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兵頭新児さん のコメント

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兵頭新児
こんちは(^^
本当にここまで身勝手に居直られると、いっそ清々しいですねw
しかし、時々書くように、フェミニストの自己イメージは、呆れて舌を巻く程に高い。
「ここまでサベツにサベツを重ねられて、苦労して頑張って来たんだから、ここでちょっと自分にご褒美があってもいいじゃないか、テヘペロ」というのがこうした居直りをしている時の彼女らの心理なのではないかと想像します。

>こんなん万札とクレジットカードがぎっちり詰まった財布を持ちながら無銭飲食して「自分の食った分を店が立て替えて当たり前だ」としているのと何が違うんだ…

ホントそうです。
その財産が全て他人から強奪したものであっても、全然驚けませんね。

>で、当の本人であるクーコ女史やKTB兄者の様な輩は早々に開き直り支度を始めた…と。

なるほど。
結局、フェミバブルは記事にも書いた女流エロ漫画家や彼女らの描く漫画に登場する「強く勇ましいOL」のイメージに助けられて登場した、それらの類似品でした。
しかし景気が悪くなってくると、オタサーにも商売敵が流入してくる。
それで「社会進出」などに伴う責任を背負うことは回避しつつも既得権益は守りたい、というのが彼女らのホンネでしょう。

