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【第10話】岩手県陸前高田市/緊急時には、ルールはルールじゃなくていい
2012-12-05 23:40陸前高田で自動車学校を営む田村さんは、学校が高台にあったために難を逃れた。しかし、地震と津波の後、東京や北海道から合宿で免許を取得しようとしていた生徒約100名が残された。全国からの支援によって全員無事に返す事ができた田村さんが、今後、復興などについて語った。 取材者:島田健弘 -
【第9話】宮城県七ヶ浜町/これからは我が子に安心感を与える事が私の仕事
2012-12-02 10:00 -
【第8話】宮城県気仙沼市/バラバラに避難した家族と事前に約束していたお寺の避難所で再会
2012-11-30 03:00 -
【第7話】福島県南相馬市/住民が8割以上もいなくなってしまった
2012-11-28 19:00 -
【第6話】宮城県仙台市/家族と離ればなれの避難も、町内会長としての奮闘
2012-11-26 23:30仙台市若林区荒浜東地区の町内会長だった大久保勝彦さん(70歳)も、震災の3日後から避難所になっている八軒中学校で生活していた。教室で妻と一緒に生活をしていた。その教室で話を聞いた。 取材者:渋井哲也 -
【第5話】宮城県仙台市/大きな余震が続くなかで不安を抱え避難生活を送る家族
2012-11-25 21:00 -
【第4話】福島県南相馬市/お金も通帳も津波で流されて、わずかな現金でこれからどうなるのか……
2012-11-24 21:002011年3月26日、南相馬市の原町第一小学校の避難所には、92人の人々が避難生活を送っていた。その多くは60歳以上の高齢者たち。地震と津波の被害だけでなく、原発事故の影響もあって混乱していた同市は、7万人いた住民が約1万人しか残っていないと言われていた。その避難所で出会った黒沢さんは、夫や娘が行方不明であるにも関わらず、明るく振る舞って避難所の炊き出しなどを積極的に手伝っていた 。 取材者:渡部真 -
【第3話】宮城県気仙沼市/住みやすいし、魚も美味しいから気仙沼に帰ってきた
2012-11-23 20:00 -
【第2話】宮城県気仙沼市/仕事がなくても従業員800人の雇用は絶対に守る!!
2012-11-22 19:00 -
【第1話】宮城県仙台市/津波が襲ってから10日後の避難所を訪れた
2012-11-21 20:002011年3月11日、東北を襲った大地震の直後、仙台市若林区荒浜の人たちは、地元の荒浜小学校に一時避難をした。すぐに10メートルを超える津波が襲い、荒浜地区全体を呑み込み、荒浜小学校の校舎は浸水して孤立した。それから 10日後、 ヘリコプターで救出された人たちが集まっていた避難所を訪ねた。そこには、荒浜にあった町内会の一つで町内会長を務めていた早坂勝良さんがいた。 取材者:渋井哲也
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