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岡田斗司夫のニコ生では言えない話
 岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2016/11/28
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おはよう! 岡田斗司夫です。

今回は『この世界の片隅に』について、ネタバレなしでお話します。

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「『この世界の片隅に』が、すごすぎる理由を解説!(ネタバレはありません!)」


 この作品の監督は片渕須直さん。
 ジブリ作品『魔女の宅急便』を下ろされた人です。

 別に宮崎駿に下ろされたわけじゃないんですけどね(笑)。

 最初、『魔女の宅急便』は片渕さんで進行してたんだけど、スポンサーが「宮崎駿でないとダメ」ってことで引き摺り下ろされた。

 その時に鈴木敏夫が「あんたは最後までいなきゃだめだよ」てことで、演出補で参加してフォローした。

 36歳で『名犬ラッシー』を作って、41歳で『アリーテ姫』を作ったという遅咲きなんだ。

 それまで青春期の才能を、宮崎駿とスタジオジブリに吸い取られた。
 そんな僕的には不運だと思う56歳。

 『名犬ラッシー』は良かったんだけどね。

 僕は娘が小さい頃一緒に見てたんだけど、「上手いな」って思いながら見てたから。

 それで片渕監督は、主人公の『すず』というキャラクターを、ずっと「すずさん」と言ってるんだ。
 それくらい「実在するもの」として扱っている。

 それはひとえに、この『すずさん』っていうキャラクターを、実在させる、信じさせるため。
 その為に、3つのポイントを立てたって言ってるんだね。

 ひとつめは、徹底した現地取材。
 広島の街とか、呉(くれ)の街の現地取材がすごい。

 これまでのアニメでも、いわゆる聖地ってあるじゃん。
 ある地方都市とかを、すごくちゃんと背景を描いたので「そこが聖地になりました」というやつ。

 申し訳ないけど、それがバカみたいに見えるくらい、描写がすごかった。
 その時代にタイムスリップして行ったとしか思えないくらい。

 だってもう存在しないわけだよ。
 
 広島なんか原爆で消えちゃった街だし、呉もB29の爆撃でほとんど街が燃えちゃったんだ。
 だから、今はもう僕らが見ることができない街を、あらゆる資料を調べて存在させたんだよ。

 その描写がものすごい。

 なんでそこまでしたかというと、ひとえに「ここに、すずさんがいたんだ」「この橋の欄干を、さわったかもしれないんだ」というのを観客に信じさせるため。
  その為の、膨大な取材なんだよね。

 だからご飯の炊き方とか、竈(かまど)の火のおこしかたとか、これまでジブリのアニメでもやったような描写あるんだけど、そういうジブリの自然主義がつまらなく見えちゃう。

 ジブリの描き方っていうのは、「昔は風呂釜の炊き方は、こうだったんだよ」って子供に教える炊き方なんだよね。

 「昔はこうだったんだよ。」
 「ほらほら手作りで素晴らしいでしょ。」
 そんな教える描き方がジブリなんだ。

 だけど『この世界の片隅で』の描き方は、キャラクターの存在を信じさせるための描き方なんだ。
 だからレベルがぜんぜんちがう。

 たとえば『となりのトトロ』って、トトロとかネコバスが空を走るシーンはすごいじゃん。
 あれは、トトロやネコバスが存在していることを、宮崎駿が信じてるからだよね。

 その「信じてること」を伝えるためだったら、宮崎駿のパワーが最大限に出る。

 だけど「昔の火はこうだったんだよ。」「昔の家庭はこうだったんだよ。」「昔のご飯の作り方はこうだったんだよ。」と、教える立場になっちゃうと、急にアニメーションの熱量が下がっちゃう。

 だから、キャラクターを信じさせるための背景描写とか、自然なアニメーションがとにかくすごい。

 あと仮現運動。
 これは心理学用語なんだけど、すずさんを現実化させるふたつめのポイントなんだよね。

 点がふたつ点滅して交互に点いたり消えたりしていると、人間の目にはコレが動いているように見えて残像まで見えてしまう。
 こういう見えてないものを補完して、動いてるように見えるのを『仮現運動』と言うんだ。

 アニメーションの原理って、この『仮現運動』でできてるんだよね。

 これまでのアニメーションは、ロングレンジの仮現運動でできている。
 だから、中抜きというのが存在する。

 中抜きっていうのは、原画で大きい人間の動きをやった時に、本来は動画で埋めるべきところを、途中でわざと抜いちゃう事。

 そうすると、スピーディに動いているように見える。

 これの一番シンプルな例が『もののけ姫』のサンの戦いのシーン。
 一番最初に、サンがエボシ御前と戦うところ。

 ナイフを抜いてさっと腕を振る。
 その時に、腕が伸びているところの腕を描かずに、ナイフの先だけを空中に描くんだ。

 そしてここ(サンがナイフを自分の胸に引きつけているところ)は、ちゃんと描く。
 腕を伸ばしたところは描く。

 ところがこの途中の空中は腕を全く描かずに、ナイフの刃だけを描くんだよね。

 そうすると人間は、残像でナイフが一瞬光ってるように見えて、ここの動いている間を脳が補完して見えてしまう。

 こういうのを片渕監督は、「ロングレンジの仮現運動」と呼んでるんだ。

 つまり、こういう大きい動きの仮現運動というのは、アニメーションでは、よくやられている。

 だから日本のアニメーションはフルアニメでぐねぐね動くのではなくて、中抜きしてるアクションシーンがスピーディで、かっこいいと言われるんだ。

 ところが、『この世界の片隅に』で使われたのは、ショートレンジの仮現運動。

 人間のものすごい細かい小さい動きを、あえて中に作画をいっぱい入れることによって、人間の目に残像現象を起こす。
 そんな実験をやってる。

 それが冒頭の行李(こうり)っていう大きい荷物を、すずが担ぐシーン。
  すごくゆっくりした動きをしているんだけど、めちゃくちゃリアルに動いているように見える。

 あと、動きが可愛らしいんだよね。

 この辺、あえてロングレンジの仮現運動でなくてショートレンジの仮現運動をしたというのは、宮崎駿へのアンチとも言える。

 日本アニメの、これまでやってなかった領域への、挑戦とも考えられる。

 作画の指示も、仮現運動の思想を徹底してるんだ。
 インタビューで監督が言ってたんだけど、たとえば箸を取るシーン。

 よく見てくれたらわかるんだけど、日本のアニメだとお箸を取ったら次の瞬間は、もう箸が正しく持てている。
 これがふつうのアニメーション。

 だけど『この世界の片隅に』ではショートレンジの仮現運動の思想だから、ふつうのアニメではやらないことをやってるんだ。

 お箸を持ったあと、お茶碗を持ってる手で押さえて、持ち替えるじゃん。
 これが正しい箸の持ち方。

 これを、わざわざやってる。

 そんなことをやってるもんだから、アニメーションとしての表現がとんでもないところに達している。
 だからアニメ好きには見て欲しい。

  ショートレンジ仮現運動思想によるアニメーションの新たな領域に入ってしまった、リアリティの追求です。
 これがふたつめです。

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岡田斗司夫
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