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【追悼】「斉藤仁先生はプロレスラーになりたかったんです」■小原道由のクレイジートーク
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【追悼】「斉藤仁先生はプロレスラーになりたかったんです」■小原道由のクレイジートーク

2015-02-16 00:00
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    前回のロングインタビューが大好評だった元・新日本プロレスの小原道由(http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar719107)。「まだまだネタがある!」ということで今回からレギュラー連載決定! 小原さんが活躍された90年代・新日本プロレスの話題を中心にお送りしますが、今回は先日急逝された斉藤仁先生について。ロサンゼルス&ソウルの五輪柔道金メダリストという輝かしい実績を持つ斉藤先生は、小原さんの国士舘大学柔道部時代の恩師に当たります。小原さんと斉藤仁先生の思い出話をお届けします。


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    ――
    小原さん! 前回のインタビューが大好評でしたので、今回からレギュラー連載でお願いします!

    小原 まだまだネタはありますよ! 

    ――90年代新日本プロレスのより詳しい実態なんかも期待してます。

    小原 最近はちょくちょくプロレスの会場にも顔を出してるんですけどね。武藤(敬司)さんのW−1でしたっけ。後楽園ホール大会に行ったときは控室で武藤さんに挨拶したんですよ。「いま何をしてるんだ?」って聞くから「人身売買です!」って答えたら、武藤さん本気にしちゃって無言で固まっちゃたんですよね(笑)。

    ――ハハハハハハ! 「やりかねない」と思われたんですかね(笑)。

    小原 年末は猪木さんのところ(IGF)と、正月は新日本の東京ドームを観に行きましたよ。

    ――どうでした?

    小原 IGFはプロレスルールと総合ルールに分けたりして凄くわかりづらいことをやってますよねぇ。猪木さんは「プロレスと格闘技を分けたことない」と言ってるのに。プロレスルールの試合もオマケみたいな感じで。小川(直也)と藤田(和之)も適当な試合だったじゃないですか。

    ――小川&ジョシュ・バーネットvs藤田和之&ミノワマンのタッグマッチですね。今回は藤田選手主導だから試合になりましたけど、いつもは小川選手のズンドコぶりがメインなんですよ!(笑)。

    小原 試合後の打ち上げパーティーで猪木さんにも会ったんですけど、なんだかボーっとしちゃってて元気がなかったですねぇ。

    ――元気が売り物なのに!

    小原 なんか背も縮んじゃってる感じで。180センチもなかったような……。

    ――アントニオ小猪木と間違えてません? いくらなんでも(笑)。

    小原 いやいや、本当ですって(笑)。なんか心配ですよ。新日本のほうはアメリカンナイズされていて、もう昔の新日本プロレスって感じではないですよね。

    ――放漫経営で味を落としたラーメン屋が、リニューアルしてメニューを工夫しているうちにいつのまにかパスタ屋になってる感じはありますね。

    小原 あー、そうかもしれないですね。しかし、棚橋(弘至)がトップに立つとは思わなかったですよ。

    ――かつて一緒に戦っていたレスラーからするとそういう認識なんですか?

    小原 棚橋の同期のKENSOのほうが可能性はありましたよね。KENSOのほうが身体も大きかったし。それに棚橋のプロレスを見ててうまいと思います? 動きがバッタバタしてるじゃないですか。

    ――小原さんは先輩だから厳しく見ちゃうんじゃないですかね?(笑)。

    小原 いやいや、そんなことないですよ。フラットに見てそう思いますよ。なんかね、棚橋は動きがスムーズじゃないんですよ。ドタバタしてて動きに無駄があるんですよ。だから、うまい人とやると動きの荒さが目立っちゃうんですよね。プロレスの試合そのものより、ファンが感情移入しやすいのかもしれないですけど。

    ――棚橋選手は暗黒時代からの新日本を背負ってきてますからね。

    小原 オカダ(・カズチカ)はわかるんですよ。「コイツは持ってるなあ」という感じがしますし。(中邑)真輔もトップになるのはなんとなくわかってましたけど、まさかあんな危ないキャラになるとは思ってもみなかったですよ(笑)。

    ――あのテンションは凄いですよね。

    小原 真輔はボクがPRIDEでヘンゾ(・グレイシー)とやったときにセコンドについてくれたんですよ。まだ真輔が学生のときですけど。

    ――青山学院大学レスリング部時代の中邑真輔。

    小原 マスクをかぶってセコンドにつきましたけどね。ホントはマスクをつけるはずじゃなかったんですよ。あのとき、いまは引退してるボクサーがセコンドについたんですけど、ほかの格闘技のセコンドにつくとボクシングライセンスを剥奪されちゃうんですよね。それで「じゃあ誰だかわからないようにマスクをかぶせるか」ってことになって。

    ――偽装工作だったんですね(笑)。

    小原 そうなんですよ(笑)。で、ひとりだけマスクマンは変なので3人全員かぶることになって。

    ――中邑選手がセコンドにつくきっかけはどういうものだったんですか?

    小原 ボクが青学にアマレスの練習に行ったときに知り合ったんですよ。それも新日本のラインじゃないところから通ったんで、真輔が新日本に入ることが決まってたなんて知らなかったんですよね。

    ――中邑選手の新日本入団は内定してたんですね。

    小原 真輔は京都出身じゃないですか。兵庫のほうが近いらしくて、新日本の兵庫大会があったときに中学生の真輔がお母さんと一緒に見に来たらしいんですよね。で、そのときにお母さんが間違えて平成維震軍の控室を開けちゃって。怒った俺が「テメエ、コラ!!」ってイスをぶん投げたらしいんですよね(笑)。

    ――お母さんの間違えもありえないですが、小原さんもどうかしてますよ!(笑)。

    小原 真輔は「あのときイスを投げられた人のセコンドにつくよ」ってお母さんに連絡したそうですけど。ボクはそのときのことをおぼえてないけど、真輔がそう言ってるんだからイスを投げたんでしょうね(笑)。
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