『この世界の片隅に』は、主人公『すずさん』を実在の人物だと観客に信じ込ませるために、3つのポイントをたててました。
ひとつめのポイントは、キャラクターを信じさせるための綿密な取材と背景描写。
ふたつめのポイントは、ショートレンジの仮現現象による目の残像を応用した、新しい作画の領域。
みっつめが、声優の『のん』
もと能年玲奈だよね。
この『のん』の演技って、誰が見てもむちゃくちゃ褒めるんだよ。
僕も「なんでだろう?」と思ってたんだ。
すずって主人公は、絵で見ると幼そうに見えるんだけど19歳なんだよね。
19歳で嫁入りして、20歳くらいまでの話なんだ。
だけど、愚痴も言わずに、義理のお姉さんのいじめにも耐えて、どうしてもいい子に見えちゃうんだ。
「文句を言わずに現実逃避する、弱い人間」として登場してるんだ。
「お義姉さんとかに逆らわないのは、この子が弱いから」というのは、作画じゃなくて声優の演技力なんだよ。
ストーリー進行につれて、『のん』の内面や演技が、どんどん変わっていく。
それはちゃんと、すずの内面が溢れ出したように見えるんだ。
でもそれは、『のん』の演技力なんだよね。
作画もアニメーションで見せるのが目的じゃない。
監督のやろうとしてることは、「すずが、この世にいた」というのを信じさせること。
だから、『のん』の演技もサポートに徹しているし、作画も『のん』の演技のサポートに回ってるんだよね。
だからこの映画っていうのは、『のん』に声優としてすごくいい演技をさせるためにサポートがあるように見える。
仮現運動を含めたアニメーションが、演技をサポートしてるように見えてしまうくらいなんだ。
作画中心でもなくて、声優中心でもない。
「すずを実在させる」ということだけを中心に置いた、たったひとつの目的で、すべてのテクニックと演出が集中してる。
①キャラクターを信じさせるための、綿密な取材と背景描写。
②ショートレンジの仮現現象による、目の残像というのを応用した、新しい作画の領域。
③声優の、のん。
この三つで、見た人はあの世界を信じちゃうし、キャラクターの実在を信じちゃう。
その上でのお話だから、みんなものすごい感動して、その感動が言葉にならない。
実際にあった現実を、ドカーンと何年分かを心の中に叩き込まれたような感じ。
今、コメントに『宮崎駿「くそう~!!」』ってあったけど、本当にその通りだと思うよ。
この作品は高畑勲の『思い出ぽろぽろ』とか、宮崎駿の『魔女の宅急便』へのアンサーになってる。
これから見る人へのアドバイスは「泣くな」なんです。
「泣けますか?」って質問に対して答えるなら「泣けるけど、絶対に泣かない方がいい。」って答えます。
なぜかというと、人間って泣いた瞬間に感性が閉じちゃうし、理性が働かなくなっちゃうから。
泣いた瞬間に「泣く映画だ」と思っちゃう。
それで泣くところを探しちゃう。
一度 泣き出すと、理性が働かなくなっちゃう。
この映画は、理性と感性を全開にしたほうが絶対にいいんだ。
口で言えないほど、泣くこともできないほど、すさまじい感動が泣かずに踏ん張ってたら、最後に「うおおお!」と来るから。
なので安易に泣いて、「泣ける映画」にしないほうがいいと思うよ。