イラストレーター・アカツキ@buchosenさんによる昭和プロレスあるある4コマ漫画「味のプロレス」出張版付きでお届け!
――前回のインタビューの最後にちらりと触れた「UWFインターナショナルの寮」の話が好評だったんです。
――最後は「続く」となってたんですけど、その寮の話の続きだと思ってるユーザーも多くて。
金原 ああ、みんなUインターの量の話を知らないんだ。『紙プロ』とかでしゃべったのはだいぶ昔だしね。
――10年以上も前のことですから。なので知らないユーザーに向けて、今回はUインター寮のお話をお願いします!
金原 わかりました。俺がリングスからフリーになって勝ち星から見放されて絶不調だったときって小泉(純一郎)さんが首相の時期なんだよね。だから小泉さんの顔を見るたびにあのつらい時期を思い出すんだけどさ。それよりつらかったのがUインター寮時代ですよ(笑)。
――勝ち星なしの6年間に匹敵するってどんな暗黒世界なんですか!(笑)。プロレス団体って厳しいもんだという認識はあったんですよね?
金原 ある程度は覚悟していたよ。寮には垣原(賢人)さん、リングスに移る前の長井(満也)さん、俺を含めた1期生が4人。全部で7人が住んでいたんだよね。
――垣原さんに長井さん、一期生4人。えっと、1名足りないんですけど……。
金原 一番上に寮長のTさんがいたんですよ(笑)。
――寮長のTさん!(笑)。
金原 Uインターの寮は、高田(延彦)さんが買ったばかりの新居だったんだよね。1回も住んでないのに寮として提供してくださって。
――新日本プロレス旗揚げのとき、猪木さんの新居を寮に改築しましたけど、高田さんも似たようなことやってたんですね。
金原 寮に着いたら「髙田」って表札があるんだよ。UWFインターナショナルの文字はどこにもないしさ、住所を間違えたのかなって(笑)。そこは普通の新築一軒家なんだけど、2階に2部屋、1階に広いダイニングキッチンがあって。先輩方は2階の部屋にいるんだけど。寮に入るときに「布団だけ持って来なさい」と言われて。そのあと新弟子がたくさん入るんだけど、ほとんどがつらくなって逃げるでしょ。新弟子たちの布団だけが寮に残るから、そのうち「布団も持ってこなくていい」ってことになって。
金原 Uインターの旗揚げが5月で、その前の3月に入門したんだけど。当時は道場もなかったんで、寮の近くの大きな公園でみんなでヒンズースクワットや腕立て伏せ、ダッシュなんかをやって。練習がキツイのはいいんだけど、寮生活が本当につらくてね。たとえば寮長はテーブルでメシを食うけど、下々の者はちゃぶ台を出して食うんだよ(笑)。
――江戸時代の丁稚奉公みたいですね(笑)。ダイニングキッチンのテーブルは小さいんですか?
金原 大きいよ。7〜8人は座れるけど、そのテーブルで食べていいのは、寮長と垣原さん、長井さんもかろうじて「おまえもいいよ」って感じで。練習生ならそういう格差があっても仕方ないんだけど、俺はデビュー以降もちゃぶ台だったからね(笑)。
――デビューしても、ちゃぶ台!(笑)。
金原 「下で食ってろ!」って言われてね。風呂も寮長から順番通りに入るのはわかるんだけど、練習で汗をかいてるし、汚れてるからみんな早く入りたいでしょ。でも、寮長がなかなか風呂に入らないんだよね。真夜中に入ったりするんだよ(笑)。
――寮長が風呂に入るまでみんな待ってるんですか?
――ハハハハハハハハハハ! 打ち首モノですね(笑)。
金原 湯船の汚れをすくって何食わぬ顔で「お風呂、沸いてます!」って伝えてね(笑)。そうでもしないと、いつになってもお風呂に入れないんだよ。
――なかなか風呂に入らないのは、寮長の嫌がらせなんですかね?
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