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親友、アルフェミオの暗殺、息子エドガルの仇討ち
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一九八〇年の二月のその日、空には雲が一面に垂れこめ、今にも雹が降ってきそうな肌寒い朝であった。
ムッソー鉱山に通い始めて以来数年間、しょっちゅう友人アルフェミオ ファンデイーニョの家に寄っていた。
たいていはムッソーに泊まりがけで行くので午後原石買い付けの仕事が終わった後、晩飯を食う前に冷たいビールをひっかけにいくのだ。
彼の家は街はずれの小高い丘の上にあった。踊り場もついたビリヤード バーは広く風通しもよく熱帯盆地の町にあっても涼しい場所だった。
高校生のエドガルを長男に四人の子を持つ、とても善良な四十男であった。酒場経営の傍らエメラルド原石を商い、ときどき安い値段で私に売ってくれた。
ある日の午後遅く彼の家を訪ねると、サロンのポーチを開いたとたんにいつものように耳に飛び込んでくるバーの喧騒、ビリヤードの玉突きの音、ジュークボックスの音楽など何もなく、誰もいない。
外出でもしているのかなと思い、母屋の方に回りリビングルームに入っていった。
すると、奥のダイニングテーブルに、放心したように頰ずえをついて虚ろな眼でこちらを見ているローサ婦人の姿が目に入った。いつもなら人懐っこい笑みをうかべてアルフェミオと一緒に私を迎える夫妻がどうしたのだろうかと思い、
“ローサ夫人、どうしたの? 夫婦喧嘩でもして、亭主に逃げられたの”
その様子があまりにも異常であったが、私は冗談のように軽く話しかけた。
“いいえ、セニョール・ハヤタ、主人は殺されました”
私は、一瞬自分の耳を疑った。
色白でこの鉱山町にはまれな美人のローサ夫人の顔はやつれ、か細い声で続けた。
“一昨日の朝早く、チキンキラ(ムッソーから84キロ)のエメラルド市に商品を持って出かけたときです。五時発の始発バスに乗るために、まだ暗い四時半に家を出たんです”
そこまで言うのがやっとであった。
夫人はテーブルにうつ伏せになるなり泣きはじめた。
この前会ったときに、アルフェミオが
“最近故障が多いのでジープを買い換えようと思って、旧式のを売ったんだ”
と言っていたのを思い出した。それでバスで出かけようとしたのだろう。
夫人のとぎれとぎれの言葉をつなぐと、アルフェミオが殺されたときの様子はこんなふうであった。夫人は、
“危険だから、新しいジープを買うまで出かけるのを延ばして”
と何度も引き止めた。しかし、アルフェミオは
“俺は誰からも恨まれてなんかいない。この辺の連中はみんな俺を知っているし、俺を襲う奴なんていないよ”
と言って、夫人の制止を振り切って出かけていった。
家を出て四ブロックほど行ったところの、角のバーを過ぎた暗がりで、アルフェミオは襲われた。頭と背中に弾を受けて倒れていたのだ。
しばらく泣きじゃくった夫人はようやく気を取り直し、か細い声で言った。
“一昨日の夜お通夜をやり、昨日お葬式をしました”
いたたまれない気持ちになり、私はお悔やみの言葉を述べてその場を辞去した。
アルフェミオとよく立ち話をした裏庭を回って街路に出ようと庭に入っていった。鬱蒼とした大木の葉が庭一帯に陰をつくっており、目の前には小さな谷川が流れ、芝生の庭がなだらかな斜面をなしている。六才の次女のジャネットと末っ子の三才になるカーロス坊やが一緒にあそんでいた。
カーロスがジャネットにすねるように聞いた。
“パパはいつ帰ってくるの”
“パパはもう帰ってこないの。何度もそう言ったでしょう”
そんな子供たちの姿を見ているのに耐えられなかった。涙があふれてきそうになった。
その場を離れようと後ろを振り向くと、いつ来たのか、ローサ夫人がいた。夫人が顔を手で覆ってむせび泣いている。今の子供たちの光景を目にしたのだろう。
私は静かに彼女の肩を抱きしめた。私の胸にするどい怒りが再び去来するのを覚えた。
悲しみに沈んだファンデイーニョ家を後にして、重い足どりで定宿のホテル・カステイーヨに帰って行った。
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一九八〇年の二月のその日、空には雲が一面に垂れこめ、今にも雹が降ってきそうな肌寒い朝であった。
南国といっても海抜二千六百メートルの都市ボゴタの寒さはひとしおであった。
私は、十坪あまりの小さなオフイスの中で、回転椅子に座って窓の外に広がる灰色のビルの街並みをながめていた。
ドア番のホセを押しのけるようにして、あわてて入ってきた男がいた。ムッソーのエスメラルデーロのカーロス・グチエレスである。
ムッソーではよく商売をする間柄で、ボゴタにやって来れば必ず私のオフイスに顔を出す。
熱帯のムッソーから一年中日本の晩秋を思わせるようなうすら寒いボゴタにやって来たときには、彼はいつも痩せた長身に少しダブついた背広を着ている。一応シャツにネクタイを身につけてはいるが、ヨレヨレのシャツに垢じみたネクタイといういでたちは、日焼けした風采の上がらぬ容貌と相まって、何千万円の商品を扱う命懸けのエスメラルデーロというよりも、むしり田舎の農夫のお上りさんそのものである。
殺されたアルフェミオの親友でもあった彼は、十代や二十代の若者を配下のように使い、面倒見がよかった。若い者に商品を持たせて、売らせてやっているボスでもある。
アルフェミオが殺された後、家族の面倒を何くれとなく見てくれていた。
アルフェミオの遺児エドガルが高校を卒業したときに、エスメラルデーロになりたいというのを支援したのも彼だった。エドガルがカーロスの商品を持って、ムッソーのプラサやボゴタの私のオフイスへ売りに来たときは私もよく買ってやったものだ。
もっとも、高校を卒業する前に自分の将来について私に何度か相談したとき、私は大学進学を強く勧めたが、家族の面倒を見て生計を立てなければならないために断念したいきさつがある。
そのカーロスがいつもの落ち着きを失い、蒼白な顔で私のオフイスに駆け込んできたのである。
“エドガルが殺された”
そう言うと、テーブルに手をついて頭を垂れた。
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