隆明>

両方間違ってますねw
直しておきました。
No.2
100ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
    夏休みまんがまつり 予告編   マジンガーY対暗黒フェミ将軍  夏休み、女災対策的随想がよい子の皆さんに贈る長編漫画映画『マジンガーY対暗黒フェミ将軍』。  ドクターKTBを凌ぐフェミ王国の支配者、暗黒フェミ将軍率いる七つの軍団。  その魔の手は全世界を震え上がらせた。  ロンドン。  パリ。  ニューヨーク!!  そしてモスクワ。  世界の都市は壊滅的な打撃を受けた。  残るはマジンガーYの守る東京だけだ。  だが七つの軍団は強い。実に強い。  女災理論で身を固めるマジンガーYも砕け、溶け、或いは裂ける。  強い。実に強い!  暗黒フェミ将軍率いるバドフェミ獣軍団。  危うしマジンガーY、頑張れマジンガーY!!  ――というわけで以前、当ブログでも 著作を紹介した 、KTBアニキが話題となっています……が、本稿はそれがテーマではありません(ちょっとだけ絡めるのでガマンして読んでください)。  KTBアニキに関しては、まあ以前から疑いは持たれてはいたものの、要するに「JKの制服を性的に見る文化は許せぬ」と言っておきながら、かつては「JKの制服大好き」と語っていた、現行不一致だと責められているようです。もっともご当人がおっしゃる通り、「かつてはそうだったが正義に目覚めたのだ」とのストーリーには一貫性があり、それだけでアニキを責める気には、ぼくにはあまりなれません。  またツイッター民が騒ぐ通り彼が「オフパコ」とやらのために「フェミニズム」を政治利用していたとして、それって「表現の自由クラスタ」とどこが違うのか、ぼくにはわかりません。彼らに唱和して投石する気になれないのは、そういう理由もあるからなのですが、それは置くとして、本題です。  黒人フェミニスト、ロクサーヌ・ゲイ師匠による、「バッドフェミニスト」という概念を提唱した記事が話題になっています *1 。  私の好きな色はピンクです。ファッションマガジンを読んでかわいい物を見るのも好きです。『The Bachelor』やロマンティック・コメディを観たり、おとぎ話が現実になるようなばかげた幻想も抱いています。  他の全てのフェミニストのマニフェスト同様、「 本人は革新的だと信じて疑わないが 、新しさが微塵もない」聞き飽きた宣言です。  ゲイ師匠はまた、ポルノ的なラップが大好きだともカムアウトしています。  たとえその歌詞が女性を貶めるようなものでも、それが私の核心をつくのです。イン・ヤン・ツインズの名曲『Salt Shaker』はマジでヤバいです。 「濡れたTシャツで動かせビッチ お前のアレが痛くなるまで振り続けろ」 「フェミニズムの主流に反する、悪いフェミニズム」というのが彼女の自己規定ですが、「ピンク」や「ロマンチック・コメディ」などを楽しみつつ「男たちが押しつけたジェンダー規範はけしからぬ」というのは平仄にあいませんし(女性に「ピンクを着ろ」と強制する男性は稀なはずですが、ジェンダー論とはそこを「いや実は強制があるのだ」と強弁するために生まれた疑似科学でした)、ふざけたことに彼女はこのようにも言っています。  男性的な仕事なんてまったくやりたくないと思っています。          家事も含めてですが、虫を殺したり、ゴミを捨てたり、芝を刈ったり、車のメンテナンスをしたり。 1つもやりたくありません 。  汚れ仕事、危険な仕事、大変な仕事は男性がやらねばならないようです。それで、男女の収入格差については許すまじ、とでもおっしゃるおつもりでしょうか。指摘するのも面倒ですが、こんなの単なるいいとこ取りでしかありません。  これに共感した日本のフェミニスト、七海師匠の発言が、togetterでもまとめられておりました *2 。 正しいフェミニストには、「男に奢って欲しい」とか「結婚したら専業主婦になりたい」なんて、言っちゃいけないような空気があるっていうね。 男は「専業主夫にしろ」「女が俺を養え」って言いたい放題なのにね。 女はどうしても『良い子』を演じなきゃ同性からも受け入れられないんだなあっていう 「専業主婦になると離婚した時困るから仕事は続けなきゃ駄目』とか『男に奢らせると付け上がるから割り勘にしなきゃ駄目』とか、そういう『正しい』ことしか言えない空気があるよねっていう  身勝手もいい加減にしろという以外の感想が、湧きようがありませんね。  そしてまたバッドフェミニズムは「白人上流、中流階級」以外の女性にも目を向けるのだそうです。  いや……そもそも「白人上流、中流階級」以外にも目を向けようという動きは、フェミニズム内部でも大昔からあったはずです(ブラックフェミニズムなど)。ゲイ師匠は「セクシャルマイノリティにも目を向ける」と得意げに言っていますが、フェミがセクシャルマイノリティと癒着してからも、かなりの年月が経っているはずです。  七海師匠の発言でもわかる通り、フェミニストは「客観的事実」を認識する能力において絶望的なまでの欠落を抱えているのですが、それにしても……としか言いようがありません。 *1「 私はピンクが好きな悪いフェミニスト」完璧さを求めがちなフェミニズム運動に対する、一人の女性からの提案 *2 バッドフェミニストという概念が素晴らし過ぎた  ゲイ師匠の発言を見ていくと、「フェミニストたちの評判が悪いこと」へのグチがだらだらだらだらと並べ立てられています。  私が若い頃、10代や20代の頃は、フェミニストに関する変な考え方を持っていました。気難しくて、怒りっぽく、男嫌いで、セックスも嫌いな女性。それが悪い女性だと思っていたのです。  多くの女性が、特に革新的で産業のリーダーである女性は、フェミニストというレッテルを貼られることを恐れています。彼女たちは立ち上がり、「そうです。私はフェミニストです」と言うことを恐れています。  若い頃の彼女の考え方の方が正しいし、それこそがフェミニズムが受け容れられない理由のような気がするのですが……。  こうしてみると、「バッドフェミニスト」には、フェミニストたちの軟化政策という側面がありそうです。