今週のお題…………「巌流島・再始動に期待すること」

e7e602ea8ee4e12e86f0990380fb4056e80e8cc9
文◎ターザン山本(元『週刊プロレス』編集長)………金曜日担当


 
『巌流島』への期待? それについて書けだと? 私にはそんな一般的なことは書けない。無理。その逆で個人的、私的なことならいくらでも書ける。今の気持ちを正直に言うと『巌流島』はなぜあんな形で中断してしまったのか? それに対する怨念しかない。別に私はただの観客、ひとりのファンでしかないのにね。とにかくすぐにでも再開、復活、継続、持続してもらわないと困るのだ。ホントだよ。誰よりもそれを望んでいるのはこの私なのだ。
 
理由は一つしかない。合気柔術の渡邊剛師範。60歳で果敢に『巌流島』のマットの上に立ちわずか15秒で敗れた。あの一戦、試合が私の中ではトラウマになった。どうして負けたのか? その結果に対して全く納得出来ないのだ。弱いから? 歳を食っていたから? そういう問題じゃないだろ。違うよ。絶対に違う。

その疑問を解くため私はある日、中央線にある師範の道場を訪ねて行った。先生は車で駅のロータリーで私を待っていた。ふうん、こんな街に住んでいるんだ。連れて行かれたところは2階建ての自宅。1階が道場になっていた。その日は日曜日だった。訪れたのは夕方の時間。さぞや道場生がいっぱいいるんだろうなと思ったらたったの一人。え? まさか。そのお弟子さんは以前、空手の道場にいたそうだ。
 
私は渡邊師範に単刀直入に聞いた。なぜ負けたんですかと。その答えはあっさりしたもんだった。場に呑まれた。あの雰囲気に圧倒されいつもの自分を失った。そのため全く普段の力を出せないまま試合は終わってしまった。
 
え? 武術の師範でもそんなことあるんですか? 試合に負けたのではなく場の空気感に圧倒された? いつもは自宅の道場の狭い空間で練習や段取りをしている人間がいきなり別世界に乱入していくんだよ。それに対して師範はほとんど無知だった。なんの準備、対策もしていなかった。想像外の体験だったのかあ。なんという世間知らず。信じられない。有り得ない。仮にも他流試合に出ていくんだよ。そのためにはあらかじめ最大にして細心の用心をしてしかるべき。それを何もしていなかったとは? これはもうお目出度いと言われても仕方がない。大の大人がだよ。それだけメチャメチャ純粋だという証明でもある。
 
師範はひたすら合気柔術を日々、研究、追究している人だった。実際にその技、極意を見せてもらったがどうしてそれを試合で出せなかったの? まるで自分のことのように腹が立ってきた。私がブレーンについていたらなあ。試合前に両国国技館に師範を連れて行きスクーリングをしていた。こうなったら私が師範のマネジャー、総合的戦略作戦担当をやるしかないな。そんなことまで考えた。2時間以上、師範といろいろ話をした。乱取りも見た。せっかくのワンチャンス、ビッグチャンスをみすみす逃したことの悔い。
 
しかし師範はそうでもないのだ。あの敗戦からさらに技術はまたアップしたよと呑気なことを言ってる。そこがまた渡邊師範のいいところでもあるのだが。それを聞くと余計に私の方がカッカした。燃えてきた。これはもう再チャレンジするしかないではないか? まさか『巌流島』は60歳以上は出場禁止という新ルールを作ったりしないだろうな。それが心配だ。
 
そのあと師範とレストランで食事をした。合気柔術の真髄を知ってしまった私はこのままでは引き下がれない。『巌流島』には再登場してもらわないと困る。困るのだ。だって渡邊剛師範は私自身なのだから。
 
なめるなよ。言っとくが私も69のクソジジイなのだあああああああああ!!!!

2e5b47bad84845ca803145e113829a8412d16a74