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「SFとしての『ラピュタ』・中編」
船体後部に付いているプロペラは“四重反転プロペラ”という、かなり複雑な機構です。
ラピュタの世界にある大型機械のほとんどが石炭による蒸気機関なのに対して、このドーラの船であるタイガーモス号は、ガソリンエンジンを積んでいて、それを回転させることによって、4つのプロペラがそれぞれ反対側に回るというメチャクチャ複雑な機構なんですね。
この大きなプロペラは、上下に傾けることによって垂直上昇をしたり、それぞれのプロペラのピッチを逆向きにして、方向を急に変える時に使われるという設定になっています。
複雑とはいっても、それくらいのテクノロジーなんです。
働いている女工さんの前にある機械の1つ1つから、天井の方に向かってベルトが伸びている。
ベルトは、天井のシャフトに繋がっています。
工場の外にある蒸気エンジンの力でこのシャフトが高速で回って、その力がベルトを経由して各女性の手元まで伝達されることによって、機織り機が動くんです。
つまり、それぞれの女の人の前には、機織り機という機械はあるんですけれども、その動力源になっているのは、工場の外に置いてある蒸気エンジンなんですね。
上の方に巨大なシャフトが回ってて、その力でベルトが駆動する。
宮崎駿が描いたラピュタの世界のメカというのは、歯車が付いているイメージが強いんですけど、よくよく見てみると、こういうプーリーとか、ベルトっていうのも描き込まれているんですね。
プロペラの動きの切り替えとか、翼の向きを変えるというのは、機械的に「この歯車をこっちへやって、このベルトをこちら側に入れ替える」みたいな方法で操作しているんですね。
ドーラ達は、あそこで飛行船をどう動かせばいいかを命令しているだけであって、実際に動かす作業は、すべて現場でやっています。
これが後に、オートメーションシステムというのを生んでいく流れになります。
現実の飛行機ではありえないことなんですけど。
「そんなことがあるはずがねえ! 飛び出し口があるとしたら、全部、後ろだ!」ということで、宮崎駿は、わざわざ後ろから飛び立つシーンを見せているんです。
フラップターという飛行機は、実は、人工筋肉を電気で動かして羽を振動させて飛ぶという機械。なので、まあ“半分だけSF的な技術”です。
機体の前面に空いている小さな穴にクランクを差し込んで、グルグルと手で回してエンジンを動かしている描写があるので、なんとなくレトロな印象があるんだけど、発電機で電気を生み出して動力にするという思想は、実は産業革命当時にしても、かなり新しいものでした。
モーターの発明自体は、1873年のウィーン万博で発電機の展示をした時に、技師が配線を間違えて、本来は発電機から電気を流すはずだったところを、逆に発電機の方に電気を流してしまったんですよ。
そんな事故によって、モーターというものは発見されたんですけども。
フラップターを作ったドーラの元・愛人は、そういった発電機とモーターの関係を知らなかったので、エンジンで発電機を動かして電気の力で人工筋肉を作動させて動かそうというふうに考えたわけですね。
そんな嫌な肖像画が後世に残ってしまっているんですけども。
これはもう、本当に大センセーショナルな発見でした。
そんな中、スイスのレマン湖の畔のホテルの別荘にこもっていた時に、このガルバーニの論文の載った新聞記事を読んだ、詩人として有名なバイロン卿は、駆け落ちしてきた友達のパーシー・シェリーという男と、当時わずか16歳だった婚約者のメアリーという女の子に、「これ、すごいじゃん! 俺たちでこれを小説にしようぜ!」って言ったんです。
「おう! みんなで書こう!」となったんですけど、結局、書いたのは、16歳のメアリー・シェリーだけだったんですね。
これは、まあ、1年半くらい前に話した通りです。
まあ、「人工筋肉が使われている」というあたりから、そろそろSFになっているんですけど。
もう、これに関しては、言い訳のしようがなく完全にSF的な技術で作られたものです。
映画の中でも、「我々には、このロボットの材質が粘土なのか金属なのかもわからない」というふうにムスカが話すシーンがあります。
それくらい、全くわからないものとして描かれています。
宮崎さん自身の設定によれば、柔らかくも固くもなれる“形状記憶セラミック”とのことなんですけど、もう、なにがなんだかわかりません。
分解も出来ないし、修理も出来ない。
その上、部品寿命がどれくらいあるのかすらわからない。
なんせ、落ちて壊れた機体以外、ほとんどが今でも動くことが出来るんですよ。
もちろん、あまりにも年数が経ってしまったことで朽ちた機体もあるんだけど、それが朽ちた理由というのもわからない。
機体内部の可動部分が摩耗したと考えるのが、僕らの常識の中では自然なんですけど。
しかし、少なくとも、千年間放っておかれた他のロボット兵が普通に動いているので、もしかしたら、稼働部品の摩擦がゼロなのかもしれない。そんな恐怖のメカです。
動力源も、燃料なのかバッテリーなのかというところから全くわからない。
胸の部分からロケットを噴射して空を飛んだり、加速することはわかるんですけど、ロケットを噴射するために必要な燃料がどこに搭載されているのかも、まるで見えてこない。
そんなふうに、まったく分からない技術なんですね。
これに関しては、僕なりの論拠もあるんですけども。
