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早田英志のスーパー人生論 第五回     ~やくざ、マフィア(外国)との付き合い方~
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早田英志のスーパー人生論 第五回     ~やくざ、マフィア(外国)との付き合い方~

2013-12-16 01:45

    <やくざ、マフィアとは>

    やくざ、マフィアとひとくちに言ってもピンからキリまである。
    他人に迷惑をかけないテキヤ一家やラスベガスなどのギャンブルマフィアもいれば、程度の低いユスリ、タカリ、詐欺等を徒党を組んでやる暴力団もいる。
    現在の日本の世論はやくざ組織イコール暴力団だから任侠道を自負している昔ながらの極道にとっては肩身が狭い思いだろう。勝手なもんである。
    つい一昔前までは、清水の次郎長親分や国定忠次は民衆の支持を受け、たちのいいやくざ者、大政、
    小政、森の石松などは好感を持たれ、悪党極道との区別があったのに、現在はおしなべて切り捨てである。
    何もここで極道論をやろうという訳ではないが、私の友人の那須さんはかって山口組直系の組織の若き親分でもあった。経済、政治、国際情勢等につき幾度も話し込んだが、会話の中でやくざのヤの字もにおわない、インテリで律儀な男であった。まるで大企業の部長と議論しているような印象だった。その上、気遣いのいい、男っ気のある性格でまさに魅力的な友人という感じであった。
    あった、という意味あいは数年前の山口組内部の抗争で敗れて、表舞台から身を引き、現在は連絡が取れない状態であるからだ。やってたことは主に金貸しで、他に水商売や建設工事の談合の調整役もやっていた。その筋ではそれなりに恐れられ、談合では睨みをきかしていたのであろうが、もともと談合システム自体が日本の恥部でそれに関わる工事屋やワイロ役人は税金泥棒のやくざ以下のゲスどもだ。
    なにはともあれ、私にとってはお互いに九州出身の単に幼なじみの友達という感じだけであった。彼にしても同様、同じような気分であったろう。うちとけて幼なじみのように気持ちをかよわせられる友人関係が彼の周りにそんなにはなかったのであろう。大組織の親分ともなれば常時周囲に、格好をつけ、ピリピリした緊張を張りめぐらせ、きがぬけないのがしごく当然の生活スタイルだろうから。
    彼の兄というのがこの弟さん以前の私の友達で、これまた目尻の下がった、とぼけた田舎のオッサンという風貌で、とてもこわもてのヤクザという感じではなかった。別の小さな組織の親分を張っていたが、借金取り立てのベテランであったというから驚きだ。                            
    あるとき、熊本の彼らの本部に招かれ女房ともども出かけていった。
    テレビでおなじみの神戸の山口組の本部と同じ作りで白黒土塀の小型版である。
    家の前に二、三十人の黒服(スーツ)の幹部らしき年配者がズラリと並んで出迎えてくれた。
    “忙しいところ、幹部の皆さんのお出迎えとは、恐れ入りました”
    と私が言うと、兄の那須さんがソッと私に耳打ちした。
    “今どきの若いモンにはやくざのなりてが少なくて、こいつらは皆私の昔からの仲間で組の窓際族ですよ”
    高級料理屋での豪華な会食のあと、キャバレーで幹部ともどもの打ち上げとなった。
    トイレに立つとオシボリを、クシャミをすればクリネックスをと、実に気がつく彼らの応対に感激して、私のうら若きコロンビア人女房が兄の那須さんに訊いた。
    “こんなに教育のいきとどいたマフィア紳士を見たことがないワ。日頃どんなお仕事をしているノ?”
    那須さん応えに窮して、
    “まー、イロイロとね、ウーン。あなたのご亭主に聞いてください”
    “コロンビアのマフィアみたいに、やく(ドラッグ)、殺し(ヒットマン)、人さらい(誘拐)などもするノ?”
    “トンデモナイ、そんなことしたらうしろに手が回ります(笑い)。取り立てのほかは競馬競輪のノミ屋に水商売というとこですか”
    “そんなのはウチの兄ちゃんだってやってるワ、ノミ行為だの取り立てなんテ”
    “ごもっとも、あなたのご亭主の方がヤクザなんかよりもっと凄まじい。悪い奴をつぎから次に殺ってきたんだから“
    “コロンビアじゃ悪い奴を殺っても警察はほっとケ、捜査などしないワ”
    こんな会話でその場は大笑いとなった。
    この兄貴さんの方はその数年後に糖尿病を患い、足腰が立たなくなり、車いすの生活になったとたんに、ピストル自殺をしてしまった。死ぬ直前に八代の私の友人に電話をかけてきて、
    “こんなザマじゃ、子分へのしめしがつかない。やくざ家業はやっていけない。もうこの世に未練はない”
    ズドーンの銃声。
    友人が急いで彼の家に駆けつけると、畳いちめんに鮮血が広がり、彼が大の字に往生していた。
    いさぎよい死に方である。男の死にザマはこうありたいもんだ。

