石原莞爾は1928年、39歳のときにひどい中耳炎を煩い、半年間ほど入院する。これが石原の人生を大きく変えた。中耳炎以前は記憶力が抜群で、それを活かした学問(特に歴史学)が好きだったのだが、以降は記憶力が著しく減退し、学問の道は諦めざるを得なくなった。

それで、もう一つの得意である理論構築(あるいは論理)の分野に進んだ。これは記憶力を必要としなかったからだ。そうして満州事変を立案し、これが石原の運命のみならず、日本国全体の運命をも大きく変容させることとなる。

また1933年、44歳の頃からは膀胱をひどく患うようになる。石原は60歳のときに膀胱癌で死ぬことになるので、この膀胱炎は石原にとって人生を決める病気となった。およそ16年もわたって苦しめられることとなる。そのため石原の後半生は、つらい病苦の中にあったといってよい。

膀胱炎は寒さが原因で起こることが多い。そして石原が膀胱炎にかかった