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元・新日本プロレスの“狂犬”小原道由が吠えまくる連載インタビュー第3回。今回は海外遠征時代の思い出……道場破りも受けて立っていました!
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①スターダム世IV虎vs安川惡斗は不穏試合ではない!!
②北原光騎が天龍引退に万感の思いを込めて「佐山シューティング、天龍同盟、SWS……」
③ビル・ロビンソン最後の弟子・鈴木秀樹「プロフェッショナルレスリングを大いに語る」
④Uと馬場を支えた黒衣の絵描き! 更級四郎 キミは「ほとんどのジョーク」をおぼえてるか?
⑤ご意見番・小原道由が世IV虎vs安川惡斗をぶった斬る!
⑥高校球児がアメリカに渡りUFCを目指すまで〜松田干城のボストン生活〜
⑦小佐野景浩×安西伸一 『ゴング』×『週プロ』天龍番だった男たち
⑧インディの聖地・新木場1stリングとは何か? 管理人を直撃!
⑨達人は実在する! 日本最後の幻想・柳龍拳ロングインタビュー
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――今日は「プロレスラーの海外遠征」についておうかがいしますが、新日本若手時代の小原さんのヨーロッパ遠征はどうやって決まったんですか?
小原 ヤングライオン杯で優勝してイギリス遠征という流れだったんですけど。ボクらの時代はヤングライオンの人数が少なかったんでワンナイトトーナメントだったんですよ(笑)。
――総当りのリーグ戦ではなかったんですね。
小原 2試合やったのかな。あのときは新日本に入って2年目くらいで。ボクは身体ができていたこともあってデビューが早かったんですよね。4月に入って6月中旬くらいにはデビューしてましたから。
――かなり早いですよね。
小原 でも、べつに海外修行に行きたい気持ちはなかったんですけどね(苦笑)。結局レスラーは会社の命令に従うだけですから。
――行き先の候補はイギリス以外にあったんですか?
小原 当時はアメリカという選択はなかったですよね。WCWとWWEが牛耳ちゃってて、若い選手がそういった大きいところで試合はできないじゃないですか。
――カナダのカルガリーはどうだったんですか?
小原 あの頃はもうダメだったみたいですね。佐々木(健介)さんがカルガリーがいた頃はまだなんとかなったんですけど。あとはメキシコやヨーロッパしかなかったんですよ。メキシコはスタイル的に合わなかったんで、それでイギリスに決まったと思うんですけど。プロレスの世界ってアバウトじゃないですか。段取りっていうものがないんですよ。こっちは初めてイギリスに行くし、英語も喋れないのに、ただチケットを渡して「行ってこい!」ですからね(笑)。
――ハハハハハハ! 海外に出ているあいだ給料は出るんですか?
小原 いや、出ないですよ。現地で試合をして稼ぐんですけど。
――それだと生活するのが大変じゃないですか?
小原 イギリスに行く前に送別会をやってもらったんですけど、餞別が凄かったんですよ。全部で300万円くらい。
――ファッ!? 餞別だけでそんなに!
小原 送別会だけじゃなくて、いろんなところに挨拶して回ったらそれくらいの金額になったんですよ。あの頃はまだバブルが弾ける前で世間の景気がよかったですから。会場で誰かに挨拶すると5万円くらいポンとくれましたからね。
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