• このエントリーをはてなブックマークに追加

顔面核爆弾さん のコメント

遅ればせながら新年あけましておめでとうございます。

>本件を「ロリコン差別」にしたい人たちもいるようですが、そもそも「男性差別」も「ロリコン差別」も、フェミニズムという宗教体系を受け容れるならば、そんなものは存在し得ない(いや、それら差別は正当なものである、と言い方をした方がわかりやすいでしょうか)。

全くもって仰る通りです。有村悠が凍結されたことに騒いでいる左派寄りのオタクが『反ロリコン差別』を主張している様ですね。
兵頭さんが仰るように彼らはフェミニズムに対する知識が殆どありません。
いつだか前にフェミ関連の話でロリコンクラスタに絡まれたことがあります。彼ら曰く、フェミニズムはロリコンの味方らしいですよwww
なんと言いますか、彼らとはもう議論する気も起こりません……。
二次専クラスタにもフェミニズムの肩を持ちたがる人が大勢いらっしゃるのでホントにどうしようもない連中ですよ。右派ではない私ですら、彼らから『ネトウヨ』と呼ばれましたからねwww

 >eternalwindの推理に従うならば、例えばドウォーキンのような過激すぎる主張は、丁度「宇宙帝王ジヌー」みたいなもので、やはり「ハシゴを登った上でハシゴを取っ払った後の信者」にのみ吹き込むしかない、との計算がフェミニズム側にあったのだ、ということになります。
 しかし現実にはドウォーキンに近いミレットの『性の政治学』は1973年に日本語訳が出ており、彼女らがそこまで意図的に、こうした思想を密教化しようとしているとは、あまり思えない。彼らが吹聴しているリベラル/ラディカルフェミニズムのウソも、ちょっと調べればわかることです。彼ら彼女らがそこまで利口だと考えるのは、いささか過大評価でしょう。

自称リベフェミのピル師匠が主張するフェミ論理は完全に彼女のオリジナルなのでフェミ系の本を一冊でも読めばウソだと分かるはずなんですがね。反男性差別クラスタの中にもフェミニズムの肩を持ちたがる人が結構いらっしゃるので訳が分かりません……。
フェミ系の本を何冊か読んでいて痛切に改めて思ったんですが、彼女らの主張って結局は『男は女を守るべき』という古風なジェンダーロールを現代風に再生産してるだけなんですよね。
前に兵頭さんが『「オタク」とは今まで「父親」「息子」「社員」といった社会的役割を「鎧」にしてきた男性の、その役割を剥ぎ取った、史上ぼくたちが初めて見る「裸の男性」である』と喝破しました。
フェミ様にとって、そんな『裸の男性』は敵でしかありません。何故なら、自分らが被害者としての地位から引き摺り下ろされる危険性があるから。
フェミ様は自分をお姫様として扱わない裸の男性に対して『男らしさの鎧を脱げ!』と恐喝しますが、そもそも私たちは鎧どころか服すら着ていない裸なのです。連中は明らかに我々が社会的に立場が弱い男らしくない男と分かって叩きに来ている確信犯です。
今回エタ風の話題が出ましたが、彼は私や兵頭さんよりも男らしさから解放された男といえるんじゃないでしょうか。『男は女を守るべき』という『男らしさ』から解放された男は毎日のようにネット上で女性批判を繰り返すエタ風のような存在になるだけです。
知り合いの腐女子から借りた多くのフェミ本にざっと目を通しましたが、どの本も『私の周りにいる男は理想の男ではない』といったヒステリックな論調でしかなく、『女にとって都合良く奉仕する男になれ』としか書かれていないんですよ……。
ぶっちゃけフェミっぽい女の人って、なんかDQN臭がします。もう少し正確に言うと、本当はDQNに憧れているんだけどDQNにはなれなかったみたいな。例えるなら、サブカル君の女版みたいなイメージでしょうか。
サブカル君ってDQNを馬鹿にしているわりに実はDQNになりたかった的な強いルサンチマンを随所に感じる時があるじゃないですか。彼らは高学歴だけど、知性には男性的魅力がないという葛藤の問題を解消するためにオタクを叩いたり、チンポ騎士になってみたりと言動や行動が完全にDQNそのものなんですよね。サブカル君は『女に対してDQN的なオタク』という兵頭さんの指摘はホントにその通りでして、フェミ女の場合は『男に対してDQN的な腐女子』と言い換えることが出来ると個人的には考えています。
いつだかエロゲのことを『性愛から見放されたデブゲーム』と喝破した宮台さんや萌えアニメを『レイプファンタジー』という造語を作って批評した宇野さんも内面世界にリビドーを備蓄するオタクタイプではない極めてDQN的な人物であるにも関わらず、サブカル界のトップにいることからも彼らの本質がマッチョイズムの塊であることは自明の理です。
劣悪な肉体により、リアルタイムの青春から阻まれていたサブカルの成れの果てがフェミなのではないかと思います。そして、劣悪な肉体にフェミ武装をしてバカ女に媚びを売る表現の自由クラスタは自分の内面世界と外面世界のズレを認識出来ず、内面世界でもがいているうちに外面世界に辿り着けなくなってしまったセカイ系と言えますね。でも、最近はサブカル寄りのオタクが主流なのか分かりませんが比較的若いオタクはDQN率が高い。現実的な話、ラノベ作家や萌え絵師といった作り手側にもリア充率は高いので当時の私はホントにビックリしましたよ。てっきり私のような絵に描いたようなキモオタだと思っていたものでwww
一見フツーそうな女性でエロラノベを執筆している人と話す機会があったんですが、オタク男性の趣味趣向について良く勉強されていましたよ。
『オタク男性は自分に男性的魅力がないことをコンプレックスに感じているから恋愛対象が男の代わりに戦ってくれる神様のようなヒロインを求めている』と的確な指摘をしていて思わず頷いてしまいました。そういえば本田透も似たようなことを言っていた記憶があります。百合系作品はハーレム系作品の進化系なのではないかと最近は思いますね。女性クリエイターの方が作った百合系作品は神ってるのが多いのでホント興奮しますよwww
とりあえず、この世界から糞サブカル共が消えていなくなる日を祈り続けましょう。

