エメラルド戦争

dc70c76e8807008a7a56d04b63b90ab991a6f2e7それは事実上、宣戦布告のしらせであった。
まぎれもなく開戦の第一矢であった。
ミレニアム2000年の明けた年の暮れも迫った十二月初旬、夕刻六時きっかりに電話が鳴った。
いつものことであるが、電話のベル音を聞くと不吉な予感がする。これまでにあまりにも多くの事件に遭遇してきたからだ。受話器を取ると、
“セニョール ハヤタ!”
と、さっそくにウワずった坑夫頭のマックスの声がとび込んできた。本能的に不吉な予感を超え、なに事が起こったのかと身構えた。
しかし続く言葉は、
“うちの鉱区でエメラルドが出ました”
で、なんだいつもの運勢とは違うじゃないかと胸を撫で下ろし、
“ポルフィン エチョ!ファンタステイコ(ついに、でかしたじゃないか)”
と、私は応えた。その私の返事が終わらぬうちに、
“しかし、エメが出てから三十分ほどでマルテインの私兵が十五人ほど乱入してきて産出地点からうちの坑夫たちを追い出して、占領してしまいました”
で、あった。
私は怒り心頭に達し、はらわたが煮えくり返らんばかりである。
“そこは間違いなくうちの鉱区だな?”
“ハイそうです、セニョール ハヤタ”
私は即刻命じた。
“倍の三十名の兵隊を仕立てて、すぐに蹴散らせ”
“銃撃戦になったら?”
“言うまでもないことだろう。だいいち十五人が三十人に反抗するものか。それほどあのバカが子分どもに慕われているもんか”
“シー セニョール”

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鉱区を隣同しに持ち、なにかにつけてこのマルテイン・ロハスとは揉めていた。
十年にわたったエメラルド戦争の一方の旗頭として幾多の敵を殺害してきたこの男の名は、エメラルド世界にとどろいていた。エメラルド帝王のヴィクトル・カランサ以外は俺の敵ではない、といつも豪語している。現に、ムッソー鉱山主のカランサはロハスをはじめとする中小鉱山主連合と戦い勝利して、コスクエス鉱山の大半を手中にした。
私は後発組でエメラルド戦争の外側で傍観者の立場にあり、直接その因果関係に巻き込まれることはなかった。人々はそういう私のことをクールと評した。しかし今の私はコスクエス鉱山の株主でもあり、ほかの鉱山主たちと競合しコスクエス・ゾーンで一番大きな採掘工程を誇っている。
これがマルテインの気に入らぬところで、隙を見て私を殲滅しようと狙っていた。                                
その一、二年ほど前に買ったビバリーヒルズの家もそういう意味合いもあり、セキュリテイーの一番高いビバリーヒルズ市の大邸宅群のド真ん中で、有名なビバリーヒルズ・ホテルから二ブロックのところの高い塀とうっそうとした木立に囲まれた二千坪あまりの大邸宅であった。
居間やキッチン、プールサイドのゲストハウスまでいたるところに銃器を装備した。ショットガン、セミオート、ピストル、やレボルバーだ。バーの棚、絵の裏、普段使わぬチムニー(暖炉煙突)の内側にソッと隠し備えた。たまに私の家にやって来る子供たちは皆大人になっており、事故の心配はなかった。ときどき訪ねてくるアメリカ人の友人がめざとく見つけて、
“アメリカのマフィアと揉め事でも起こしたのか?”
と笑って訊くので、
“ここのマフィアともめるような事業はなにもやってないよ、単なるドロボー脅かし用だ”
と、誤摩化していた。冗談にもコロンビアのマフィアと揉めていて、奴らのヒットマンがやってくる可能性があるなどとは言えなかった。そうすれば、彼らは怖がって寄り付かなくなるだろう。
一人暮らしの独身女性が深夜の住宅の窓際に忍び寄るドロボーにたいして、内側からショットガンの撃鉄を起こすガシャッ、キクッという音をさせると、ドロボーは一瞬浮き足立つ。

