だが、そもそも橋下さんと石原さんとでは、政策が違い過ぎた。橋下さんはもともと、「脱原発」「憲法改正による首相公選制」といった政策を主張してきた。石原さんとかみ合わうはずがない。
何より橋下さんは、「中央集権ではもうダメだ、地方から日本を変えよう」といって、大阪府知事になった人物だ。「都構想」をぶち上げ、道州制を提唱し、府知事になった。だが、府知事では何も変えられない、と考えると、改めて大阪市長になる。橋下さんは、そういう人間だったのだ。
だが、石原さんと組み、「中央」を目指したころから、いったい何をしたいのかわからなくなってしまった。このころから、日本維新の会は変質してしまったのだ。
橋下さんにとって石原さんは、政治家としての経験も豊富で、力強く、頼りになる存在だったのだろう。なにより橋下さんは、中央を目指すために石原さんの力に頼ったのだ。一方、石原さんは、橋下さんの人気とエネルギーに魅力を感じた。「政策」で一致し、結びついたのではなかったのだ。そんな結びつきだから、橋下さんは、「ぶれ」ていってしまったのだろう。
その象徴は、昨年9月の堺市の市長選挙だった。大阪維新の会は、それまで選挙では常勝だった。だが、この堺市長選では、大阪維新の会公認の新人候補が現職市長に敗れたのである。有権者は橋下さんの変化を、鋭く見ていたのだ。
数の論理や、目先の利益で結びついた政党はもろい。「みんなの党」の分裂も同様だ。橋下さんはまだ若い。石原さんと分かれたことはよかった、と僕は思っている。なにより橋下さんには、「地方から日本を変える」という、自らの原点に返ってほしいのだ。橋下さんこそ、地方から日本を変える、「真の政治家」になれる人物だと、僕は信じているのだ。