P.S 『広がるミサンドリー』をざっと斜め読みしました。訳者の久米さんがワンピースや宮崎アニメ、手塚治虫作品を男性差別の例に挙げていて、はっきり言って意味不明な本です。それ以外の感想が思いつきません。兵頭さんも仰っていましたが、なんで久米さんはこんなの訳したんでしょうか……。私の中で久米さんに対する評価がフェミと同等か、もしくはそれ以上に下がりましたwww

駄文失礼しました。
No.2
96ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 皆さん、遅まきながら明けましておめでとうございます。  本年もどうぞ変わらぬご愛顧を、よろしくお願いいたします。  目下、『ダンガンロンパ』新作をクリアするのに忙しくて、本など読むヒマは一秒たりともありません。そんなわけで本ブログについてもネタがないのですが、まあ、軽くちょっとだけ。  千葉市での、男性保育士活躍推進プランが話題になっています。  熊谷俊人市長が母親たちからの「(男性保育士には) うちの子を着替えさせないで 」との要望を「 女性なら社会問題になる事案です。 」と排し、「市立保育所は性別に関わらない保育を実施する」と明言したところ、案の定、フェミニストたちから不満の声が湧き上がったのです。  いえ…… togetterのまとめ を見ても、市長の方針に不満を述べた人たちがフェミニストなのかどうかは、判然としません。ツイッターを眺めるに、フェミニストと思しき人々の反対の声も聞かれるのですが(そしてこの「炎上」そのものはツイッターで起こったことなのですが)、恐らく「現場」では実際に子を持つ(そして別段フェミにかぶれていない)お母さんたちからの拒否感が大きかったのではないかと、ぼくには思われます。  さて、この問題、いかが思われたでしょうか。  本件については議論百出ですが、ざっとまとめてみると以下のような感じでしょうか。 1.ここまで女性の社会進出とジェンダーフリーを謳い、近年では「イクメン」などという言葉までも流行らせようとしていながら、いざ男性がそれに従おうとするとこれなのだから、もう呆れ果てる他ない。 2.いや、一般的な心情として「外部の男」を危険視する「ジェンダー観」は理解できる。しかしそれを押し通したいなら「女の運転手」を嫌がる「ジェンダー観」も認めるべきではないのか。 3.結局フェミニズムなどダブルスタンダードの塊なのである、云々……。  まあ、それぞれ大変にもっともな意見です。  上の意見はそれぞれ、1.がジェンダーフリーを称揚するリベラル寄りのもの、2.がジェンフリに対する懐疑派のもの、3.はその両者の共通見解とまとめてしまうことができそうです。  なのですが、実のところ、本稿を書いているぼくの筆はかなり鈍っております。  ぶっちゃけ、この種の話題も今まで繰り返されており、今更かよ、の感を拭えません。  本件を「フェミニズムの欺瞞の核心を突く、極めてラディカルな案件」と言う人もおり、それはまさにそうなんですが、そんなの、「女性専用車両」だって全く同じであり、それが何となしに放置されている時点で、本件もすぐに忘れ去られるというオチは見えているわけです。  また、この市長がジェンダーフリー賛成派っぽいところもぼくの筆を鈍らせます。事実、上のtogetterを見ればいつもの「表現の自由クラスタ」、まあ要するにリベラル君が湧いて、まあ、そこで表明される意見自体は上にぼくが書いたようなことであり、賛成できるものなのですが、彼らが躍起なのは本件が「ジェンフリ案件」(及び「ペドフィリ案件」)だからだろうな……というのが何とはなしに透けて見えてしまっているわけです。 「ジェンフリは素晴らしい」→「しかしそれに反対するフェミは真のフェミではない」→「ピルつき辺りがもっともらしいことを言う」→「 正義のリベラルフェミニスト、ここにあり 、やんややんやの拍手喝采で幕」。  