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「メンターや教祖と、カリスマは何が違う?」
例えば、「教祖」とか「メンター」「マスター」「グル(導師)」「トレーナー」などなど。
これらの存在とカリスマの差異を明確にすることで、カリスマの本質に迫っていきたいと思います。
なにせ、「カリスマとは何か」をきちんと研究した本などはないものですから、自分で定義から考えないといけないんです。
こういう「教祖型リーダー」の元で何かを学ぶ場合は、教義を細かく定義されますし、細かく指導もされますし、少しでも違っていれば細かく怒られます。
ことあるごとに「それは違う!」と言われるわけですから、教祖と弟子の関係は非常に閉鎖的で、自由度が低いといえます。
弟子が自分の考えとは違うことをやろうとすると絶望を感じることになりますが、人は往々にして思った通りには動いてくれないものですから。
英雄オデュッセウスの息子テレマコス(Telemachus)の教育を託された賢者の名前からきていて、良き指導者、良き理解者、良き支援者を意味します。
メンター制度を設ける企業も増えてきました。
先輩がメンターとなって、新入社員をサポートするわけです。
メンター型の基本は一対一。
先生一人対生徒一人での指導を行います。
たくさんの弟子を持つ場合でも、それぞれの弟子との一対一関係を優先するのがメンター制度です。
個人の家庭教師みたいなもので、教える内容はあくまでスキル中心。
トレーナー型の先生は生徒の人間性をほとんど問題にしませんし、生徒も先生の人間性を気にしたりしません。
生徒が英語を学ぶ動機を先生が尋ねることはあるでしょうが、それはあくまで授業の参考にするためです。
生徒からしても重要なのは、先生の英会話を教えるスキルだけです。
「どうして英語を学びたいのか?」「そんな動機では英語は身に付かない」など、精神的な姿勢についてまで口を出してくるのであれば、その先生はトレーナー型というより、より閉鎖的なメンター型に近いですね。
「俺は、今日からにメンターになる!」「今日から俺は教祖だ!」と言い出しても、誰も相手にしませんよね。
信者や弟子がいるからこそ、教祖やメンターといった商売が成立するのです。