『LA LA LAND』のオープニングで、映画のメインタイトル画面が出ていって、そこからカメラが下りてきたら、そこに主人公のミアのプリウスが見えます。
そのプリウスの一台後ろにあるのが、もう一人の主人公・セブの赤いオープンカーですね。
ここまでワンカットなんですけども。
という事は、ミアとセブの役者さん、ライアン・ゴズリングとエマ・ストーンは、あらかじめ車の列に並んでいてダンスシーンにもいたのかっていうと、実はそんな事は無いんですよね。
これもミニチュアを作ってみて、初めて分かるんですけども。
実は車の列の最前部と最後部に、それぞれ大きめの車があるんですね。
最後部にはトラックがあって、最前部の左側には青いバンがあって、最前部の右側には白いちょっと大き目のバンがあります。
それで、これは何かっていうと、そこから向こうが見えないようにしてるんですね。
つまり、人が動いて踊りまくっているように見えても、巧みにその向こうはトラックとかバンで隠しているんですよ。
あんまり向こうの方が見えないように。
それで、その範囲内だけでお話を作ってるんですけどもですね。
実は後ろの方の位置のお姉ちゃんがポーズを取って、カメラが上に上がって、並んでいる車たちをガーッと映すシーンをよく見たら、黄色いトラックと赤いオープンカーまでしか映ってないんですよ。
つまり、お姉ちゃんの位置がここだから、本当の事を言えば左道路・右車線、後ろから3台目の白いバンとか、銀色の車が映っていないといけないんです。
だけどカメラが上に上がっているから、黄色いトラックまでしか映らないんですね。
そうすると、このカメラが上に上がった時に、左道路・右車線の車後ろ3台が後ろに下がってですね。
その後にようやっとミアの乗っているプリウスと、セブが乗っている赤いオープンカーが前へ着けてから、もう一回カメラが下りてくるんですね。
それで、こういうちょっとした工夫をやっているので、「主役の人たちも、この渋滞の中にいたんだ」、「同じように渋滞の中で夢を持っている仲間なんだ」っていう。
「あのワンカットの中で全てが入っている」っていうのは、こういうディオラマを作ったり、配置図を作ったりしたら、「こうやって撮っていたのか、うまいなあぁ」というのが分かるんですよね。
まぁ、そういうのは無粋な行為なのかもわからないですけども、僕は何か好きです(笑)。
やってみて楽しかったです。
これは別に まとめ でも何でもないんですけどね。
“映画を楽しむ”っていうのは、“内容を語る” とか “分析をする” とか “評論を語る” っていうのも、もちろん王道は王道でもあるんですけども。
何か自分が感動した時とか、「面白い」と思った時っていうのは、その “面白い” っていうモノを徹底的に観察すると。
だって僕らは、好きなマンガを見たら模写するじゃないですか。
それで好きな特撮映画とかを見たら、プラモデルを持って「ブーン!」とか「グーン!」とかやりますよね。
やっぱり “真似する” っていうのが、全ての基本だと思うんですよ。
それがクリエイティビティの基本であり、それが鑑賞の基本だと思うし。
歌を聴いたら、やっぱり歌いたくなるのと同じように。
でも映画を見たら何もしようがないから、思わず評論をしたり、他人の感想を読んだり、そっちの方に走っちゃうんですけど、「その前にする事があるぞ!」って僕は思うんですね。
何か映画を見て「カッコイイ!」と思ったら、自分でそのシーンの絵を描くだけでもいい。
ざっとした構図を描くだけでも、「何でこのシーンってカッコ良く出来たのか?」っていうのが、自分なりに分かるんですよね。
本当はまぁ、ディオラマまで作る必要は無くて、本当の事を言えば配置図を描くだけで充分です。
ハッキリ言いますけど、これで充分です。
配置図を描くところまでやる人は、もうすでに病気っぽいと思うんですけども(笑)。
それでもこれをやると、「あ、それで感動したんだ」と分かります。
車の列の後方上側の位置でカメラを180度旋回というのを2回やっているから、フレーム感があるし。
あと逆に、これ以上のロケ地は、この高速道路の幅以上のロケ地を撮ろうとしたら本当に大変だから、これが映画の予算内での夢の見せ方なんだと。
“どこまでも踊りが続いているように見せる” っていうのは、この高速道路の四隅にちゃんと大型の車を配置して、それより向こうを見えなくして、その後ろにさらに2列、その後ろにさらに1列、ダンサーを配置してるから、どこまでもどこまでも踊っているように見えるんだと。
そういうのが分かればですね、なんかこの “夢の近づき方” みたいなものも分かるのではないでしょうかという。
そういう話をですね、今日は作ったディオラマを自慢しながら語ってみました。
このディオラマは、永遠に僕の所で保管します(笑)。