もう最後まで筋書きがわかりきっており、欺瞞は何一つ正されないまま、ただフェミが延命するラストが見えてしまっているのです。  繰り返しになりますが、ぼくは市長のスタンスには、基本的には賛成します。  また、本件特有の事情として、そもそも男性保育士が性犯罪に及ぶ率がそこまで高いとは思えないことも手伝い(リベラル君は牧師とかになると全員が性犯罪に及んでいるかのような物言いをするわりに、保育士ならば安全と考えるのは何故なのか、よくわかりませんが)、彼らを疑うことが「男性差別」であるとの意見には、心情的には賛成できます。  しかし、いつも言うように、彼らのいう「ミサンドリー」とかいったワードには、あまり賛同することができない。  リベラル君はことに「ミサンドリー」といった言葉がお好きです。言葉(彼らがその言葉を使う時に込める意味あい)自体は「男性差別」と全くいっしょなのですが、「男性差別クラスタ」がアンチフェミなのでフェミに気を遣って新たな言葉を採用し、「ミサンドリストは似非フェミだ」との結論につなげようという ホンネが透けて見える 辺りが、いよいよもってこちらを白けさせます。  彼らを見ていると非常にフラットな「男女平等」「ジェンダーフリー」を信じ、それらと相矛盾する主張をする者は「真のフェミ」ではない、とすることで心の均衡を保っているように思われます。  が、それは違うのです。  そもそも「結婚は全てレイプである」などと真顔で書き散らすなど、男性の性を偏執狂的に糾弾するのは、フェミの最も得意とするところです。先に「女性専用車両」を持ち出しましたが、両事例の根本は全く同じであり、フェミニズムのこれらに対するスタンスは「女性は今まで男性の性犯罪の脅威に晒され、大変な苦しみを味わってきた。ならばそこを是正してからの、平等であろう」というものであるはずです。  もちろん、ぼくはそうしたフェミニズムの発想に首肯しません。性犯罪含め、あらゆる男女のジェンダーにまつわる事象は価値相対的な、ある種「どっちもどっち」なものなのですが *1 、フェミニストがそうした考えを受け容れないのは自明です。  リベラル君たちは本件におけるフェミ(或いはお母さん方)の訴えをジェンダーフリーに反するとして糾弾していますが、そもそもフェミの称するジェンダーフリーというのは現行の男女のセクシュアリティを根源から否定するものなので、ジェンフリを支持するならば、まず男性の性犯罪などゼロにしてからモノを言え、というのがフェミニストの言い分のはずです *2 。  しかし、ところが、何故だか、一体全体どういうわけか、フェミニズムの敬虔な信奉者であらせられるリベラル君たちはそれに首肯しようとしない。  これはまた、ドクさべも同様です。  彼らはフェミニストたちの言い分を鑑みることなく、「今、ココ」をスタート地点と考え、「何か、平等」を掲げれば拍手喝采してもらえると思っている。しかしフェミニストたちはもうちょっと長いスパンで物事を捉え、「お前たち男性は私たち女性に貸しがあるぞ、さあ、借金を返せ」と言っているのです *3 。  そうした負債を勘定に入れることなく、ただ彼女らの思想に乗っかって利を得ようとするのは、全くのナンセンスです。  少なくともフェミニストはまず女性が救われるべきと考えており、その後列にはLGBTが並んでいることでしょう。  で、これまた以前からかったことがあるのですが、近年ではこれに「Q」が加わりLGBTQになったり、「I」が加わってLGBTIになったり、更に長くなるとLGBTTQQIAAPだのLGBTTQQFAGPBDSMだの、もういい加減にしろと言いたくなるような混迷を呈しております。  つまり、ぼくたちが旧ソの人のように、或いはコミケの島本和彦のブースのように長蛇の列に並んでも、果たして同人誌がぼくたちの手に渡るのかが、全く判然としない。  というか、 ぼくたちの手前で完売になる に、決まっている。  