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岡田斗司夫の毎日ブロマガ 2018/11/06
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今回は、ニコ生ゼミ10月28日(#254)から、ハイライトをお届けいたします。

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 【『もののけ姫』の読み方 2 】 サンはエボシ御前の娘だった?


 「サンはエボシ御前の娘だった?」

 この説、ネットでも時々 見るんですけども、僕も前々から「エボシとサンは、母娘なんじゃないか?」と思っているんですよ。

 まあ、ネットでそういった考察を書いている人も、みんな「根拠はないが~」と注釈しているのと同じように、僕にも証拠は提示できないんですけども。


 宮崎さん自身は、どこにもそんなことを語ってないし、「おしゃべりな鈴木敏夫さんが、どこかで不用意にそんな話をしていないかな?」って思って、鈴木敏夫の発言もあらかたさらってみたんですけど、そんなことは一言も喋ってないんですよ(笑)。

 ただし、証拠とまでは行かないまでも “不自然なこと” はあるんです。


 何が不自然なのかというと、サンの生い立ちに関する設定です。

 “もののけ姫” ことサンの生い立ちに関する情報は「森を犯した人が、山犬を恐れて、生贄として赤子を捨てて行った」というだけなんです。

 それしか書いてないんですよね。


 さっきも語ったように、エボシ御前にすら「外国に売られていって、倭寇の妻になって~」みたいな設定があるんですよ。

 あとは、ジコ坊とか、他のいろんなキャラにも山のように設定が付いているのに、サンだけは、たった1行だけなんです。

 すごく不自然なんですよね。

 
 あまりにも言葉足らずで、不自然。

 おまけに、アニメ本編の中には回想シーンも出てくるんですけど、赤ん坊の頃のサンの描写は一切ないんですよね。

 なので、僕としては「やっぱり、ここには何か語られない理由があるんだろう」と考えちゃうんです。

・・・

 そして、もしサンがエボシの娘だとしたら、いろんなことに説明が付くんですよ。

 エボシというのは、倭寇の頭目の妻となって、後にその夫を殺したくらいだから、当然、もしそこで子供が出来ていたとしても、あんまり愛情を持ってはいないはず。

 「いや、女なんだから、産んだ子供には愛情があるはずだ!」と思うかもしれませんが、いやいや、エボシというのは、普通の女ではなく “女・毛沢東” だから、そこら辺はちょっと普通のメンタリティとは違うということも考えられます。


 そして、エボシが率いるタタラ場には子供がいない。

 これは、さっきも話したように、共同体全体に厳しい産児制限を敷いているからだと思うんですけども。


 「自分たちのリーダーであるエボシ様自身が、大事な自分の子供を捨てた」あるいは「失った」とみんなにわかるようにしていたのなら、あの村の全員が「子供を作ってはいけない」というルールに納得していることにも、筋が通ると思うんですよね。

・・・

 「エボシとサンは母娘関係である」と考えると、生みの親のエボシと育ての親の山犬のモロが激しく憎み合うのもわかりやすくなるんですよ。

 というか、映画の前半で、モロはエボシに撃たれて怪我をするんですけど、それまでは、別に、モロがエボシ個人に強く恨みを持つような理由がないはずなんですよ。

 ところが、2人とも、お互い名指しで、あんなに恨み合っている。

 だって、モロなんかは「エボシを噛み殺すまでは戦いは終わらない」なんて言ってますから、あれはどう見ても “エボシ個人に対する恨み” なんです。


 エボシにしてみても「捨てたはずの我が子を、モロという山犬が自分の子供として育てている」という現実は、まさに自分の罪の意識の象徴なんですね。

 山犬に育てられた我が娘を見る度に、いくら、捨ててもういない子供だと思っていても、罪悪感が疼いてしまう。


 僕は前から「サンの顔にある赤い模様が “入れ墨” であるとするのなら、誰が、何のために入れたんだろう?」って、すごく不思議だったんですよ。

 解釈の1つとしては「サンが大きくなった時に、もう自分は人間ではないんだ。涙を二度と流さないんだと考えて、自分で彫った」と考えることも出来るんですけど。

 この母娘関係を考えると「いや、捨てられる時に、この子は人間ではないという意味で彫られたんじゃないかな?」と、ちょっと考えちゃうんです。


 とにかく、そこら辺で、モロとエボシの間にある感情は、サンとエボシの母娘関係を中心に置くことで、いろいろと説明がつくんですよね。

・・・

 映画のわりと前半の方に、タタラ場の屋根の上でエボシ御前がアシタカと、ちょっといい雰囲気で話すシーンがあります。

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 エボシは「ここに止まり、力を尽くさんか?」と言って、タタラ場で働いてくれるようにアシタカを口説きます。

