Evansさん のコメント
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人間の脳や肉体のスペックは、1万年間から変わっていないのだという。それならば、現代におけるハッカー(頭の良い人)は、石器時代には社会的にどのような立場に置かれていたのだろうか? 知識の文明の蓄積がほとんどなく、体力ばかりが重視されるように思える原始時代に、彼らはどのようにして存在感を発揮していたのだろうか? ――という命題を考えた人がいて、Twitter上でいろんな人との議論を重ねながら、さまざまな可能性を想像していて、面白かった。 石器時代、ハッカーの才能は何に使われたか ところで、この命題は非常に示唆に富んでいる。なぜなら「頭の良さ」とは知識の積み重ねやその量で測られるのではなく、それとは別のところに存在する――ということを明らかにしているからだ。 どういうことかというと、現代にハッカーが生き残っているということは、1万年前にハッカーがいたことの証拠になるばかりでなく、1万年前の社会でハッカー
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。
ハッカーに求められる才能(文字・記号知識やパターン解析能力あたり?)なるものがあったとしても、それを活かす社会であったかどうかが疑問が残る。上で誰かが書いてるけど、石器時代だと技術力がないから食料生産で手一杯で、余暇時間を捻出できないから自由な創作活動を行える時間が捻出しづらかったと思う。敢えて書くなら、複雑な宗教儀式(雨乞いなども含む)を取り仕切る司祭や、占星術師とか占い師(天候予測)あたりがそれに該当しそうかな。
いずれも社会の上層部であり、一つの村の人口の10%にも満たない非生産階級者だろう。それ以外の家計(主に農業)で生まれたハッカーの才能を持つ者(笑)は、おそらく才能を生かせないまま一生を終えたか、体が弱い場合は淘汰されて遺伝子を残せなかったんじゃなかろうか。まぁ漁師あたりに生まれたら、天候予測能力を活かす場面は多かったかもしれないが。
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