ろしさを語った記事を再録します(2016年12月に掲載したものです)


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【「1984年のUWF」】船木誠勝「えっ、そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ」





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クロン・グレイシーが所英男を破り、大晦日に川尻達也と対戦しますが、以前大好評だったグレイシー一族語りをあらためてお願いします!

欽也 俺ね、MMAって見ないんですよ。何一つ見ない。

――ブラジリアン柔術黒帯なのに?

欽也 そういう柔術家は多いと思う。でも、クロン・グレイシーのMMAだけは見るんですよ。これがビビアーノ・フェルナンデスのMMAだったら見ないですよ。

――ビビアーノもブラジリアン柔術の実績がありますよね?

欽也 ビビアーノは柔術のワールドチャンピオンだけど、地上波で試合が流れていても見ないなあ。

――でも、クロンのMMAだったら見ると。

欽也 それくらい柔術家にとってグレイシーは特別なんだよ。

――以前も説明してもらいましたけど、グレイシー柔術とブラジリアン柔術は別物なんですよね?

欽也 ブラジリアン柔術のルーツはグレイシー柔術なんだけど、UFCを始めたホリオン・グレイシーが「グレイシー柔術」の商標登録をしちゃって、たとえグレイシーいえども「グレイシー柔術」を名乗れなくなってしまった。そこで困ったカーロス・グレイシー・ジュニアが「ブラジリアン柔術」という名前を商標登録して、コンペティション(競技)として柔術をやりだした。いまグレイシー柔術を名乗れるのはカルフォルニアのトーランスにあるグレイシー柔術アカデミーだけ。そこではホリオンと、その息子のヒーロン、ヘナーが指導しているんだけどね。

――商標権の違いだけではなく、技術も違うんですよね。

欽也 グレイシー柔術はセルフディフェンスがベーシックなんだけど、ブラジリアン柔術黒帯の俺でも知らない技術が、あの道場にはあるんだよ。

――そこでしか学べない技術! 

欽也 そのヒーロンやヘナーが「ヒクソンからはまだまだ学ぶところがある」と崇めちゃうんだから。

――幻想あるなあ。

欽也 最近の格闘技ファンはグレイシーに幻想は抱いてないけど、90年代は凄かったじゃない?

――あの頃ってマスコミ同士のイデオロギー戦争が激しかったじゃないですか。格闘技マスコミは過剰にグレイシーを持ち上げるし、プロレスマスコミは過剰にバッシングするしで。ちょうどいいグレイシー評がなかったと思うんですね。

欽也 昔は佐藤ルミナや中井(祐樹)先生も「プロレスがなんだ!」ってボロクソ言っていたところにグレイシーが現れて、プロレスラーに勝ってグレイシーの名前を上げていったでしょ。UFCでホイスの活躍を見て柔術を始めた人たちからすれば痛快な出来事なんだけど。逆にプロレスファンからすれば、グレイシーハンターとしてPRIDEで活躍する桜庭和志が面白かったはずだよね。

――プロレス側からすると、グレイシーはワガママやりたい放題の大ヒールの扱いで。

欽也 俺はね、つい最近まで桜庭和志大嫌いだったんだよ!

――えっ、いつまで引きずってるんですか!(笑)。

欽也 こないだある仕事の件で初めて桜庭さんに会ったんですけど。「会うのがイヤだなあ」って思うくらい大嫌いで。桜庭さんは柔術をリスペクトしてる感じがしなかったし……。

――でも、会ったんですね。

欽也 思いのたけをぶちまけましたよ!

――熱い!(笑)。

欽也 だってあの当時のプロレスに対するドロドロした思いってあるじゃん。たとえば新日本プロレスのリングで、武藤敬司がルタリブレのペドロ・オタービオをポコポコパンチで殴って勝っちゃったことがあったでしょ?

――ボクはまだマスコミになる前でしたけど、現場で見て大爆笑しました(笑)。

欽也 ルタリブレ最強のひとりだったオタービオにそんなことをやらせるなよ……って残念で残念で。

――暗黒・新日本時代のトラウマから「格闘技はプロレスを食い物にするな!」とか言われるんですけど、じつはプロレスが格闘技を食い物にしてきた歴史のほうが長いんですよね。

欽也 そんな試合をちょっと前の新日本でやりかねなかったでしょ? ダニエル・グレイシーvs中邑真輔。「グレイシーを名乗る人間にオタービオみたいな目に遭わせないでくれ……」って祈る思いでしたよ!

――ククククク。

欽也 笑い事じゃないよ!(ドン)。そのことを桜庭さんに30分近く話したんだよ。

――桜庭さん、とばっちりですよ!(笑)。

欽也 桜庭さんは笑ってましたけど、こっちは真剣も真剣だから。最後は握手してツーショット写真を撮らせていただきました。

――ああ、無事に和解(笑)。

欽也 一方的にこっちがプンスカしてただけで、和解ではないけどさ(笑)。それくらい俺たちにとってグレイシーは特別な存在なんですよ。柔術をやってる人からすればグレイシーはスーパースター。プロレスファンからすればリスペクトじゃなくて蔑む対象かもしれないけど。

――そこはクッキリと分かれますよね。

欽也 でも、グレイシー一族がいなかったらブラジリアン柔術が世界中に広まっていないし、それこそMMA自体もなかったでしょ。「ない」とは言わないけど、かなり違ったものになってましたよね。

――お言葉ですが、「前田日明のおかげで総合格闘技がある説」をブンブン振り回す狂信的なプロレスファンも存在します。

欽也 それもおかしいよねっ!(怒)。

――ハハハハハハ!

欽也 プロレスファンはちょっとおかしいよ! 俺もプロレスファンでもあるんだけどさ(笑)。UFC以前の話を言えば、ブラジルにはバーリトゥードがあって、日本には佐山サトルのシューティング(修斗)があった。何もなかったアメリカでUFCが始まって、日本やブラジルの格闘家たちが集まってきてドンパチやり始めたわけでしょ。そういう意味では日本の総合格闘技は佐山サトルが始まりだと思うけど。

――グレイシーがいなかったらMMAは競技として確立しなかったでしょうね。ただ、UWFがなかったらここまで総合格闘技の人気は日本で出なかったとも思うんですよ。UWFは総合に重厚な物語性を持ち込みましたし、そこでグレイシーはプロレスの敵役として扱われて。

欽也 凄く誤解されてると思う。

――ヒクソンの親友・桜井章一の弟子であるボクでさえ、ヒクソンは胡散臭いと思ってましたし(笑)。

欽也 ヒクソンの全盛期って“神話の世界”なんですよ。どういうことかというと、1回目のヒクソンvs高田は98年だったけど、あのときのヒクソンって40歳手前でしょ。ヒクソンの全盛期って80年代なんだよ。

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