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石原莞爾と東條英機:その142(1,905字)
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ハックルベリーに会いに行く
1週間前
日本における1943年後半の世相は暗い、暗いものとなった。1943年の前半まで、日本国民は戦争の趨勢を知らされていなかった。勝っている、と思っていた。悪いニュースはほとんどなかった。唯一の悪いニュースは、山本五十六が1943年の4月8日に死んだことだった、1943年4月18日、前線視察のため移動中に搭乗していた一式陸...
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石原莞爾と東條英機:その141(1,946字)
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ハックルベリーに会いに行く
2週間前
アッツ島はアリューシャン列島の西の方にある有人の島である。アメリカの国土であるが、アメリカ本土から最も遠いところにあるので守備が手薄だった。原住民数十人とアメリカの気象庁が派遣した通信士夫妻が暮らしているだけで、軍事施設はなかった。この島のことを、日本海軍は開戦前から注目していた。ここを活用すれ...
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石原莞爾と東條英機:その140(2,150字)
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ハックルベリーに会いに行く
3週間前
1942年の日本は、真珠湾攻撃の成功によりお祭り気分の中でスタートしたが、6月のミッドウェー敗戦により、それまでの「攻勢」から「防御」への方針転換を余儀なくされた。しかも守ろうとしたガダルカナルへの対応が中途半端になって、餓死者を大量に出すという地獄のような状況を生み出してしまった。おかげで撤退せざる...
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石原莞爾と東條英機:その139(2,285字)
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ハックルベリーに会いに行く
4週間前
1942年暮れ、日本はガダルカナル島での敗北を認めざるを得ず、遅まきながら撤退を決める。しかしこの間約2万人の戦死者を出し、内1万5千は餓死や病死という奇っ怪な状況となった。こうした奇っ怪な状況が現れるに連れ、東條英機の精神論もまた暴走していく。東條の精神論についての有名な言説の一つに、日本軍の飛行機を...
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石原莞爾と東條英機:その138(1,917字)
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1ヶ月前
東條英機が率いる日本国は、1942年6月頃まではアメリカとの戦いにおいて好調だったが、そこからミッドウェーやガダルカナルでの負けが続き、次第に追い詰められていく。そのとき日本と東條は、保身というよりは引くに引けない立場と状況に追い込まれたので、結果的に保身的な行動を取ることになる。戦争は勝たなければな...
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石原莞爾と東條英機:その137(1,902字)
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ハックルベリーに会いに行く
1ヶ月前
東條英機は日本型精神論を振りかざす人物だった。そしてこれにほとんどの国民が抵抗できなかった。そこが太平洋戦争の最も醜い部分かもしれない。しかし見方を変えれば最も美しい部分だ。なぜなら日本の精神論は日本文化の根幹にして象徴的な存在だからだ。またそれは、日本の美に依拠している。日本の美と深い相関関係...
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石原莞爾と東條英機:その136(1,923字)
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ハックルベリーに会いに行く
1ヶ月前
1942年8月に、日本は占領していたガダルカナル島をアメリカ軍に取られてしまった。ガダルカナル島はソロモン諸島にある。日本からだと真南からちょっと東へ行ったところ、オーストラリアの右上くらいである。オーストラリアは、アメリカ・イギリスと共同で日本と戦っていた紛う方なき敵国であった。そしてソロモン諸島を...
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石原莞爾と東條英機:その135(1,667字)
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ハックルベリーに会いに行く
1ヶ月前
東條英機は、1942年6月にミッドウェー海戦の敗北を知る前までは、余裕の構えだった。しかしそれが知らされ、しかも全容が海軍によって巧妙に隠されていたということも知るに至ると、急速に周囲に対する不信感を募らせていった。この頃までに東條は、真珠湾攻撃の成功で約半年間、神格化された中で生きていた。日本のヒー...
