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岩崎夏海さん のコメント

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岩崎夏海
>>1
ぼくもまだイメージできないんですが、オリンピックの新しい楽しみ方、あるいは伝え方が生まれるような気がするんです。
No.3
135ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
2013年9月8日の朝、2020年のオリンピックが東京で開催されることが決まった。 ところで、オリンピックというのはけっして永遠普遍のものではなく、そこには時代の要請に応じて変遷するモード(流行)というものがある。 そこで今回は、ここ40年のモードの流れと、今後の方向性について書いてみたい。 まず、近代オリンピックが今のような「ビジネスと密接に結びつく」形になったのは、1984年のロサンゼルス五輪がきっかけだといわれる。 それまで、オリンピックとは「公共事業」のようなものだった。開催することで、その都市や国の名声は高まるけど、代わりにお金は失ってしまう。世界中にその名が知れ渡るから恰好のPRにはなるけれど、市の財政は食い潰される――そういう性質のものだった。 ところが、それを一変させたのがロサンゼルス五輪のプロデューサーだったピーター・ユベロスだ。 ユベロスは、徹底的なコスト削減を図る一方、周到な演出でオリンピックを一級のショーに仕立て上げ、テレビの放映権料や広告費で莫大な黒字を生み出した。 そうして、オリンピックを「カネのなる木」に変えたのだ。ちなみにユベロスは、オリンピックでの功績を買われて後に大リーグのコミッショナーを務めたりしている。 ロサンゼルス五輪が変えたもう一つのことは、スターを誕生させたことだ。その名はカール・ルイス。陸上競技の100メートル走を含む4つの金メダルを獲得し、世界中にその名を轟かせた。 そうして、ルイスは世界的な人気者になった。すると、その人気を当て込んだCMの出演依頼が殺到する。 これを契機に、それまで厳格に禁じられていたプロ選手のオリンピックへの参加が、徐々に緩和されていった。やがてその規制は、完全に撤廃されることとなる。 その次のソウル五輪も、これまた大成功を収める。 この大会は、韓国が自国の発展を世界にアピールする絶好の機会となった。これをきっかけに、韓国は大きな経済成長を果たす。 こうした現象は、1964年の東京オリンピックでも見られたことだった。だから、目新しさはなかったが、ただ、その効果がここでも実証されたため、以降のオリンピックでは、自国の経済を活性化させるという目的で開催に名乗りを上げる都市が増えていくこととなる。 その次のバルセロナでは、日本人のヒーローやヒロインが誕生した。 まずは、競泳で金メダルを獲得した岩崎恭子というアイドルが誕生する。彼女が優勝インタビューで語った「これまで生きてきた中で一番幸せ」という言葉は、その年の流行語にもなった。また、柔道の吉田や古賀も、日本中に感動を与えるような形で金メダルを獲得した。 そうして、それを見ていた子供たちの間に、「オリンピックで活躍すればヒーロー・ヒロインになれる」という、強い憧れを植えつけることとなるのである。 その次のアトランタは、これまでのものと比べるとやや盛り上がりに欠ける大会となった。その一番の理由は、 
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。