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岩崎夏海さん のコメント

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岩崎夏海
>>1
畏れというのは、「おれは絵なんて描いてていいのだろうか?」と思うことで、これは芸術の真髄までリーチしないと味わえない感情なので、その意味ではまだまだ描き足りないのかもしれません。あるいは、美しいという思いが足りないということもあります。例えば美女を見て、「あまりに美しくて殺してしまいたい」と思うのが芸術の真髄です。

美を再現するだけの理を理解したいというのは、単なる技法的な問題で、芸術的な同期とは無関係です。
殺したいほど美しいと思う気持ちと、美をもっと表現できるようになりたいというのは、並行して持つべき感情です。車の両輪のようなものですね。
No.2
131ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
「人間はなぜ絵を描くか?」ということがあるとき分かったので、今日はそのことについて書く。 人間はなぜ絵を描くか? それは「所有欲」から来ている。 あるとき、美しい景色を見た人がいた。その人は、その景色にたいそう感動し、しばらく見入っていた。 その後、その人は重大なことに気づいた。それは、「その景色は移り変わってしまう」ということだ。 その人は、その景色を何とかとどめておきたいと思った。何らかの形で固着させ、何度となく愛玩したいと思った。自分の手のひらの中に、その景色を握りしめたいと思ったのである。 そんな「景色を我が手に」という「所有欲」から、絵を描くという行為は生まれたのだ。 だから、絵を描くという行為は、その原初において非常に穢れている。なぜなら、それは、景色という非常に大きなもの――この世界そのもの――を所有したいという、傲慢で不遜な欲求に端を発しているからだ。 ただし、面白いのは、そういう傲慢で不
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。