Omasuki Fightの北米MMA抄訳コラム――今回のテーマは12・11UFCラスベガス大会で川尻達也と対戦するミアサド・ベクティックについて。ボスニアの戦火と難民生活をくぐり抜けてきた男の壮絶な半生!



川尻の対戦相手、ミアサド・ベクティックとは何者か

戦火と難民生活を生き延びたボスニアの希望の星


ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のさなかの1995年に発生したセルビア人によるムスリム系ボスニア人の大量虐殺事件「スレブレニツァの虐殺」―― 民族浄化の名目のもとに行われた、戦後の欧州で最大のこの虐殺では、わずか数日で8,000人以上が計画的かつ容赦なく殺害されたとされる。当時まだ3歳だったミアサド・ベクティックは、母親に抱かれて母国ボスニアを脱出、流浪の難民生活を強いられた。


母親がどのようにして子どもを守りながらスレブレニツァを脱出したのか、ミアサドは覚えていない。ただ、後で聞かされた話によれば、セルビア人はボスニア人の女性と子どもをトラックに詰め込み、難民を受け入れてくれるいくつかの国に放出したのだった。何千もの難民が、毎日のように海外に運ばれていった。


ミアサドは3人兄弟の末っ子だ。父親は戦死したと聞かされていた。母方の祖父母はストリートで狙撃手に射殺された。叔父も叔母もいとこもみな、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で殺された。母国を離れたベクティック一家が最初に向かったのはイタリアで、その後ほどなくドイツの難民キャンプに移された。ミアサドの記憶は5年間のドイツの難民キャンプ時代から鮮明となる。