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石原莞爾と東條英機:その134(1,946字)
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ハックルベリーに会いに行く
2ヶ月前
開戦前夜、1941年9月6日の御前会議。対英米開戦が決まった後、永野修身は統帥部を代表してこのように発言した。「戦わざれば亡国と政府は判断されたが、戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合は魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を...
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石原莞爾と東條英機:その133(1,946字)
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2ヶ月前
永野修身は1880年の生まれである。東條英機の4歳上。石原莞爾の9歳上だ。Wikipediaには「海軍の三顕職(連合艦隊司令長官、海軍大臣、軍令部総長)を全て経験した唯一の海軍軍人であると同時に、大戦中に生前元帥府に列された唯一の海軍軍人でもある」と書かれている。これは永野が紹介されるとき、必ず付される概略だ。...
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石原莞爾と東條英機:その132(1,718字)
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ハックルベリーに会いに行く
2ヶ月前
太平洋戦争を始めたのは誰の責任か。それは間違いなく日本の愚かな民衆だ。民衆が始めた。この民衆に押し切られ、陸軍も天皇も戦争を始めざるを得なくなった。では、戦後に「戦争反対」を声高に叫んでいるのは誰か? それは皮肉なことに、戦前に「開戦」を叫び続けた愚かな民衆である。民衆はいつでも長期的なビジョン...
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石原莞爾と東條英機:その131(1,891字)
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ハックルベリーに会いに行く
2ヶ月前
東條英機には魅力があった。それは確かだ。サイコパス的な魅力だ。その点ではヒトラーと似ている。サイコパスとは、Geminiによれば「冷酷さ、良心の欠如、共感性の低さ、自己中心性、高い衝動性を特徴とするパーソナリティ障害(反社会性パーソナリティ障害)の一種」とある。これは、他者からすると「何を考えているか...
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石原莞爾と東條英機:その130(1,795字)
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ハックルベリーに会いに行く
3ヶ月前
真珠湾攻撃成功の後、大東亜すなわち南方においても日本軍は、次々に領土を獲得していった。この間、アメリカが牽制として東京を空襲したことはあったが、日本軍は概ね快進撃の中にあった。この一連の作戦が「第一弾」とすると、日本は大成功を収めたことになる。そこでフェーズは「第二弾」へと移行することになった。...
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石原莞爾と東條英機:その129(1,958字)
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3ヶ月前
山本五十六という人がいる。海軍連合艦隊の総司令官である。部下たちの信頼も厚く、海軍の、ひいては日本のカリスマ的存在であった。1884年生まれで、1942年には58歳であった。また、海軍軍令部総長に永野修身という人がいた。1980年生まれで1942年には62歳。山本の4年先輩かつ直属の上司に当たる。海軍の中心をまっすぐ...
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石原莞爾と東條英機:その128(2,018字)
コメ1
ハックルベリーに会いに行く
3ヶ月前
1942年前半、日本がまだ快進撃を続けていたときの東條英機は、よく市内に視察へと出かけた。当時、戦争に突入したことから食料が配給制になっていたのだが、そのことによって食料を分配する役人の権力が上がった。それで役人が市民に威張るという光景が全国で見られるようになった。東條は、それを戒めるために市内を見...
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石原莞爾と東條英機:その127(1,900字)
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3ヶ月前
国「防」を主眼に据えた、1944年の日本はどうだったか?まず3月に悪名高い「インパール作戦」が始まる。陸軍はビルマからインドへと侵攻した。連合国の中国への輸送ルートを遮断するためだ。つまり中国戦線の支援のためである。しかしこの作戦は日本軍そのものが補給と移動を軽視していたので、多数の餓死者や病死者を出...
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石原莞爾と東條英機:その126(2,134字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
3ヶ月前
この連載を書いていて思うのは、ぼく自身がいかに戦前、そして戦中のことを知らないかということだ。終戦のことしか知らない。あるいはせいぜい東京大空襲と原爆くらいである。それ以前の、そもそもなぜ戦い、どう戦ったのかを知らない。どう負けたのかを知らない。なぜ知らないかというと、戦後の日本がそれを伝えない...