 そして、こう続けるんです。「古い神がいなくなり、森に光が入れば、ここは良い国になる。もののけ姫も人間に戻るだろう」と。


 つまり「もののけ姫であるサンがエボシを憎んでいるのは、山犬のモロに憎しみを教えられたからだ」と彼女は考えてるんですね。

 だから「モロを始めとした山犬達を殺せば、サンは人の世界に帰って来る」と思っている。


 そして、このシーンの直後の、エボシを暗殺するためにサンが単身乗り込んで来るシーンでも、実は、襲いかかってくるサンに対して、エボシは本気で相手をしてないんですよ。

 格闘術にしても剣術にしても明らかにサンより勝っているのに、周囲を槍を持った部下で囲んで逃げられないようにして、一向にとどめを刺そうとしない。

 まるで、猫がネズミをいたぶるように戦うんです。


 これ、なぜかというと、サンの体力が尽きて倒れるのを待って捕まえようとしているからです。

 だけど、そういう表情は全く見せずに、いかにも「殺してやる!」という雰囲気で戦っているんです。

 本当は全然 強いのに、相手にしてない感じなんですよ。

・・・

 山犬のモロはエボシを深く憎んでいます。

 しかし、そんなモロ自身もサンが人間の世界に帰ることを望んでいるんですよね。

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 これは、モロとサンの別れのシーンです。

 「私、乙事主様の目になる」と言って、サンがモロの元を離れる際に、ここで初めてサンがモロに抱きついて甘えるんですよ。

 すると、モロも長いまつげの目を開いて、彼女を見る。「ああ、色っぽいオオカミだったんだなあ」というシーンなんですけど。


 シチュエーションとしては、いよいよジコ坊とエボシ達の神殺しが始まって、サンは捨て身の乙事主について行くため、手傷を負って動けない母親のモロに最後の別れをする、といった場面です。

 両者共「もう二度と会えない」とわかっています。

 この時に、モロが「お前にはあの若者と生きる道もあるのだが」と言うんです。


 でも、モロは、それ以前にアシタカが「サンと共に生きる! あの子は人間だ!」と言った時には、メチャクチャ嘲笑ったんですよね。

 「フハハ……。どうやって生きるのだ?」って。


 つまり、モロというのは “本音を言わない人” なんですよ。

 これ、アニメの中で一貫してるんですけど、ほとんど本音を言わないんですよね。


 かつて恋人同士の関係だった乙事主というイノシシの神様と再会した時も「少しは話のわかるのが来た」とか、「もはや言葉も失ったか」と言うだけで、自分の内面的な本音というのを、絶対に言わない人なんですよね。

・・・

 これは『「もののけ姫」はこうして生まれた。』というドキュメンタリーに収められている、モロの声優を担当した美輪明宏のアフレコの際の出来事なんですけど。


 最初、美輪明宏は、このモロが乙事主に対して持っている複雑な感情に全く気が付かずに、普通に演技をしてたんですよね。

 しかし、美輪明宏が「少しは話のわかるヤツが来た」という台詞を特別な感情を何も込めずに読んだ時、それを調整ブースで聞いていた宮崎駿は、なんかもうムズムズとして、ついにはダーンと飛び出して、美輪明宏のところに駆け寄って、「うーん……」とか、少し唸ったかと思うと、「あのね、このモロは、昔、乙事主といい関係だったんです」と言うんですよ。

 すると、美輪明宏は「はぁー? オオカミとイノシシが?」と言うんですけど、宮崎駿は「はい。そのオオカミとイノシシは、いい関係だったんです」と。

 美輪明宏はメチャクチャ深く納得して、「ああ、なるほど」と、次の収録では、ほんのちょっと声色を変えたんです。


 昔、恋人関係だった男女が「ついに言葉もわからぬようになったか」という時の、そんな相手を昔好きだった “自分に対する憐れみ” とか、「少しは話がわかるヤツが来た」と言う時にも、高校生の女の子が彼氏が向こうから来た時に、友達に「あのバカが来たよ」と言うようなニュアンスが、ほんのちょっと入るようになったんです。


