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岡田斗司夫のニコ生では言えない話
 岡田斗司夫の解決!ズバっと 2015/02/28
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おはよう! 岡田斗司夫です。
メルマガ読者の方から、多数質問をいただいています。
かたっぱしから答えてみましょう。
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さえこさん/39歳/製造業の職人見習/ブロマガ会員
「雛人形は滅びる文化ですか?」【前編】
【質問】
“雛人形、市松人形を作っています。
 社会科見学に来る人は職人技術には興味を持ってくれますが、雛人形や市松人形を見ると「置く場所がない、出すのが面倒」や「怖い、髪の毛が伸びる」と言います。
 時代に合わせて、小さいサイズの雛人形やスーパードルフィのような市松人形を作ったりしていますが、雛人形や市松人形は、いつか滅びるべき文化なのでしょうか?"


【回答】
 僕らの家には、雛人形をもう置いてないよね。
「滅びるべき」と言ってしまうと、「滅んだ方が良い」とか「滅ばないのは間違いだ」というニュアンスがあるので、「べき」とは思わない。でも、「滅びて仕方がない」とは思うよね。

■文化には物語・模倣・合理性の3つがある
 僕たちは一言で、"文化"って言ってる。でも文化は、物語・模倣・合理性に分けられる。いろいろなものがないと、文化は継承されない。
 まず、物語について。それは「どうして、これをやるのか」です。例えば、「良い子にしていれば、サンタクロースがやってきて、プレゼントくれるよ」というのも物語性なんだ。
 次に模倣について。"誰かがやってるのを見て、真似したくなる事"だ。どこの家も、クリスマスになれば、ツリーに飾り付けをしてるを見ると、真似したくなるよね。そういう模倣性が必要。
 最後に合理性について。「年に1回、冬の寒い時期にプレゼントをお互いに交換すると、コミュニケーションがうまくいく」という合理性が、社会の中にちゃんと機能している。それがあると文化は生き残るんだ。


■雛人形より鯉のぼりのほうがマシ
 雛人形とか、特に市松人形に関しては、3つとも完全に喪失しているよね。まず、僕らのなかに合理性がない。例えば、「女の子が生まれたら、年1回、お人形出して、飾って置いたほうがいいよね」っていう思いがないんだ。
 雛人形に比べたら、鯉のぼりはちょっとマシなんだ。なぜなら、「うちの子は元気です」「この家には子供がいます」みたいに、家の外から見ても分かるようなディスプレイ効果があって、風になびくようになってる。
 ところが、雛人形は家の玄関から入ってこないとわからない。つまり外側に対してのプレゼンテーションになってなくて、合理性がとても少ない。

 次に模倣だ。「よその家に雛人形があったからいいよな」って思いが、鯉のぼりに比べてとても不利だよね。鯉のぼりは外から見ても分かるし、

「あれは男の子の家に立てるものなんだ!」
「じゃあ、うちも立てよう!」

――というように、すぐに模倣に入れるじゃん。ところが、雛人形は、女の子のいる家にお邪魔しないと、模倣が発生しにくい。鯉のぼりは、「男の子が元気にすくすく育ちますように」という物語性がちゃんとある。でも、雛人形は、

「ちゃんと嫁にいけますように」
「早く片付けないと、嫁に行くのが遅れる」

――というネガティブな物語しかない。だから、今の物語性だとしんどいと思います。


【まとめ】
 雛人形を飾る物語性がネガティブですし、模倣したい理由も合理性ありません。今のままで雛人形を続けるのはしんどいと思います