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石原莞爾と東條英機:その125(1,916字)
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ハックルベリーに会いに行く
4ヶ月前
戦争が始まってから、東條英機には二つの大きな変化が訪れた。一つは、人気者になったこと。すぐに、日本国中が熱狂的に東條を支持し始めた。英雄として神格化された。このまま行けば、乃木や東郷と並んで、東條神社ができることも間違いないという勢いだった。もう一つは、この東條人気に伴って権力も集中したこと。元...
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石原莞爾と東條英機:その124(1,777字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
4ヶ月前
1941年12月8日にアメリカと開戦した日本は、未明に真珠湾攻撃を敢行し、これに成功した。この成功を受け、東條英機が真っ先に思ったのは「これでルーズベルトは失脚する」ということだった。なぜかといえば、アメリカ国民が「こうなったのは日本を不必要に挑発したルーズベルトのせいだ。おまえはもう辞めろ!」となって...
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石原莞爾と東條英機:その123(2,137字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
4ヶ月前
『はだしのゲン』の中に、戦争中、道に描いた角を生やしたルーズベルトとチャーチルの似顔絵を、広島の子供たちが踏みつけるというシーンがある。ぼくがこれを初めて読んだ子供のときには意味が全く分からなかったが、今はその心情がよく分かる。要は、日本人は両者のことが憎くてしょうがなかったのだ。特にルーズベル...
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石原莞爾と東條英機:その122(2,483字)
コメ0
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4ヶ月前
この連載を書くまで、ぼくはフランクリン・ルーズベルトのことをほとんど知らなかった。しかし調べてみると、この人物が現代日本にどれほど巨大な影響を与えたかということがよく分かった。第二次世界大戦は、ほとんどこの人物の想定通りに推移した。戦後の日本もそうである。つまりルーズベルトの思い描いたビジョン、...
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石原莞爾と東條英機:その121(1,893字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
5ヶ月前
東條英機がどうして東條英機になったのか?そこにはいろんな要因がある。父である東條英教への愛とコンプレックス、山縣有朋への恨み、永田鉄山への複雑なブラザー愛、石原莞爾という宿敵、最愛の昭和天皇、そしてルーズベルトという災難。それら各人との複雑な関係の中で、東條はやがて本当の自分ではいられなくなり、...
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石原莞爾と東條英機:その120(2,656字)
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5ヶ月前
フランクリン・ルーズベルトは、1933年に大統領になると、ニューディール政策によってアメリカ経済を急回復させ、国民の大きな支持を得た。この追い風を受けると、1936年に危なげなく二度目の当選を果たす。そうして1937年から二期目の政権が始まった。するとこの頃から、世界情勢(特にヨーロッパ情勢)は、日独伊防共...
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石原莞爾と東條英機:その119(2,049字)
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5ヶ月前
フランクリン・ルーズベルトは1932年の大統領選に初出馬し、初当選。ちょうど50歳のときであった。そして1933年に大統領に就任するが、ときはちょうどアメリカの暗黒時代、1929年から始まった世界恐慌の真っ只中だった。大不況の真っ只中だから、「何かをやってくれそう」なルーズベルトが当選したということもある。そ...
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石原莞爾と東條英機:その118(1,966字)
コメ0
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5ヶ月前
東條英機はフランクリン・ルーズベルトが嫌いだった。開戦前後はほとんど私怨に近い感情を抱いていた。それは、ルーズベルトがこの戦争を引き起こしたと考えていたからだ。ルーズベルトはずっと日本に嫌がらせをしていた。それで日本は、天皇の反対にあいながらも、アメリカと戦争をせざるをえなくなったのだ。全てルー...
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石原莞爾と東條英機:その117(2,097字)
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ハックルベリーに会いに行く
6ヶ月前
奇襲成功直後のラジオ演説で、東條英機が語った言葉をここに書き写してみたい。「今、宣戦の大詔を拝しまして恐懼感激に耐へず、私、不肖なりと雖も一身を捧げて決死報国唯々皇国を案んじ奉らんとの念願のみであります」「凡そ勝利の要訣は、必勝の信念を堅持することであります。建国二千六百年、我等は未だ嘗て戦ひに...