何となればフェミニズムのロジックでは女性も、LGBTもその付録も「ヘテロセクシャル男性」の被害者なのであり、ぼくたちが彼ら彼女らの仲間にしてもらえるはずなんて、ないのですから。  本件を「ロリコン差別」にしたい人たちもいるようですが、そもそも「男性差別」も「ロリコン差別」も、フェミニズムという宗教体系を受け容れるならば、そんなものは存在し得ない(いや、それら差別は正当なものである、と言い方をした方がわかりやすいでしょうか)。  だから、ぼくがずっと批判を続けていた「男性学」者たちは、「男性性を捨てよ、さすれば救われるぞ」とただひたすら繰り返すのみなのです。  リベラル君たちの振る舞いはそうした「本来のフェミニズム」をねじ曲げ、「非実在フェミニズム」に帰依しているのだ、と形容する他はないのです。 *1 例えばですが、『男性権力の神話』によればレイプの訴えの六割はウソであり、そう考えるならば「性犯罪の脅威に晒されてきた」のは実は男性側にこそより多い、との考えもなり立つわけです。 *2 「 秋だ一番! 男性学祭り!!(その2.『男子問題の時代?』) 」では男の子が黒色を好むことですらもジェンダー規範に則ったものとして批判する「ジェンダーフリー教育」をご紹介しました。 *3「 夏休み千田有紀祭り(第一幕:メンリブ博士のメンズリブ教室) 」  しかし、彼らリベラル君は何故、そうまでしてフェミニズム信仰を続けるのでしょうか。  いつも言うように、彼らには実のところ、フェミニズムについての知識がさほどない。  また、彼ら御用達の「リベラルフェミニスト」たちは、 場当たり的にリベラル君たちにおもねる ことで彼らの支持を得ているわけですが、そのために彼女らはフェミニズムの主たる主張を(ぼくが上で指摘したように)スルーせざるを得なくなっています *4 。  彼ら彼女らを見ていてぼくはふと、「サイエントロジー」を思い出しました。  以下、長ったらしい例え話になりますが、ガマンしてしばらくおつきあいください。  eternalwindが以前言っていたことなのですが、「サイエントロジー」というのはSF作家のL・ロン・ハバードという人物に創設されたカルトです。  このサイエントロジーの教義は、以下のようなモノです。  7500万年前の昔。  この銀河は邪悪な宇宙帝王ジヌーによって支配されていた。  ジヌーは邪魔な市民たちの絶滅を企み、 精神科医の手助け によって、 所得税の調査と偽って 、何十億人もの市民を呼び出し、彼らを麻痺させ、アルコールとグリコールを混ぜたものの中へ冷凍した。さらわれた人々は宇宙船に積み込まれ、絶滅の地・地球へと運ばれた。彼らは世界中の火山のふもとに下ろされたが、その時に水素爆弾が火山という火山の中に沈められ、同時に爆発、多くの人命が失われた。生き延びたのはごく僅かな者たちのみであった……。  あ、もういいですか?  彼らはこの教義を「密教」として隠し、ステージを昇り詰めた限られた信者にだけ伝えてきました。逆に言えば昇り詰めた者はそこまでの信心があるからこそ昇り詰めたわけであり、また今更宗旨替えもできず、 信じちゃうしかないのでしょう 。  つまりサイエントロジーには顕教と密教があるわけです。  上層部はこの密教を、世間や一般の信者にはひた隠しにしてきました。が、ネット時代になって事情が一変、この隠し教義も、今では公然の秘密になってしまったのでした。  そう、フェミニズムもこのサイエントロジーと全く同じ道を辿っているというのが、eternalwindの指摘です。  もっとも、彼はこのフェミニズムの「密教性」を、例えばドウォーキンの訳書などが長らく日本で刊行されなかったことなどに求めていたと思いますが、ぼくはもうちょっと別な印象を持っています。  端的に言えば「顕教」は「表現の自由クラスタ」に代表されるような、「インテリをもって任じ、フェミニズムをよきモノだと認識しているリベラル君」の脳内のみに存在する非実在フェミニズム、そして「密教」はいわゆる、そのまんまの、本当の真のフェミニズム、というのがぼくの考えです。  