さて、墓荒らし組織のボスになったジョン・ハンターは、次々と死体の調達方法を開発しました。
まず「墓を掘るなんて面倒くさいことをせずとも、葬儀屋を買収すればいいじゃん!」ということを思いついたんですね。
葬式が終わった時点で、棺の中味を石ころと交換する。
すると、遺族達は泣きながら石ころが入った棺を埋めることになり、自分達は葬儀屋の裏手で死体をさっさと受け取ればいい、と。
さらに、この時に、いかにも死体が入っているような袋を持って葬儀屋から出ていくとバレてしまうので、葬儀屋の裏で適当なサイズに切り分けて、小分けにした死体をカゴとか箱とか壺とかに入れて、それを郵便とか馬車で自分の家に運ぶというのを思いついたんだよ。
本当に、普通の郵便とか宅急便みたいなやつで、自分の家に送ったりしてた、と。
時にはロンドンから遠く離れた田舎の葬式屋まで行って死体を入手して、バラバラにして壺とか箱に入れて、汽車で運ぶこともあったんだよ。
で、これが運ぶ途中で結構見つかったらしいんだ。
「偶然、蓋が外れてしまったので中を見たら、人の手足が入っていた」とか、「人間の首が入ってた」とか、「汽車に入り込んだ浮浪者がカゴにもたれ掛かったら、グニャッとなって、変だと思って開けてみたら、人間の死体がいくつも入ってた」っていう事件が連発したんだって(笑)。
当時、イギリスの新聞には、これがまさか解剖のための死体調達業者の仕業だなんて思わずに、「バラバラ死体、またロンドンで発見!」とか、「今度は汽車で発見!」、「今度は馬車で発見!」というふうに、あたかも「ロンドンという都市には、エゲツない変態殺人鬼がいっぱいいる」ように報道したんだ。
そういう記事を読むロンドン市民もそれを面白がって「ロンドンって、すげえ怖いよ!」とか、「毎週のようにバラバラ死体がいろんなところで発見されるなんて、犯罪都市に違いない!」騒ぎ立てた。
実は、18世紀のロンドンで怪奇小説が流行ったり、イギリスがミステリーの本場になったというのは、実はこの当時のジョン・ハンターの死体輸送方法というのが、誤解され、新聞ですごい広まったというのが原因だったりするんだよね。
・・・
弟が死体の入手から解剖、そして解剖教室の運営まで一手に引き受けて、お兄さんは、その知識を元に有名になり、社交界でデビュー。
その結果、ハンター兄弟はロンドンの繁華街にとんでもない一軒家を作った。その一軒家がこれなんだけど。
これは、ジョン・ハンターの助手のウィリアム・クリフトという人が、後に描いたハンター屋敷の図解なんだけども。
ハンターさんの屋敷って、上が「west」、下が「east」って書かれていることからもわかる通り、表通りと裏通りの両方に面している細長い家なんだ。
2軒の家を買って、それぞれを建て増して、真ん中に階段状の教室を作ったわけだよね。
西側の入り口の方はサロンになっていて、上流階級の人をお迎えするようになっている。
なんか、素敵なパティオとかもあるんだけど。
その奥には階段教室があって、さらにその奥には博物館があって、この奥には死体の処理場があるという。
この裏口の方は、いつも死体が入って来たり、血まみれのジョン・ハンターが出入りしていたりするんだけど。
表通りの方は、お兄さんのウィリアム・ハンターがすごくオシャレな格好をして、詩人のバイロン卿とかそういう人を呼んで、毎晩毎晩サロンをやっていた、という。
なんか、表側は “コベントガーデン” という、わりと盛り場に面した明るいとこなんだけど。
裏側の方は “レクターストリート” という、ちょっと怪し気な通りに面しているたんです。
こういう、すごく変な屋敷を建てたんだよね。
この屋敷は段々と人に知られるようになってきて、後に、この屋敷とハンター兄弟をモデルにした、『ジキル博士とハイド氏』という小説が出版されたわけだよね。
この『ジキル博士とハイド氏』というのは「一人の人間の中に、悪魔的な人格と、神聖な人格、真摯であったり知識人であったりする人格が同居している」という話で、最初は薬を飲むことによって人格が入れ替わって、殺人とかを犯してたんだけど、最後にはこんな薬なんかなくても、人格が替わるようになってしまう。