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石原莞爾と東條英機:その116(1,804字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
6ヶ月前
1941年12月8日の早朝に真珠湾攻撃が行われた。ハワイは日本にとっては日付変更線の向こう側にあるため、世界で一番時刻が遅い。だから日本にとっては12月8日の未明だが、ハワイにとっては12月7日の深夜であった。この作戦は本当に大成功して、アメリカのいくつもの軍艦が沈んだ。飛行機もいくつも大破した。対する日本の...
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石原莞爾と東條英機:その115(1,881字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
7ヶ月前
この世には数多の「思考のメソッド」というものがあるが、その中でも最強のものの一つといえば「ルビッチならどうする?」だろう。これは映画監督ビリー・ワイルダーの発明した思考のメソッドで、映画作りで行き詰まると、すぐに師匠であったエルンスト・ルビッチならどうするか?――と考えた。すると、たちどころに解決...
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石原莞爾と東條英機:その114(1,980字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
7ヶ月前
東條英機は、とらえどころがない人物である。だから、彼の評価は人によって違う。強気だという人もいれば弱気だという人もいる。臆病だという人もいれば、肝が据わっているという人もいる。東條の人格は役者――それもスター役者に似たところがある。というのも、スターの人格も本当にとらえどころがないからだ。例えば松...
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石原莞爾と東條英機:その113(2,121字)
コメ2
ハックルベリーに会いに行く
7ヶ月前
前回書き忘れたのだが、石原莞爾が開戦を知った時に涙を流したのには理由がある。それはかつての部下を思ってのことだ。かつての部下の気持ちを慮って、「ああ彼らは今、嬉しいだろうな」と思い、感動の涙を流したのだ。岡田斗司夫さんは、「感動の涙は罪悪感の裏返し、もしくは罪悪感が洗い流されたことの爽快感」と言...
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石原莞爾と東條英機:その112(1,869字)
コメ2
ハックルベリーに会いに行く
7ヶ月前
石原莞爾が開戦を知ったのは、1941年12月8日の朝、講演旅行で岡山から高松へと渡る宇高連絡船の中でだった。船の館内アナウンスで知ったのだ。それは真珠湾攻撃成功の報だった。これに接し、石原莞爾は思わず泣いてしまったという。直後に書いたリーフレットの一文に、こんな記述がある。「思わずなんというふか、どうし...
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石原莞爾と東條英機:その111(1,859字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
7ヶ月前
1941年3月に陸軍を離れて以降の石原莞爾は、基本的に陸軍中央(及び日本中央)とは情報を断絶されていた。だから当たり前と言えば当たり前なのだが、11月末に日本政府(東條英機)が戦争を始めることを決断したことは全く知らなかった。陸軍時代の親しい部下たちも、そのことは知っていても石原には知らせなかった。なぜ...
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石原莞爾と東條英機:その110(1,803字)
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ハックルベリーに会いに行く
8ヶ月前
開戦前夜、東條英機は自宅である首相官邸で一人嗚咽したという。同居していた家族がそう証言している。泣いていた理由は分からない。しかし妻と娘は、そんな夫や父を情けないと思ったという。それはいかにも男らしくない行為だったからだ。東條はなぜ泣いたのか?それは約束を破った天皇への申し訳なさもあっただろうが...
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石原莞爾と東條英機:その109(1,965字)
コメ0
ハックルベリーに会いに行く
8ヶ月前
この連載は石原莞爾と東條英機という二人の人物を通して第二次世界大戦、あるいは戦前の日本を理解しようという試みである。それを理解することで、明治維新以降の日本、あるいは世界を知ることを目的としている。それを知れば、人間とは何か、あるいは人間が構築してきた社会や歴史とは何かということも、大きく俯瞰す...