• このエントリーをはてなブックマークに追加

hiruneさん のコメント

 ハックルさん、こんにちは。秋元さんの弟子になるまでの過程、拝見させていただきました。ずっと疑問だったのですが、ハックルさんは東京芸術大学美術学部建築科卒という立派な肩書がありながら、その立場にあった就職先を全く検討しなかったのでしょうか?4年通って、気持ちの変化は起こりませんでしたか?
 以前、肩書のために入学したとか、つまらない大学だったとかおっしゃっていられたと思います。私からみると「もったいない」と感じてしまいます。
No.1
135ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
[質問] どのように弟子入りなされたのか詳しくお話を聞かせて頂きたいです。 [回答] きっかけは、高校2年生のときでした。 修学旅行先で同級生が見ていたテレビ番組をたまたま一緒に見ていたぼくは、そこで衝撃を受けました。その番組が、あまりにも面白かったからです。 おニャン子クラブというかわいい女の子たちが何人も出ていて、とんねるずというお笑い芸人が魅力的な企画をくり広げていました。それは「夕やけニャンニャン」という、フジテレビで放送していた平日夕方の帯番組でした。 以来、その番組を毎日楽しみに見ていたのですが、そうするうちに、おニャン子クラブやとんねるずの歌詞を書いていたり、あるいは番組そのものの構成を担当しているのが秋元康さんだと分かって、秋元康さんに強烈な憧れを抱きました。 「ぼくも、秋元さんのようにいろんなものをクリエイトする人間になりたい!」 そうして、弟子入りを志願するようになったのです。1985
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。