彼らはフェミニズムに非現実的な信仰心を抱き、しかし「ツイフェミ」とやらいう連中には苛烈なバッシングを加える。しかしフェミニズム的に正しいことを言っているのは、その「ツイフェミ」とやらの方にしか見えない。  また、「ツイフェミ」とやらは社会的な後ろ盾がない人々のように思え、彼らがそんな人たちを生け贄にすることで、自分たちのグルのガールフレンドである社会的地位を持ったフェミニストたちだけは守ろうとしている様が、全くもって許容できない、といった指摘も、何度もしたかと思います。  eternalwindの推理に従うならば、例えばドウォーキンのような過激すぎる主張は、丁度「宇宙帝王ジヌー」みたいなもので、やはり「ハシゴを登った上でハシゴを取っ払った後の信者」にのみ吹き込むしかない、との計算がフェミニズム側にあったのだ、ということになります。  しかし現実にはドウォーキンに近いミレットの『性の政治学』は1973年に日本語訳が出ており、彼女らがそこまで意図的に、こうした思想を密教化しようとしているとは、あまり思えない。彼らが吹聴しているリベラル/ラディカルフェミニズムのウソも、ちょっと調べればわかることです。彼ら彼女らがそこまで利口だと考えるのは、 いささか過大評価でしょう 。  即ち、ここで「顕教/密教」と言い続けたものは「フェミを信じたい者が、フェミの反社会性から目を背け続けてきたがため、自然とそうなった」だけなのではないかと思われるのです。  ただ、ネットでフェミニストたちの発言が生で見られるようになり、秘密がバレてしまった、という点についてはやはり、宇宙帝王と同じ事情のようですが。  またちょっと別な比喩になりますが、『仮面ライダーV3』では悪の組織デストロンがクリスマスパーティーに偽装して子供を組織に勧誘する回があります(45話「デストロンのクリスマスプレゼント」)。  クリスマス会のビラに誘われた子供たちはサンタに変身した怪人が、クリスマスプレゼントをあげるよと言うのに、大喜び。  ところが、そこで出されたプレゼントはよりにもよってバナナ。  子供たちはどっぴき、「ないわー」という顔になって家に帰ろうとします。  切れた怪人は正体を現し、実力行使に出ようとするのですが、何やらかんやらでライダーV3が活躍、怪人は倒されてしまったのでした。  いくら何でもバナナはないだろうと、特撮オタクの間では有名なエピソードなのですが、バナナの輸入自由化は1963年で、その前は大変な貴重品でした。『V3』の放映はその十年後くらいで脚本家の脳裏にはバナナが高価だった頃のイメージが残っていたのでしょう。 「彼ら」の秘密組織も、「ちびっ子」を組織に勧誘しようとした。しかしそこで用意されたプレゼントはやはり、古すぎた。そう、この「バナナは高級品だ」という古いイメージを、悪の組織のトップがちびっ子たちに吹き込もうとした「古い人権観」「古い男女観を元にしたフェミニズムという古い思想」に準えると丁度ぴったり来ます。  悪の組織のトップの旧態依然とした意識は、そこに気づくことができず、 ちびっ子たちの心は離反しつつある ……それが、彼ら彼女らの現状なのではないでしょうか。 *4 その意味でもし「リベラルフェミニスト」を「リベラル陣営のコマとして、彼らの指示通りに動くフェミニスト」と定義するのであれば(むろん、学術上の定義はそうではないのですが)確かに「リベラルフェミニスト」は実在するぞとしか言いようがない、そしてまた彼女らは「ラディカルフェミニスト」よりも凶悪な存在だなあと、嘆息せざるを得ません。
兵頭新児の女災対策的随想
「女災」とは「女性災害」の略。

男性と女性のジェンダーバイアスを原因とする、男性が女性から被る諸々の被害をこう表現します。



このブログでは女性災害に対する防災対策的論評を行っていきたいと思います。