このマルテイン・ロハスとの抗争は熾烈を極め、双方の坑夫や兵隊が何人も死に、私の人生で起きた最も危険な状況に陥ったが、それは事件簿の最終稿で詳しく扱うとして、ここではアメリカはビバリーヒルズにおいての顛末記だけを述べる。
マルテインにとってビバリーヒルズに帰って来た私に殺し屋を差し向けることはさして難しいことではなかった。米国内でも容易にコロンビア人やメキシカンのヒットマンは雇える。
私のビバリーでの動向さえつかめば非常に可能性があった。むしろ重厚な防御態勢をとっているコロンビアでより、コロンビアを出国した後の米国での私を狙った方が容易なのは彼にもわかっていたであろう。そのため、私はいろいろ思案し、情報をケムにまく作戦をとった。
まず、ボゴタ国際空港の出国の際はイミグレイション通過後は私のボデイーガードも入れないので国家保安局(D.A.S)の友人二、三人に、飛行機に乗り込むまで警護を頼んだ。
“米国内の生活基地はマイアミ、ニューヨーク、ロスアンゼルスの各地でロスの自宅には常時五、六人のボデイガードが居る”
と、いう情報をまことしやかに身内サイドからしきりに流しておいた。これが効をなしアメリカに旅行した友人、知人たちがまるで見てきたように噂をひろめた。万一、敵のヒットマンと銃撃戦になった場合い、土地の警察やマスコミに大騒ぎされないように事前にビバリーヒルズ警察署にレポートしておこうか、あるいは“三浦のロス疑惑”を扱ったL.A.P.D(ロス警察)の友人警部ジミー・サコダ氏に相談しようかな、などと思ったが、やっぱりやめといた。何も起こらなかったとして、あらぬことでつまらぬ先入観を抱かせてはいけない。それ以後は警察の要注意リストにのってしまう。そういうのはアホもいいところだ。
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“明日一番の飛行機でボゴタに入る。カンペロ(ジープ)二台に十人ほどの兵隊を連れてきてくれ。空港から直接コスクエスへ向かう。エルドラード(黄金の意味;ボゴタ空港の別称)には夕方になるだろう。おってフライト・ナンバーと到着時間をしらせる”
“シー セニョール”
で、電話はきれた。
 
実際に十五人は刃向かわず、すごすごと引き上げていった。もし一人でもバカな跳ねっ返りが居て銃撃戦にでも突入すればむろん十五人は全員死亡、味方にもある程度の犠牲者が出て、屍は鉱穴に埋められ事件は闇に葬られる。
私が鉱山の産出現場に着くと、コスクエスの全鉱山主を統率するコスクエス鉱山会社が既に介入に乗り出し、現場は鉄条網で囲われ見張りのガードマンが立ち入りを禁止していた。私はその足でコスクエス鉱山会社に乗り込み、総支配人のパブロ デルガデイーヨに詰め寄った。
“あんたらの干渉は受けん!長い間大金をつぎ込んできて、やっと出たんだ。今から現場に突入する”
私は有無を言わさず現場の占領を強行して、その日の夕方には産出作業を再開した。この強引な手段にマルテインはらわたが煮えくり返る思いをしていたろう。
それから間もなく、マルテイン側からの使者を待ち、私は彼の広大な牧場に三十人の兵隊を引き連れ最後の談判にのぞんだ。どの世界でも同じようなものだが、一応最後の話し合いというものはするものだ。そこまで来て、尻尾を巻くような臆病犬はこの世界にはいない。
話し合いは決裂するのが明白で、そこでは形式上の開戦宣言を互いにすることになった。
“よそ者(外国人)はトッとと出て行け!”
“オレはどこにも行かねえ、やりたきゃいつでも来い!”
“そうか、じゃあ戦争だ!”
“のぞむところだ”
 
それからの数ヶ月間の抗争期間に双方の幾人もの坑夫や兵隊たちが、村のデイスコ、カンテイーナ(バー)、ビリヤード場(たいていはバーと共存)、テーホー場(鉄のボールを的に当てっこするコロンビア独特の遊戯)、時にはサッカー場でもめ合い、銃やマチェタ(刀)で殺された。
ボゴタの私のオフイスの周りには山(鉱山)からのパハロ(ヒットマン)が相次いでやって来た。
既に事件はエメラルド世界だけにとどまらず、ボゴタの界隈、警察、マスコミの知るところとなり、
すは第二次エメラルド戦争の勃発かという懸念がうずまいた。もはや銀行筋は私に融資しないと言い出した。私の方が分が悪いとおもっているのだ。
カランサをはじめとする大物鉱山主や政府の役人までが何人も調停に乗り出した。
“売られたケンカは必ず買う。コイツとは一戦交えなければ私の将来はない”
と言って、私は一切調停を受けつけなかった。
 
これ以後のシビアな経緯は後の有料事件簿で ...           
 
つづく