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ゲストさん のコメント

「売れても無いもの」を「売れてる」なんて印象操作くらいやるだろ広告屋なんてw
No.66
95ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
キングコング西野さんの『えんとつ町のプペル』の売り方について、感想を聞かれたので書いてみたいと思います。 1月19日に、西野さんがブログの記事を上げました。 それは、こんなタイトルです。 お金の奴隷解放宣言。 その中で、こんなふうに書いています。 少し長いですが、引用します。 ========== その中で一通、とても気になった声がありました。 それは、 「2000円は高い。自分で買えない」 という意見。 小学生からでした。 『えんとつ町のプペル』は2000円です。 色を綺麗に出す為に特殊なインクを使っていて、使用するインクの数も一般的な作品より多く、そしてページ数も多いので、2000円という値段設定はギリギリまで頑張ったのですが、それでも2000円。 たしかに、小学生からしてみると大金で、自分の意思で買うことは難しいです。 実は、ここ数日、このことがずっと気にかかっていました。 《自分は『えんとつ町のプペル』を子供にも届けたいのに、たった「お金」という理由で、受けとりたくても受けとれない子がいる。》 双方が求めているのに、『お金』なんかに「ちょっと待った!」をかけられているのです。 お金を持っている人は見ることができて、 お金を持っていない人は見ることができない。 「なんで、人間が幸せになる為に発明した『お金』に、支配され、格差が生まれてんの?」 と思いました。 そして、『お金』にペースを握られていることが当たり前になっていることに猛烈な気持ち悪さを覚えました。 「お金が無い人には見せませーん」ってナンダ? 糞ダセー。 ……いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません(←ここ大事!ニュースになると切り取られる部分ね)。 しかし、はたして全てのモノが『お金』を介さないといけないのでしょうか? SNSで誰とでも繋がれるようになり、『国民総お隣さん時代』となりました。 ならば、お金など介さずとも、昔の田舎の集落のように、物々交換や信用交換で回るモノがあってもおかしくないんじゃないか。 「ありがとう」という《恩》で回る人生があってもいいのではないか。 もしかすると、『本』には、その可能性があるのではないか? そんなことを思い、 そして、 一度思ってしまったら、行動せずにはいられないタチなので、行動します。 今日をもって、『えんとつ町のプペル』を無料にします。 お金を払って買って読みたい人は、買って、 無料で読みたい人は、インターネットで最後のページまで無料で見れるようにします。 ========== このように西野さんは、「お金の奴隷解放宣言。」と銘打って、『えんとつ町のプペル』を無料にすると、高らかに宣言しました。 ところがその3日後、今度はこういう記事を公開しました。 絵本とフリーミアムの相性 その中で、こんなふうに書いています。 これも、少し長くなりますが、引用します。 ========== 何度も申し上げますが、絵本『えんとつ町のプペル』は今日も2000円で売られているのです。 子供が『えんとつ町のプペル』を買おうと思ったら、頑張ってお小遣いを貯めなきゃ買えないんです。 『金持ちNさん』たる僕が「お金はもう要らないよ」と言ったのは、紙の絵本という物質ではなくて、データの部分。 事情があって買えない人でも『えんとつ町のプペル』が読めるように"Web上のみ"無料したわけです。 つまり、本屋さんの立ち読みをWeb上でできるようにしたわけです。 その上で、 「お金を出して買いたい人は、本屋さんで本を買って、無料で読みたい人はWeb上で無料で読んでね」 と、「お金を払う・払わない」の選択権をお客さんに委ねたわけです。 これに対して、「お金が回らなくなる!」「クリエイターが食いっぱくれる!」と叫ぶ方が大勢いらっしゃるので、「お金を持ってないチビッ子でも読めるようにする」という(皆さんが言う)綺麗事は一切抜きにして、今から、おもくそビジネス(お金)のお話をしますね。 …ていうか、最初からビジネスの話だけをしていたら、もう少しご理解いただけのかもしれませんね。ごめんなさい。 今回の件はビジネス用語でいうところの『フリーミアム』という戦略。 「フリーミアム(Freemium)とは、基本的なサービスや製品は無料で提供し、さらに高度な機能や特別な機能については料金を課金する仕組みのビジネスモデルである。」 (by ウィキペディア先生) 絵本の場合だと、Web上で受けとることができる『データとしての絵本』と、本屋で売られている『物質としての絵本』の価値は、実は、イコールではありません。 