つまり、二重人格の話かと思われたら、そうではなく「人間には誰しも2面性があるんだ」という話になっているわけだよね。
この『ジキルとハイド』こそ、心理サスペンスの元祖であり、同時に近代ホラーの小説の元祖でもあるんだよ。
というのも、心理サスペンスというのは、突き詰めれば「人間は誰しもが異常な犯罪を犯す可能性がある」という話でもあるから。
さらに、それまでのホラーというのが「昔からの呪い」とか、「古代からいる妖怪が、田舎の城や森で人間を襲ったりする」というものだったのに対して、近代ホラーというのは、都市の中に住んでいる犯罪者、それも「あなたの隣人が犯罪者かもしれません!」というものであって、こういったサスペンスの元祖にもなった。
つまり、『シャーロック・ホームズ』とか、もう本当に『名探偵コナン』などの源流には、このジョン・ハンターがいるわけだよね。
ジョン・ハンターが、人々に、「ロンドンの街は、毎晩毎晩、殺人が行われているエゲツない猟奇的な場所だ」と思わせなければ、こんな小説も生まれなかったし、ミステリーブームも起こらなかったわけだからね。
・・・
さて、そんなある日、ジョン・ハンターの元に、偶然、出産直前の女性の死体が入ってきた、と。
ジョンが、その出産直前の女性を解剖すると、中には完璧な生まれる前の状態の胎児が入ってた。これだよね。
これを、兄のウィリアムに見せると、ウィリアムはこの発見に驚いて「妊娠の各段階の図解を載せた論文を発表しよう! そしたら、医学界は大パニックになるはずだ!」と言ったんだけども。
しかし、最初に話したように、妊娠の各段階なんていう都合のいい死体が手に入るはずがない。
ジョンは、自分の死体調達団に「妊娠している女性の死体を手に入れろ!」と。
「とにかく妊娠している女性が死んだら、イギリス中どんなに遠くても取りに行け!」と言ったし、おまけに、対立している他の窃盗団にも賞金を出して「何がなんでも手に入れてくれ!」というオーダーまで出したんだよ。
ここで彼は「値段は問わない。入手経路も問わない」というふうに言ったんだけど。
すると、徐々に徐々に “どうやって入手したのか分からないような死体” が集まり始めたんだ。
なぜ、もともと死刑になった死体が解剖用に使われたのかというと、「死刑になるのは病気になっていない人間だから」なんだよ。
病死した人間の死体というのは、病気になった段階で内蔵に何か変化があるかもしれないし、子宮の中に異常があるかもわからないじゃん?
ということは、解剖して中を見たとしても、それが正常な状態なのか、それとも病気で変形しているものなのか、わからないんだよね。
その点、死刑になった人間というのは、いわゆる健康な状態のまま殺されたわけだから、これが解剖学的には一番理想の死体なんだよ。
そして、それと同じ様に “殺された死体” であれば、解剖にとって理想的なことは変わりがない、と。
ジョン・ハンターの元には、明らかに「健康だけど、なぜか死んだ」という妊婦の死体が集まり始めた。
妊婦は死刑が執行されるはずがないので、言っちゃえば、この入手経路というのは、明らかにグレーなわけだよ。
当時の新聞には「バークとヘア連続殺人事件」とか、「ロンドンバーカーズ」っていう事件が、よく載ってたんだけど。
これ、何かというと「解剖用の死体を入手するために人を殺していたヤツらがいた」という記事なんだよね。
バークとヘアというコンビは17人の人間を殺し、その模倣犯であるロンドンバーカーズというのは、少なくとも20人以上は殺してると言われてる。
こういうのが新聞に載ったくらい…
…まあ、捕まったヤツらはごく一部なんだけど。こういうのがあったくらいだから、徐々に徐々に、ロンドン中で死体のニーズは高まってきていて、そのために「墓を掘って暴く」という穏便な調達方法も行き詰まり、ついには殺人まで行われるようになっていたんだ。
おそらく、ジョン・ハンターの入手した死体にも、こういう事件性のある死体も多かったに違いないと、僕は思ってるんだけど。
しかし、まあ、こんなこと言ってもどうしようもないんだけど、この解剖図が発表されてから、医学は飛躍的に進歩したのも事実ではあるんだ。
医者たちが、アテにならないギリシャローマ時代の医学書というものから、徐々に徐々に現実に目を向けるようになった。
