元・新日本プロレスの“狂犬”小原道由が吠えまくる連載インタビュー第3回。今回は海外遠征時代の思い出……道場破りも受けて立っていました!
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――今日は「プロレスラーの海外遠征」についておうかがいしますが、新日本若手時代の小原さんのヨーロッパ遠征はどうやって決まったんですか?
――総当りのリーグ戦ではなかったんですね。
小原 2試合やったのかな。あのときは新日本に入って2年目くらいで。ボクは身体ができていたこともあってデビューが早かったんですよね。4月に入って6月中旬くらいにはデビューしてましたから。
――かなり早いですよね。
小原 でも、べつに海外修行に行きたい気持ちはなかったんですけどね(苦笑)。結局レスラーは会社の命令に従うだけですから。
――行き先の候補はイギリス以外にあったんですか?
小原 当時はアメリカという選択はなかったですよね。WCWとWWEが牛耳ちゃってて、若い選手がそういった大きいところで試合はできないじゃないですか。
小原 あの頃はもうダメだったみたいですね。佐々木(健介)さんがカルガリーがいた頃はまだなんとかなったんですけど。あとはメキシコやヨーロッパしかなかったんですよ。メキシコはスタイル的に合わなかったんで、それでイギリスに決まったと思うんですけど。プロレスの世界ってアバウトじゃないですか。段取りっていうものがないんですよ。こっちは初めてイギリスに行くし、英語も喋れないのに、ただチケットを渡して「行ってこい!」ですからね(笑)。
――ハハハハハハ! 海外に出ているあいだ給料は出るんですか?
小原 いや、出ないですよ。現地で試合をして稼ぐんですけど。
――それだと生活するのが大変じゃないですか?
小原 イギリスに行く前に送別会をやってもらったんですけど、餞別が凄かったんですよ。全部で300万円くらい。
――ファッ!? 餞別だけでそんなに!
小原 送別会だけじゃなくて、いろんなところに挨拶して回ったらそれくらいの金額になったんですよ。あの頃はまだバブルが弾ける前で世間の景気がよかったですから。会場で誰かに挨拶すると5万円くらいポンとくれましたからね。
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