このロボット兵について、僕は「ムスカが思い込んでいるラピュタ像である、世界を武力で支配するようになった後期ラピュタ文明の産物ではないか?」と考えています。
なので、19世紀の人間たちには理解不可能でも、現代を生きる僕らから見たら、まだ、なんとなく理解できないことはないんです。
面白いことに、肩から伸びた二の腕の断面からはみ出た部品は動くんですけど、切り離された側の部品は動かないんですね。
この描写から、「なんだかんだ言っても、このロボットは、動力と繋がっているから動いているし、その動力源はどうやら中央部分にあるらしい」ということがわかります。
つまり、このロボットは僕らが理解している機械の範疇にあるんですよ。
確かに、動きや構造は摩訶不思議で、生体みたいに見えるんですけど、それはあくまでも「とても複雑」というだけで、まだまだ理解の範囲内の機械なんですね。
シータが胸から下げているペンダントみたいな石ですね。
まず、「ラピュタの王位継承者の命令しか受け付けない」。
次に、「どう考えても反重力みたいな現象を起こすことが出来る」。
しかも、「そのエネルギー源をどこからも受け取っていない」。
すべて、同じアニメの中に描かれているから、ロボット兵も飛行石も、同じように不思議なテクノロジーに見えるんですけど、この2つの間には明らかに技術的な階層差があるんです。
さっきも言った通り、ロボット兵に関しては、まだ我々の理解範囲の中なんです。
でも、飛行石の持っているテクノロジーレベルというのは、明らかにそれよりも千年くらいは先を行ってるんですね。
飛行石には組み立てた形跡が一切ないんですね。
ラピュタのロボットは、墜落して壊れたものが分解された状態で映されるので、部品の繋がりや組み立てた痕跡というのも、かろうじてわかるんです。
つまり、iPhoneみたいなもので、どんなに不思議な存在のように見えても、バラせるんですよ。
でも、飛行石はバラせない。
1つの透明な結晶なんですね。
まったく理解できない。
仕掛けが分からないどころじゃなく、1つの塊なんですよ。
この飛行石が、ラピュタの方角を示す光をパーッと出すシーンがあるんですけど、その発光源すらわからないんですね。
中心の適当な位置から光がピューッと伸びているだけ。
そうじゃなくて、クラークの第3法則というのを知り尽くしているからこそ、ラピュタの科学力の段階差を少しずつ見せるために、そう表現しているんです。
そこまではいいとしても、反重力に使われたエネルギーというのは説明つかない。
仮に、シータの体重が40kgだとしたら、40kg×重力加速度9.8km/sの2乗。1000mの高さから落ちたとすると、それを中和するには、およそ400万ジュールくらい。カロリーベースでいうと90万キロカロリーに相当するエネルギーが必要なんですけども。
「それをわずか5g程度の飛行石から得ようとしたら、“核反応”くらいしかないんじゃねえのか?」っていうようなエネルギー効率の良さなんですね。
これについては、宮崎さんもインタビューで「宇宙の聖なる根源であるから。シータがそれまで一人で生きてこられたのも、飛行石によって畑がよく実ったからだ」と答えています。
では、なぜ飛行石の近くにあった畑がよく実ったり、ラピュタで木々が過剰に育っていたのか?
これは、手塚治虫の『火の鳥』という作品に出て来る“アイソトープ農場”のシーンです。
この農場の中心には放射線を出すタワーがあるんですね。
まあ、漫画の中では、その放射線タワーの近くで、男の子が壊れたロボットに抱えられたまま半日置かれたことで、重大な放射能障害を負ってしまうというお話なんですけど。
ロビタが後に死刑になる原因になった事件ですね。
このアイソトープ農場というのは、1960年代に実際に検討されていたんです。
「放射線の作用によって、明らかに植物の育ちがよくなる」みたいなことが50年代60年代にはよく報告されていたんですね。
ただ、もう、今ではアンチ原子力という流れが強いので、その辺のことを研究する人もいなくなって、元データもわからなくなってるんですけど。
この青い光は“チェレンコフ光”といって、この光を発する現象のことを、チェレンコフ放射と言います。
チェレンコフ放射というのは、核物質の中から出てくる光よりも速い速度で出てくる微粒子が、光の速度まで減速する時に、速度差のエネルギーを青い光として放出することによって起こる現象です。
僕らの世界では、光の速度より速いものはないので、光の速度まで減速するんですよね。
覚えておいて頂ければいいんですけども、ゴジラの背中が青白く光るのもチェレンコフ放射です。
昔の初代ゴジラが火を噴く時にも、背中が光るんですけど、それは「あの瞬間、チェレンコフ光が出るくらいの核反応がゴジラの中で行われている」ということなんですね。
宮崎駿という人は、前回も話した通り、本当に一筋縄ではいかない見せ方をする人なんですよ。
仮に、僕らがアニメを作ろうとした時に、原子力のメタファーとしてのアイテムを思いついたら、ついつい、アニメの中で全部説明したくなるところなんですけど。
宮崎駿というのは、逆に、思いついたら、それを出来るだけわからないようにしたがる人なんですね。
「え?!それってどういうこと?」「そこのところ、もっと詳しく知りたい!」という人は、どんどん、質問してみて下さい。
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