その結果、医学が進歩して、当時は、出産時に感染症で死ぬリスクというのがすごくいっぱいあったんだけど、それらが劇的に下がったと言われてるんだよね。
・・・
まあ、すごく長くなり過ぎたから、ジョン・ハンターの話はここでやめるけど、本当は、この人の話だけでも、ニコ生3回分くらいあるんだよね。
「ヤギの頭に水牛の角を埋めた話」とか、「鶏のトサカに人間の歯を移植した話」とか。
世界初の人工授精まで成功させている、とんでもない男なんだけども。
歯科医療を飛躍的に進歩させたのもジョン・ハンターなんだよ。
それまでの歯医者というのは、とりあえず「悪くなった歯は抜く」くらいしかしなかったんだ。
「じゃあ、抜いた後はどうしたのか?」というと、当時は象牙で作った人工の歯とか、金属の歯を入れてたんだけど。そういう差し歯って、もう数ヶ月しか持たないんだよね。
なんでジョンが鶏のトサカに人間の歯を移植しようとしてたのかというと、解剖を続ける中で段々と「人体組織というのは移植できるんじゃないか?」と考え始めたからなんだよ。
もちろん、その当時は免疫抗体とかも全くわかってなかったから、移植しようとしてもダメだった場合も多かったんだけど、たまに成功する時がある。
この「なぜ、これは成功したのか?」というのを、ジョンは解明しようとしてたわけだよね。
そんな中で、少なくともわかってきたのは「引っこ抜いた瞬間の歯は、植えやすい」ということなんだよ。
健康な歯を誰かから引っこ抜いて、なるべく早く、出来れば1分以内に、歯を抜いた人のところにスポッとはめたら。
つまり、「虫歯になった。 → ジョンのところへ行く。 → 歯を抜いてもらう。 → 抜いた瞬間に、空いた穴に健康な人間から抜いたばかりの歯を差し込む」ということをすれば、実は移植は成功する。
この方法を試してみたら、数ヶ月どころか、数年持つ。
人によっては5年10年持った例もあるそうなんだけど、こういう実験も成功させた。
実はこれが、近代歯科医学の基礎になったと言われてるんだよ。
こんなふうに、とにかくいろんなことやった人なんだけど。
そのために犠牲になったのが、ジョンの家の近所の子供たちで。
ジョンは新聞に広告をガンガン出したんだよね。
というのは、いろんなサイズの歯が要るから、大人だけじゃ足りなくなってきた。
最初は死体から歯を抜いていたんだけど、生きてる人間から抜きたてが一番いいということがわかって、子供たちを大量に募集したんだ。
新聞広告を出したもんだから、毎日毎日、ジョンの家の前には子供達が行列を作ってたそうなんだ。
で、「歯が痛い」って言う金持ちがやって来ると、彼らはフカフカのソファーに座って歯のサイズを見て貰う。
歯サイズがわかると、ここでジョンは予め名前を聞いておいた行列の中の子供達に向かって「よし、ウィリアムいるか?」と言うと、ウィリアム君は「はい!」と元気な声で答える。
……ここで元気に返事をしなかったら、すごく怒られたそうなんだけど(笑)。
子供が近くに来たら、「よーし、そこにいろ!」と言って、まず、金持ちの患者から歯をグッと抜き、次にウィリアム君の口を開けさせて、歯をズボッと抜く。
そして、その金持ちにグッと移植する。
その子供には、数ペニーの金を握らせて、「さあ帰れ! はい、次!」っていうふうに次々と治療をしてたそうなんですけど。
だから、当時の近所の人は、貧乏な家の子供達が口から血を流して、半泣きになりながらお金握りしめて家に帰るという光景を「ああ、ハンターさん家のいつものアレね」って見てたそうなんだけど(笑)。
いや、もう、本当にね、善悪がわからなくなるんだよ、この本を読んでたら。
だって、そのおかげで、近代的な医学なり歯科医療が進歩したんだし、だからこそ、俺らがあんまり痛くない歯の治療をしてもらえるようになったわけだ。
何より、当時の貧乏人の子供達というのは、それくらいしか稼ぎ方がなかった。
というのがわかっていながらも、「ちょっとこれは洒落にならないよな」というお話の連続なわけですね。
まあ、しかし、今回のテーマは「自分を犠牲にした人体実験の話」なので、ジョン・ハンターのエピソードはこれくらいにして、いずれまた話そうと思います。