    さてその翌日、九州を発ち京都に行った。
    その十年ほど前にコロンビアの日本領事館で武官領事をやっていた友人の前橋警部に会うために京都府警を訪問した。コロンビア在任中はよく彼の家に行き碁を打ち、奥さんの美味い料理をごちそうになったものである。
    また、日本人の旅行者でビザ切れ不法滞在になってる者や観光ビサでの就業違反とか移民局に逮捕されかねない日本人滞在者を私のD.A.S(保安局)とのもコネで幾人も助けた事があるが、彼に頼まれて救った者も何人かいた。そういうのは大使館になき込んでも領事は表だってなにもできないから、私みたいな裏方でのアレンジ屋がどの国にでもいるものだ。
    京都府警の受付で用件を告げると、暴力団対策本部の会議中で暴対課長の前橋警部が会議を取り仕切っているとのことだった。それでは会議室の前の応接間で待つようにと案内されて、会議室の扉の前にやってくると、デスクで執務中の婦警がインターフォンで中の前橋氏に私がやって来たことを告げた。その数秒後に、ドアがドーンと開けられ七、八名の若い刑事が飛び出してきて私の旅行鞄や女房のバッグを奪い取り、連れていた小さい子供を抱きかかえ会議室の隅のソファーまでエスコートした。
    背後で前橋警部の叱咤が飛んだ。
    “お前らグズグズしてたらアカンで!オレがコロンビアでお世話になった人やで。早うお茶をだしてやー”
    ビックリした女房が胸を撫で下ろして、
    “ワー、昨日と同じだ。日本じゃ警察でもこんなに気をつかってくれるの”
    “早田さん、昨日どこ行ったの?”、
    前橋さんが訊く。
    “エー、マー、友達の山口組の那須親分のとこですよ、熊本の。そこで皆から気の利いた接待を受けまして”
    “そうや、日本じゃ気の利かない奴はつかいものにならんやて。一般の会社でも、警察でも。やくざかて皆同じや”
    皆の前で前橋警部が怒鳴る。皆が一斉に笑い出す。
    “女房かて”
    誰かが言う。
    “ところで、早田さん、コロンビアから日本へコケインを持ち込むには、どんな方法がありますか?
    皆の前でちょっと講義してくれませんかね。早田さんじゃコロンビアのマフィアからの情報も結構入るでしょう”
    “そりゃあ、いろいろな方法があるでしょうけど、船が一番可能でしょう。難しいけど、船荷にチョイト小細工をこらすとか荷揚げ職人と組み船荷からブツを取り出すとか。船員が上陸の時持ち出すのは夜中でも困難ですが、時間と場所を選んで錘りをつけたブツを船側から海底に投げ下ろし、アクアラングで潜って取りにいく。だけどこれは、横浜や神戸の大きい港では難しい。飛行機はメカニックと組めば昔は簡単だった。天井裏に隠し、到着空港のメカニックが夜中に駐機中の飛行機から取り出すのは誰にも見られずに容易にできた”
    こんな談話をして旧交を温め、辞去した。前橋警部には後日、日本で協力してもらった事がある。
    大阪の取り立てやくざの真野一家と私がもめたときである。心斎橋の組みの事務所へ私一人でのり込む前に前橋警部から約束を取りつけた。もし三十分経っても私から彼に連絡がいかない場合、直ちに大阪府警から三十名の機動隊を組み事務所へ出向させるというものだった。
    幸いに、何事もおこらず二十分後には組み事務所を退出したので、
    “お騒がせしましたけど、無事外へ出ました。救出オペレイションは無用です。ありがとうございました”
    と電話した。
    “やくざとはあんまり揉め事おこさんといてな、話しがこじれればややこしくなるやさかい”、
    彼がもっともな忠告をする。
    “向こうから仕掛けたものは、受けて立ちまっせ。降り掛かる火の粉は振り払うのが、私の主義なのは
    よくご存知のくせに”
    “はっ、は、は、は ...”,
    互いに笑った。
    東京へ進出した私の関連会社の旅行エージェントが起こした問題の処理でやくざの介入をきたしたが、話しが長くなるので経緯は次の機会にゆずるとして、結局真野親分とは協力して問題の処理にあたる事になった。私の高校生、番長時代のグループ仲間でやくざになったのも何人か居るが、中には若頭や関東地区副理事長などその世界で出世したのを見ると、祝ってあげたい気持ちになるのが自然である。私には、ヤクザとカタギ(堅気)の区別など何もない。悪い奴と善人との区別しかない。
    では、外国のマフィアとの付き合い方にいこう。
     
    ~やくざやマフィアとの付き合いで大事なこと~
    パブロ・エスコバルを旗頭に持つコカイン・マフィアのメデジン・カーテルに比べてカリ・カーテルの方は要領よく巧く事を運んでいた。カリ・カーテルの十番目ぐらいの序列に位置するペドロが私をカリに招いた。
    彼とは私の高級アパート(日本ではマンションとか言うが)を彼に売った縁で友人になっていた。
     
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