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南波さん のコメント

まあ奥田くんも、対して知りもしない組織内の人間の発言で揚げ足とられてもちょっと可哀想だけどなw
No.82
111ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
SEALDsという組織は失敗するだろう。 その理由を、以下に、なるべく簡潔明瞭に書きたい。 まず、SEALDsの奥田愛基さんに殺害予告が来たという。 それに対し、奥田愛基さんはTwitterこう述べた。 「学校の方に、僕と家族に対する殺害予告が来ました。なんか、僕だけならまだしも、なんで家族に対してもそうなるのか…。何か意見を言うだけで、殺されたりするのは嫌なので、一応身の回りに用心して、学校行ったりしてます。被害届等、適切に対応してます。」 https://twitter.com/aki21st/status/648384408714506240 これに対し、田山たかしさんという人がTwitterでこう述べている。 「日本人からの殺害予告すら警察という実力組織に頼らざるを得ないのに、何で外国からの攻撃を実力以外で阻止できると思うのか全く分からない。」 https://twitter.com/neon_shuffle/status/648440615894581248 さらに、それより以前、SEALDsに所属するてんこさんという人が、こう述べている。 「反原連の片付けを終えてSEALDs抗議に行ったら、福岡の大学生がスピーチ中。「もし本当に中国や韓国が攻めてくるというのなら、僕が九州の玄関口で、とことん話して、酒を飲んで、遊んで、食い止めます。それが本当の抑止力でしょう?」真理だ。」 https://twitter.com/Nority_for_two/status/637233830357811200 SEALDsという組織は、安保法案に反対している。もっといえば、「集団的自衛権を行使すること」に反対している。そこでは、意見が一致している。 しかし、それとは別に、深刻な意見の対立を内包している。それが何かといえば、「個別的自衛権の行使」についてだ。 SEALDsの中には、個別的自衛権の行使には賛成の人がいる。例えば、奥田愛基さんがそうだ。彼は、自分や自分の家族が暴力にあったら、暴力による抵抗を辞さないかまえだ。だから警察に通報した。 一方、DEALDsの中には「個別的自衛権の行使にすら反対の人」がいる。例えば、上に挙げたてんこさんなどは、そういう考えだ。誰かが暴力を振るってきても、それに暴力では対応しないようにしようと考えている。 問題なのは、この「個別的自衛権にすら反対」というてんこさんのような人々が、SEALDsの中に奥田愛基さんのような「個別的自衛権には賛成」という人がかなり含まれていると、まだ気づいていない点だ。なぜなら、それに気づいてしまうと、そういう人とは絶対に共闘できないからである。 「個別的自衛権にすら反対」という人は、いうならば「非暴力主義」だ。非暴力主義の人は、その思想上、いかなる暴力も認めていない。たとえ自分に暴力を振るわれても、やり返してはいけないと考えている。そして、そのことこそが重要だと考える。 だから、「個別的自衛権には賛成」という人とは、絶対に相容れないところがある。彼らにとっては、「個別的自衛権には賛成」という人も、「集団的自衛権にも賛成」という人も、暴力を肯定しているという意味では同じ穴の狢と見える。同じ論敵として映ってしまう。 それゆえ、もしそれが明るみに出れば、以降は共闘できなくなるのだ。内部分裂は必至となる。 そしてそれは、奥田愛基さんの警察への通報で、明るみに出てしまった。てんこさんのような多くの非暴力主義の人が、これで気づいてしまった。SEALDsの中には、「個別的自衛権には賛成の人」がいる、ということに。 そのため今後、多くの非暴力主義者はSEALDsを離れていくだろう。「場合によっては暴力もOK」という人とは、一緒に戦えないからだ。そのためSEALDsは、以降は「集団的自衛権には反対だけど、個別的自衛権には賛成」という人だけになる。 そして、そうなった瞬間に、一気に弱体化する。なぜなら、「集団的自衛権には反対だけど、個別的自衛権には賛成」という考え方には、もともと論理的に弱いところがあるからだ。他者からは、それこそ「自分だけが助かればいいという利己的な人間」にしか見えないので、求心力をなくす。特に、SEALDsを離れていった「非暴力の人たち」に、「暴力肯定の上に利己的だ」として、激しく非難されてしまう。 おかげで、彼らは立場を失い、やがて自然消滅するだろう。そうして、非暴力の人だけがまた別に運動をくり広げることになるのだが、おそらく、これも長くは続かない。 なぜなら、彼らにしても、「非暴力」の難しさを知らないからだ。 おそらく、今の日本で非暴力を唱えている人は、一度たりとも誰かから殴られたことのない人間ではないだろうか。一度でも誰かから殴られたことのある人間は、非暴力の難しさを知っている。そうして、おいそれと「非暴力」とは言えなくなる。 非暴力とは、この世界で何より強い人間のする戦い方だ。それこそ、偉人のような強さを必要とする。その偉人のような強さを持つ人が、今の若い世代――つまりゆとり世代にいるとは、到底思えない。 そうしてSEALDsは、完全に失敗するだろう。それは皮肉なことに、SEALDsを快く思わない人間の殺害予告がきっかけとなったのだ。
ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。