なぜなら絵本は『読み聞かせ』という、親と子のコミュニケーションツールとしても機能しているから。 「スマホで無料で見ることができるけど、読み聞かせをするとなると、紙の絵本の方が…」 というのが、Webには無く、超アナログな紙の絵本が持っている『高度な機能』なわけです。 Webで無料公開とされているのに、本屋さんで2000円で売られている紙の絵本の付加価値は 『物質である』という部分。 ここに料金が発生しているわけです。 そして、「紙の絵本を買いたい」となってもらうには、まずは、とにもかくにも知ってもらわねばなりません。 なのでWeb上で無料にしました。 その方が買ってもらえるから。 その方が『お金が回るから』。 ========== 西野さんはもともと、「2000円は高い。自分で買えない」という小学生のために、「『えんとつ町のプペル』を無料にします」と宣言しました。 ここで気になるのは、最初に西野さんに「買えない」と言った小学生の存在です。というのも、その小学生は、それを「情報」としてではなく、「物質」として求めていた可能性が高いからです。 絵本というのは、西野さんがいうように「本屋さん」で「立ち読み」ができますし、あるいは図書館でも読むことができます。西野さんに「高い」と言った小学生も、当然、そのことは知っていたのではないでしょうか。それにもかかわらず「2000円は高い。自分で買えない」と言ったのは、「物質としての絵本」が欲しかったからだと考えるのが自然です。 ところが西野さんは、そういう「物質としての絵本」を求めていた可能性の高い小学生に対し、相手が求めているわけでもない「情報としての絵本」を提供し、その上で、多くの人に向かって「自分はお金がない小学生に絵本を無料で提供しました!」と宣言したのです。それは、小学生の願いを叶えたことにはなっていません。 実際西野さんは、後の記事では「子供が『えんとつ町のプペル』を買おうと思ったら、頑張ってお小遣いを貯めなきゃ買えないんです」と言ってしまっています。これを読まされた小学生は、一体どんな気持ちになったでしょうか? 西野さんの行為は、そういう小学生の気持ちを踏みにじったばかりか、絵本の宣伝にも利用したため、結果的に多くの人を騙すことともなりました。 というのも、そもそも「情報としての絵本」には、初めからほとんど価値がありません。なぜなら、絵本というのはそれほどページ数が多くないので、本屋さんでも図書館でも、情報としてだけだったらすぐに、しかも無料で得ることができるからです。それは、昔も今も変わりません。 ただそれは、多くの人が知らないことでもあります。多くの人は、「絵本のどの部分に価値があるか」などということは、突き詰めて考えてはいないからです。 ですので、西野さんのように「お金の奴隷解放宣言。」と銘打って、それをインターネットで無料公開したとなると、実際はたいしたことをしていなくとも(ほとんど価値がないものを無料で配っただけでも)、多くの人から「西野さんはすごいこと(新しいこと)をやっている!」と勘違いされるのです。 しかも西野さんは、初めからその「勘違い」を狙っていた節があります。それは、後の記事で「フリーミアム」の概念に触れたり、「データとしての絵本」と「物質としての絵本」の価値はイコールではない、と述べていたりするところから窺えます。 つまり、初めから自分のしていることはそれほどたいしたことではないと知っていたのです。にもかかわらず、西野さんは最初の記事で、そのことについては全く触れませんでした。もっとはっきりいえば、そのことを隠していました。 それは、多くの人の共感を得るために、実際にはほとんど価値のない「情報としての絵本」を、さも善意で無料にしたように見せかけようとしたからだと思います。 なぜそんなことをしたのか? それは、多くの人に『えんとつ町のプペル』を知ってもらったり、あるいはそれを買ってもらったりするためだったのではないでしょうか。 実際、『えんとつ町のプペル』は、西野さんのブログ記事が発表された後、急激に売上げを伸ばしたそうです。それは、西野さんの「小学生のために絵本を無料にする」という心意気に共感し、買った人が多かったからではないでしょうか。つまり西野さんの、多くの人に善行をしていると勘違いさせようとした狙いが、見事に当たったのです。 これは、一種の詐欺といっても大袈裟ではないと思います。 最後に、もう一度くり返しますが、情報としての絵本には、昔も今も、ほとんど価値がありません。ですので、それを無料で公開することにも、大きな意味はないのです。 もう一つ、西野さんに声をかけた小学生が、もし「物質としての絵本」を欲していたのだとしたら、彼の願いは今も叶えられていません。つまり「お金の奴隷」からは、いまだに解放されていないのです。
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。