 「……だったら、それをコンテに書いておけよ!」って思うんですよね(笑)。

 でも、こういう大事な設定を、宮崎駿は書かないんですよ。


 「モロと乙事主はもともと恋人関係だった」という設定は、もし、このアフレコ現場で宮崎駿が美輪明宏に言わなかったら、そして、それをたまたま日本テレビの取材班が撮影していなかったら、誰にも知られないままだったんです。

 こういうことを、このオッサンは、しょっちゅうやるんですよ。


 では、なぜ宮崎駿はそんなことをするのか?

 この宮崎駿特有の作劇法とか、キャラクターを扱う上での本質については、後半の方で、理由込みで話をしましょう。

・・・

 モロは、アシタカに対しては「フハハ……。どうやって生きるというのだ?」というふうに嘲笑いながらも、本心では、サンを人の世界に帰してもいいと思ってるんですね。

 しかし、そのためには、エボシをどうにかして殺すことが大前提なんですよ。


 エボシのいる世界にサンは帰せない。

 なぜかというと、エボシ御前というのは森の破壊者であって、人間の中でも特に悪質な存在だからです。


 つまり、モロとエボシという大人の女2人は、両者とも、サンを救おうと考えてるんです。

 エボシはエボシで「山犬達を殺しシシ神を殺せば森に光が入る。つまり、森が文明化され、人間の社会の一部になって、単なる天然資源の一部になれば、一度は捨てたはずのもののけ姫も、人間の世界に帰ってこれる」と思っている。


 この映画は「1人の娘を救おうとする2人の母親が、両方から引っ張っている話」と考えると、ものすごくわかりやすくなるんです。

 だって、モロとエボシはアシタカに全く同じ台詞を投げかけるんですから。

・・・

 さっきも話したように、モロはアシタカに対して「どうやって生きるというのだ? サンと共に人間と戦うのか?」と嘲笑います
 エボシも、これと全く同じ台詞を、タタラ場が襲われていることを伝えに来たアシタカに言うんです。

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 これを見てください。

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 このシーンでエボシも、嘲笑うモロと全く同じ構図で、アシタカを嘲笑いながら「シシ神殺しをやめて、サムライ殺しをやれというのか?」と詰め寄るんですね。


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 左右の方向が反対なだけで、全く同じ構図で、同じ意味のことを言っている。

 両者のこの台詞は偶然ではあり得ないんですよ。

 作劇上、意味もなくこんなことをするはずがないんです。


 2人は「私にどう生きろというのか?」、「あの子をどうしろというのか?」、「神殺しをやめて、サムライ殺しをしろというのか?」「それともお前は人間と戦うとでも言うのか?」と、それぞれアシタカに問い掛けている。

 つまり、自分の娘の生き様を、2人の母親が、その夫となる人物に問いかけているんですね。


 それも “反語的な問いかけ” なんです。

 アシタカの答えがそうじゃないことを知りながら「そういうふうにしろとでも言うのか?」と聞いている。

 これは要するに「お前はどこまでうちの娘のことを考えてんだい?」ということを “怖いお母さん” として聞いているわけですね。

 それも、両者とも同じように、嘲笑いながら(笑)。


 なぜなら、この2人は同じ立場に立ってるからなんです。

 「母親であると同時に、部族のリーダーでもある」という立場に立っているんです。

・・・

 こういうふうに考えたから、僕は「サンの実の母親はエボシなんじゃないか?」と思いました。

 やっぱり、最初にも言いました通り、どこにも証拠はないんですけども。


 「こう考えると矛盾がない」ということと、あとは、本来、大事な設定なはずの「乙事主とモロは実は恋人関係だった」ということを何も言わずに済ませようとしていた宮崎駿の作劇法から言って、そういう設定が隠してあってもおかしくはない、と。


 でも「サンの実の母親はエボシである」ということを、モロもエボシも、サンに気付かせまいとしてるんですよね。

 お互い2人の母親が「あいつを殺さないと我が娘の未来はない!」と信じて戦っているという構図になっているんです。


 
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