97年のFFVII以降、いや01年のアニメ版ファイナルファンタジー以降、ゲームには「作品」であること以上に「商品」であることのプレッシャーが強くなった。赤字が許されなくなり、同時に失敗も許されなくなった。

そうした中で、スクエニも任天堂も死力を尽くして会社をマネジメントするのだが、両者の方向性は大きく分かれた。

なぜ分かれたかといえば、両者の間で「ゲームとは何か?」ということの定義が異なっていたからだろう。スクエニは、ゲームは「プレイヤーに遊んでもらうもの」と思った。その意味で、ゲーム産業を「サービス業」と位置づけた。
それに対して任天堂は、ゲームを「プレイヤーが使うもの」だと思った。その意味で、任天堂は「道具メーカー」たらんとした。その姿勢の違いがあったのではないか。

任天堂は、最も本質的な部分である「遊び方」をプレイヤーに預けた。自由にさせた。何をするかはプレイヤーに決めさせた。逆にい