イスラム教が豚肉食を許容するからウチヘ来て来て、と言ってるような。しかし、(豚肉食には宗教の根幹に触れるタブー性はないと多分、思うのですが)「バッドフェミニスト」はそもそもフェミニズムの根幹を否定してしまっている。  そこに何ら疑問を感じていない辺りがもう、「お察し」という他ないのではないでしょうか。  しかし七海師匠は、これにいたく感服なさっています。  私はピンクが好きな悪いフェミニスト。堂々とこう名乗れる女性は ロックでかっこいい 。  ピンクが好きでも、王子様を夢見ても、少女漫画のドSイケメンが好きでもいいんだよ。そんなフェミニストがいてもいい、って力強く言えるような空気は日本にはないのでアメリカや韓国が羨ましいと思った  どう考えても身勝手で幼稚な駄々を、「ロックでかっこいい」と信じきるのはフェミニスト共通の特徴ですが、七海師匠の中ではそれなりの「情緒的整合性」があるのでしょう。  ぼくがいつも言及する、80年代後半から90年代前半にかけてのフェミバブル。その当時に出ていたフェミ雑誌『ニュー・フェミニズム・レビュー』のVol.3「ポルノグラフィー」特集号を読むと、そうそうたるフェミニストたちの「 レイプポルノ大好き 」というカムアウトが並んでいてクラクラ来ます。 私はふだんバカな男をキューダンするようなことを言ってるくせに、残念ながらセックスに関しては定番どおりの「横暴な男にいじめられる女」というパターンが、けっこう好きです。 「女をモノ扱い」するのもいいなー。 「強姦ごっこ」も「リョージョク」されるのも「縛られる」のもいいなー。 なぜなら私がレディース誌に典型的であるとしてとりあげようと思っていたパターン――たとえば男の強い眼光に射すくめられ、抗いながらも魅かれていく自分をどうすることもできない、とか、何らかの事情で抵抗できない状況に追いこまれて処女を奪われ、徐々に官能そのものの存在に作りかえられていく、とか、あるいは縛られて身動きできない状態で男に好きなようにいたぶられる、といったパターンそれ自体が、実は、私自身大好きなパターンでもあることに気がついてしまったのだから。  前者は石坂啓師匠、後者は藤本由香里師匠の発言です。  石坂師匠って男性向けポルノを(ご自分で仰せの通り)否定なさっていたんですけどね。  藤本師匠は皆さんご存知であろう腐女子フェミニストであり、ポルノに比較的鷹揚なのですが、同時に著作ではドウォーキンの「すべてのセックスはレイプである」とのロジックを肯定的に引用してもいます *3 。  しかし、これとて驚くには値しません。これらバブル期におけるフェミニストというのは、内田春菊的「女流エロ漫画家」と同じ位置にいたと思われるからなのです。  彼女らはただ単に「エゴイズム丸出しな女が男を小馬鹿にする」以上に特に取り立てて何ら特徴のない愚作にエロをまぶしただけのものを連発しては、「性を赤裸々に語る作家」としてギョーカイ人から 神のように崇め奉られていました 。  他に例を挙げるならば、『 男性受難時代 』でもご紹介した(そして、当時馬に喰わせるほどに溢れていた)「女子大生座談会」や、やはり女流エロ漫画家の近似種と言える女流コラムニストの低クオリティなコラムなども同様と言えましょう。  今ではすっかりなかったことになっていますが、バブル期は「男勝りで攻撃的で優秀で美貌の、そして男たちを挑発するエロい女たち」がこの日本に大量発生しているという「設定」になっており、女流エロ漫画家もフェミニストも同様な「薄さ」でギョーカイに受け容れられていたのです(今のオタ論壇の中枢にいるリベラル君たちが非現実的なフェミ崇拝をしている理由も、一つにはこの時のトラウマにあるかと思われます)。上野千鶴子師匠がまさにそのような売り出し方をして、吉本隆明に「娼婦だ」と言われていたことが思い出されますね。  即ち、「バッドフェミニズム」はどう考えてもこの三十年、(少なくとも日本においては)主流であり続けていたのであり、彼女の言はそうした三十年をスルーすることでしか、成立し得ないものなのです。  ゲイ師匠の発言は、ここ三十年の流れを無視した「自分が見えてない」ものではありますが、同時に「とうとう居直って、自分たちのエゴイズムを言語化した」という意味あいを持っていました。  これからフェミニストたちはいよいよ居直り、いいとこ取りを図々しく要求していく、その皮切りが本件だったのでは、というのがぼくの感想です。 *3 『 快楽電流 』  それともう一つ。 「バッドフェミニスト」とは上にもあるように「ポルノを認めてくれるフェミニスト」です。いえ、恐らく実際には、身勝手極まる主観的判断で「自分に快いポルノ(具体的には責めがイケメンである)」以外は女性差別であるとの論法を持ち出すことは、今から想像できてしまいますが、「表現の自由クラスタ」が持ち上げる「リベラルフェミニスト」であるはずのピル師匠も「おっぱい募金」を否定なさっているのですから、同じことです。  となると「表現の自由クラスタ」はバッドフェミニストを称揚しないことには、平仄にあいません。果たして彼らは、どのように反応していくのでしょう。これ幸いとバッドフェミニストに乗っかるのでしょうか(先のまとめを見る限り、否定的な人がいるので、そう決めつけるわけではありませんが)。  となるといよいよ、KTBアニキを論難できる者は少なくなる。  ゲイ師匠も、KTBアニキも表現の自由クラスタもピル師匠も、鳥越さんを支持したフェミニストたちも、みな同じく「バッドフェミニスト」です。  自分のエゴとフェミニズムを論理矛盾も顧みずに「魔獣錬成」して「ぼくのかんがえたさいきょうのふぇみにすと」を生み出している、と言う点ではみな、同じなのですから。  彼ら彼女らはみな、「バドフェミ正機説」の前に救済される。  救済されないのは、「免フェミ符」を購入しなかった者だけ。  そしてこれからもフェミは「手形売り屋さん」として、未来永劫栄えるのでした。   めでたしめでたし。
兵頭新児の女災対策的随想
「女災」とは「女性災害」の略。

男性と女性のジェンダーバイアスを原因とする、男性が女性から被る諸々の被害をこう表現します。



このブログでは女性災害に対する防災対策的論評を行っていきたいと思います。