• このエントリーをはてなブックマークに追加
東京不良少年史1990年代初頭~「関東連合」の復活と台頭
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

東京不良少年史1990年代初頭~「関東連合」の復活と台頭

2012-11-09 08:30

     70年代に結成された関東連合だが、数代目あたりまでは会長が存在していたものの、80年代半ばから90年代にかけては有名無実化していた。僕は二代目会長のA氏にインタビューした事があったが、彼は50歳半ばでそのあたりまでは幹部会議などを開いていた。しかし、次第にチーム単独ごとの活動になっていき、関東連合としてのそれはなくなっていった。
     実質活動していなかった関東連合だが、いわゆる現在、話題となっている関東連合はいったい、いつ誰が復活させたのだろうか。
     最早、時代はチーマーであり暴走族の人数も減少していた。復活させたのは世田谷の上町、豪徳寺の付近の不良少年を中心とした「小次郎」である。70年代、関東連合結成当時の中心チームは「ブラックエンペラー」「マッドスペシャル」だったが、当時の関東連合の中心は「小次郎」「ブラックエンペラー」「鬼面党」「メデューサ」等である。
     彼らは単独チームだけでなく大きな看板が欲しかった。それで、目をつけたのが関東連合の存在である。「うちは関東連合に属していただろ」と。従って「小次郎」などは当初は「関東連合上町小次郎」を名乗っていた。

     そして、それを思いついて実行したのが、後に東京の不良少年の間ではカリスマ的存在となったA氏である。

     
    この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
    ニコニコポイントで購入

    続きを読みたい方は、ニコニコポイントで記事を購入できます。

    入会して購読

    この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。

    コメントを書く
    コメントをするにはログインして下さい。